わからないことをあることをわすれない

大学院に通っていたときの同級生が、大学院で講師をしているみたいだ。すごい、ほんとにすごいなぁ と純粋に思った。と同時に、彼女はあの絶望的にわからない講義を理解していたのだろうか と思った。

大学院のときの、絶望的にわからないあの講義。

その講義を理解するために、まずなにから手を付けたら良いのかさえわからない、あの恐怖。日本語を聞いているはずなのに、脳みそが受け入れないあの感覚。(英語でわからないときもあった)

知識の量が足りてない・学力の差 とか単純なものもあるけれど、「本当にわからない。ということがある」ということが本当に恐怖なのだ。いまでもきっとトラウマだ。そのせいで、臆病になってる。

大学院に入るまでも、中学の数学や物理でついていけなくなって授業が途中からわからなくなるときもあったけど・・・

普通に生きていて、学力のあった中学・高校にすすんだらそういう体験をすることなく、自分が知っていることで、そのまま生きることができたのかもしれない。(あるいは気にせず)

「わからないことがある」ということを知ってしまって臆病になることと、自分の知っていることの中にいること どっちだって構わないけど、「わからないことがある」ということを知ってしまった今を肯定的に捉えたい。

もしかしたら、長く生きていたら、「わからないことがある」ということを忘れて、自分が今しっていることのなかで、物事を考えてしまうかもしれない。だけど、自分にはしらないことがたくさんある とわかっていると、すこし見え方が変わるかもしれない。

「わからないことがある」ということを忘れないようにおばさんになりたい。


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