金魚が死んだ
20年以上飼っていた金魚が死にました。
2023年5月、実家に帰った時、
車で駅まで迎えにきてくれた父から
「金魚の様子がおかしい」
と聞かされました。
4月の頃はとても元気で、あと2〜3年は生きるんじゃないかなと思っていました。
実家に着き、キッチンに目をやると
母が、金魚のいる水槽の前で、
ジイっと金魚を見ていました。
金魚の世話係はずっと母がしていて、
母は、
「大変だ、大変だ。私以外誰も何もやらない。」
といつも愚痴っていました。
この時の金魚は、背骨が少し曲がっており、とにかく高速で水槽の中を泳ぎ回っていました。
金魚も、
「あれ?なんか上手に泳げないぞ」
と戸惑った顔をしていました。
もともとはお祭りの金魚で、お祭りが終わる時間帯に、屋台のおじさんから押し付けられた金魚でした。
弟と私で約40匹の金魚を持ち帰りました。
(当時、親は非常に迷惑そうでした笑)
飼い始めた頃に、まず20匹くらい死にました。
そこから段々と数が減っていきました。
私がスマホを持ち始めた頃からの写真しかないのですが、ここで過去の奴らの様子をいくつか紹介させてください。
↑手前が今回死んだ金魚です。
奥の金魚が死にそうな時、手前の金魚が心配そうにツンツンと体をつついていました。
1人ぽっちになったときは、しばらくの間、水槽の中をグルグルと動き、相方の金魚を探していました。
実は、この金魚とは、今年一緒にテレビに出ました(爆)
今年の2月に実家に帰った時、
「ここまで長く一緒にいたから、何か思い出に残ることをしたいな」
と思い、気楽な気持ちで応募しました。
そうしたら、応募者が少なかったみたいで、トントン拍子で採用され、4月に一緒にテレビに出ました。
家族みんなで観ている番組だったので、嬉しかったです(緊張しましたが…
金魚には、録画した映像を水槽越しに見せてあげました。
この写真は、ディレクターさんから
「金魚が泳いでる映像を15秒くらいください」
と言われ、私がスマホを構えた時のものです。
餌をもらえると思ったのか、
こちらをジイっと見て、動かなくなってしまい、思わず笑ってしまいました。
この写真は遺影にしました。
2023年6月、いよいよ危なくなったため、また実家に帰りました。
父から、
「寝たきりになっている」
と聞かされたときは意味がわかりませんでしたが、本当に寝たきりになっていました。
口は開けたままで、ウロコもガサガサでしたが、
たまにヒレを動かしたり、
寝返りを打ったりしていました。
エサは3日に一回くらいのペースで食べていたらしいです。
話は逸れますが、私は魚の死体恐怖症(自分で名付けた)です。
小学校の頃に一度、飼っていた金魚が全滅したことがあり、それ以来ずっと魚の死体が怖いのです。
例えば、スーパーの鮮魚コーナーが怖いです。
そのため、魚と目を合わせないようにして、刺身などを買ったりしています。
(顔と尾が取れていれば美味しく食べられますが笑)
そんな私ですが、このラスト金魚の様子は、さすがに恐怖しませんでした。
もの凄く苦しそうで、どうしたら良いのかわからない気持ちでした。
次の日の朝、私が生クリームの入ったコロネをかじっていたとき、
「あいつ(金魚)は、こんな美味いものも食べれないまま死ぬのか」
と思いました。
口にねじこんでやりたいと思いました。
ステーキでもなんでもいいから、どうせ死ぬなら美味い物食わせたいなと思いました。
私が帰る寸前まで金魚は生きていて、私が帰ったあと、母が気付いたときには固くなって動かなくなっていたそうです。
母に託した半紙と墨で、母に魚拓をとってもらいました。
金魚が死ぬ前、天邪鬼の母は
「金魚が死んだらアロワナを飼おう。ずっと飼いたいと思っていた」
「金魚のいたスペースに、大きいオーブンレンジを置こう」
なんて言っていました。
でも、いざ金魚が死んだら、母から以下のメールがきました。
今は台所にいると
つい水槽見ちゃって
いたんだなーって
思ってる
常に何気ない習慣に
なっていたけど
今は水槽も
みんな片付けて
日当たりが
良くって うちって
明るかったんだなぁって思う
金魚が死んだことに加え、
母が悲しんでいることも、とても悲しく思いました。
出会ってしまったら、生き別れか死に別れしかないのだなと思いました。
金魚は、死ぬ一ヶ月前から兆候が出ていましたが、それでも、心構えなんかできませんでした。
母から金魚の死を伝えられた日の夜、夢を見ました。
金魚のいた水槽に、小さい金魚が3匹泳いでいる夢でした。
おしまい