香港vtuber MYA(米亞)のロリ神レクイエム 広東語カバーを題材に、広東語における歌唱についての一考察

しぐれういの粛清ロリ神レクイエムは恐ろしい勢いで世界中に広がり数々のミームを生み出している。特に海外での拡散力があまりに強くBMWの公式アカウントがしぐれういのダンスアニメをプロモーションに使用したことは記憶に新しい。

日本で話題になった歌が海外の歌い手にカバーされることが最近は特に多くみられるようになり、そのリリースの速さには目を見張るものがある。特に歌詞を各国語にして(中国語にはこの行為に対して「填詞」という便利な言葉がある。訳詞を作るというよりリズムに合う歌詞を当てはめるというニュアンスが強い)カバーしたものがリリースされることもある。ことさらロリ神レクイエムのような電波ソングは日本のネット・オタク文化やミームに精通していないと歌詞が理解できないため訳詞者の力量が試される。あるミームは平易な表現に改めるかあるいはその土地土地のローカルなミームに入れ替えたりして原曲の雰囲気やノリを失わないように"填詞"していくのである。

ここで香港vtuber MYA(米亞/広東語発音:mai aa)について軽く説明をする。彼女は香港では早い段階で活動を開始したvtuberで、元イラストレーターでありシンガーソングライターでもある。もともとyoutube上にイラストを付したオリジナルソングを公開していたがlive 2Dで作成したvtuber素材を使って動画を作成したところだんだんと人気を獲得し今では香港を代表するvtuberと言って差し支えない。

彼女は今までに多くの日本語曲のカバーを行っている。日本語のまま歌ったカバーもあるが、やはり広東語訳詞のカバーの存在感が大きい。P丸様。のシルヴプレジデントやYOASOBIのアイドルなど難しそうな歌も見事に違和感のない広東語へと填詞している。訳詞の担当は内部のスタッフなのか外注スタッフなのか判然としないが本人が手づから作詞しているわけではないようだ。

さて長い前置きではあったが本題に入っていく。我々広東語学習者には既知のことであるが広東語の歌の歌詞にはとても不思議な制約がある。広東語の歌詞は話し言葉の広東語ではなく標準中国語を使って書かれるのである。広東語をご存じない方にこの違いを理解してもらうのはいささか難しいと思うので近い例を挙げると日本語の方言を話す地方出身者が歌の歌詞を作るとき普通は方言ではなく標準語を使うのとよく似ている。やしきたかじんが「やっぱすっきゃねん」と歌えばそれはただの愛の歌ではなく「関西人の」愛を説いた歌だという色眼鏡で見られてしまう。それと似たようなことが広東語でも起こるのである。細かい違いを言えばいくらでも出てくるがこの際些末なことは割愛させていただきたい。

しかしそのルールにも例外があり、歌の中の「語り」であればそれは話し言葉としての広東語で話されるのである。つまり、広東語では歌詞は標準中国語、語りなどセリフの部分は広東語で歌詞を書くのがルールである。ここでロリ神レクイエムなどの電波ソングがこのルールに大きな問題を投げかけている(と思っている、少なくとも私は)。特に顕著なのがロリ神レクイエムの最もキャッチーな部分である「触ったら逮捕」の掛け合いの前半部分である。日本語の歌詞を引用すると:

せーのっ!
触ったら逮捕!(ah!)極chu de点呼!(uh!)

https://www.uta-net.com/song/327063/

これがMYAのカバー版では以下のようになる

聽住
掂到我就逮捕!(ah!)
入監獄再報到!(uh!)

https://www.youtube.com/watch?v=9uWORleK_Hs

これは話し言葉の広東語で書かれている。歌詞の大約としては:

聞いて(聽住)
掂到我就逮捕(私に触ったら逮捕)
入監獄再報到(刑務所に入ってチェックイン)

くらいの意味になる。

この部分、原曲をご存じの方であればすぐに違和感を感じるだろう。この曲で唯一この部分だけがメロディーが違うのである。MYAの歌唱力やMIX担当者の技術を加味すれば間違って歌ったのではなくわざとメロディーを変えたのだと想像される。

日本語話者の感覚からすれば「触ったら逮捕」からの掛け合いの部分はセリフというよりは歌、あるいは少なくともラップの一環だと感じるはずである。それはリズムやイントネーションが話し言葉から乖離しているからだ。実際、広東語以外の外国語カバーでも原語のイントネーションではなく日本語版のメロディーに合わせることを優先している。下記を参照いただきたい。

中国語はもちろんベトナム語も広東語と同じ声調言語であるが、「触ったら逮捕」の掛け合いの部分は日本語オリジナルのメロディーラインとリズムに合わせている。この違いはやはり「歌の言葉=標準中国語」と「話し言葉=広東語」を峻別する広東語の歌唱方法からきているのではないかと私は推測する。

さてここで問題を簡単に解釈するとすれば「訳詞者や歌手はこの掛け合い部分をセリフとみなしているからメロディも話し言葉のイントネーションに寄せて変えたんでしょ」と言えるかもしれない。ところがここで思い返してほしいのだが、広東語版の歌詞は日本語版から内容を変更しているのである。つまり「極chu(獄中) de点呼」を広東語版では「入監獄再報到」としている。「点呼」と「チェックイン」、この一見かなりどうでもいいマイナーチェンジはなぜ必要だったのだろうか。

答えは簡単でただのライミングである。前行の「掂到我就逮捕」の最後の「捕/bou」と報到の「到/dou」の音を合わせてリズムを整えただけだ。韻が踏めるように歌詞の意味を変えたのである。広東語に限らず中国語でも歌詞の最後の音を揃えて韻を踏むことは多い。古代の漢詩から連綿と続く中国語の詩歌の特徴である。

しかしこれですべてが矛盾してしまう。広東語バージョンとしてはこの掛け合いは話し言葉の広東語で書かれたセリフパートなのである。セリフなのでオリジナルの音程を変更した。したのではあるが、そのままだと歯切れが悪いので歌詞を変えて韻を踏んだ。果たしてこのパートは歌なのか、セリフなのか。

日本から来た電波ソングが広東語の歌唱に思わぬアンビバレンスを与えてしまったのである。実際、この些末な事項が香港の文化に与える影響は限りなく0であることは言うまでもないが、電波ソングの中にさえ文化受容や文化衝突が観測されたのだという私の自己満足をもってこの論をとじたいと思う。

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