整理する人、散らかす人

僕が自分の研究会(研究現場の知財分科会)を運営するにあたって、明確に意識していることがある。それは「ゲストが話を整理して」「僕は話を散らかす」ということである。

月に1回ゲストを招いて話をしてもらうとき、僕はたぶん話の半分も聞いていない。ゲストの話をつまみ聞きして、自分で勝手に考え事して、その内容をつぶやいていたり、1人で考えていたりする。こんなこと書くと今後ゲストを呼ぶときに支障が出るかもしれないが、講師の話をBGMにしながら考え事しているというのが一番しっくりくる表現である。

「ゲストの話を忠実に実況(=トレース)してくれよ」と期待している人も多いが、トレース実況できる形で話を聞いてないというか聞く気が無いので無理である。だから、出来るだけ講演資料を公開してもらうようにしている。ニコ生をしたこともあったし、今後は録音だけでも毎回しようかなと思っている。ツイッター実況してくれそうな人を聴衆に呼んだりもする。でも、講演中に僕自身がゲストの話を一語一句聞こうとすることは、たぶん今後も無い。

なぜこのスタンスを取っているかというと、僕の中ではゲストに話をしてもらう前日までに、その話題に関する自分なりの整理ができているからである。

この記事(整理するとこぼれる)と、この記事(整理するとこぼれる、の続き)で書いたような、「整理した結果こぼれてしまったもの」を考える材料としてゲストが僕とは異なる形で整理した講演を聞いて、(たぶんだけど)自分の整理とズレてるところにフォーカスして、話を聞いている。

こうやって自分の研究会に対するスタンスを文章にまとめるだけで、きっとこぼれるものはあるわけだけど、それでも自分のことが前よりちょっと分かった気がする。この繰り返しですな。

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