推しは推せるうちに推せ の話

こんにちはオタクですか?
冒頭から初めて使った質問なんだけど当てはまる人結構いると思うんですよね。オタクって幅広いじゃん?
オタクと名のつくものだったら鉄オタとか、ドルオタとか、なんか秋葉~みたいなイメージが浮かびがちだけど、オタクって何かに夢中になって追い求めている人全部だと私は思っているので大体世界みんな何かのオタク。これは私の価値観なので違ったらごめんなさいです。
それで、まあ私はざっくり言うとアイドルオタクなわけです。ジャンル分けするなら女子ドルも好きだし男性アイドルも好き。ジャニーズに48系に坂道にハロプロ、スタダも好きだった時期あるしKpopもハマった。二次元のアイドルも好きだしなんかもうアイドルって名のつくものが好きなんだと思う。
そのアイドルオタクの歴史~とか私が思うアイドルとは~みたいな話は明らかに需要ないしなんか話逸れそうだからまた別で書くかもしれないし心にしまっておくかもしれないんだけど、とりあえず今日はタイトル通り「推しは推せるうちに推せ」って話をどうにか書き残しておきたくて文章を書いてます。前フリ長くない?

「推しは推せるうちに推せ」って言葉、いつどこで生まれたかとか知らないし調べてもないんだけど、これ本当に核心です。

まずこの『推し』の対象は、アイドルに限らずなんでもありだと思う。いや初っ端からアイドルの話したくせに超フリーダム。
そもそも、どんな人でも『推し』が存在するよね。
キラキラ女子大生~みたいな人なら例えば恋人とか、好きな俳優とか、あとなんだろ、化粧品とか?キラキラ女子大生じゃないから想像力が貧相だった。
勉強一筋です、って人ならその勉強してる科目とか内容とか、フィボナッチ数列だっけ、そういう研究対象とか。
私みたいなアイドルオタクなら分かりやすくこの人っていう明確な対象があるけれど、曖昧な場合もあるし。人形とか、キャラクターとかでもいいよね。なんならもう空とか景色とかでもいいかもしれない。
まあ人それぞれのその『推し』に対してみんなそれぞれ熱量を注ぐ訳じゃないですか。お金だったり時間だったり気持ちだったり。
人と比較するんじゃなく絶対評価で自分が好きだ!推してる!って思えばそれは『推し』になると考えてる。逆に言えばどんなに熱心に取り組んでいる対象でも好きじゃなかったらそれは『推し』ではないよね。私の場合卒論とか。まだ書いてないけど。

それで、その『推し』をみんな一旦想像してほしいんだけど、あなたはそれにずっと熱量を注ぐことはできますか?
ちょっとなんか色々書きすぎて対象が曖昧だから一概には言えないけど、絶対の確信って無いと思うんです。
さっきの例えで書いていくと、恋人とは別れるかもしれない。俳優は好きじゃなくなるかもしれないし引退するかもしれない。化粧品は廃盤になるかもだし肌質変わって使えなくなるかも。フィボナッチ数列も解けたら(解くものなのか知らないけど)興味なくなるかもしれないし数字見すぎて嫌いになるかも。
めっちゃネガティブかよ見てるだけで病むわ、って所で一旦止めておきますが人生何が起きるか分からないから、今は三度の飯より好きで夢中でも明日は分からない。

私事ですが推しアイドルが二人活動休止中です。普通に毎日応援してたし、なんなら発表受けるまで一生推す~って言ってた。今もそうだけどね。休止の理由はなんであれ、これからも毎日とは言わずともメディア露出があってライブや握手会みたいな現場があってずっと応援できると思ってたからいないのって本当に寂しい。病んで三日で5kgくらい痩せたりした。
で、この話をすると割と返ってくる反応が「アイドルにそこまで依存したりガチで応援したりするのってヤバくね?」である。
これ本当に最初意味が分からなくて、なんかもう突然外国語で話しかけられたのかと思った。日本語だった。マイ母国語。
その人たちにとってアイドルという存在が人生のキャパシティのうちを占める範囲が狭いんだなあと今なら分かります。悪いとかじゃなくて、環境とか個人の問題だからそういうものとして理解した。
でもさ、その対象がお気に入りのブランドとか、好きなテレビ番組とかだとどうですか?これだとまだ別に凹まないわ、みたいな人がいるかもしれないです。じゃあ飼っているペットや大切な友人。もしいなくなったりしたら、辛いし悩むし病むと思う。
いやそこまで身近な存在じゃないでしょ、ってなるかもしれないけど私の場合はそれくらい大切な存在ですよっていう話です。みんながみんなそうじゃないかもしれないけれどね。

って話逸れてるんだけど、まあだから簡単に言えばその『推し』はいつなくなるか分かんないよってことです。それは対象の都合かもしれないし、こちら側の都合かもしれない。何らかの理由があって推せなくなった時が、必ず来るわけです。
その時に、後悔をしたくない。それこそがこの「推しは推せるうちに推せ」に詰まっているメッセージだと私は考えています。

恋人との別れと担降り(アイドルなどの担当、所謂推しを変えること)って似てると思うんです。相手の嫌なところが見えてきて別れたり、他に良い人が見つかってその人のために別れたり。逆に大好きなのにアイドルを引退して一般人に戻るかもしれない、これは恋人で例えるなら相手に振られる、みたいな状況に近いかなと。
別れた時に後悔って絶対したくない。あの時甘えておけば、ちゃんと話しておけば、とか悩みたくない。なんでダラダラ付き合ってたんだろ、とかも思いたくない。全力でいたい。

私は『推し』を推せなくなって初めて、そのかけがえのない有限の時間や気持ちに気づけたんです。同じ後悔や過ちをしてほしくないんです。だからこそ、この言葉は広く使われているんじゃないかって思います。
あのライブに行っておけばよかった、あの雑誌買っておけばよかった、その時には何の気なしに過ぎていたことですら思い浮かぶようになるんです。
推しが戻ってくると勿論確信しているし望んでいるしそうであってほしいけど、もしそうじゃなかったら。全力で応援できなかった自分を悔いると思う。

反対にこの言葉を実行して、結果として『推し』を失うこととなったとしても。その過去は決して無駄にはならないはず。所謂担降りで熱心に応援していたアイドルから他のアイドルに興味が移ったこともあったけど、推さなきゃよかった、とは思いません。だってすごく楽しかった。代わる理由はあるけれど、その時好きだった気持ちは嘘じゃないから。満足いくまで応援できたと思ったから。今は活休中の彼らに対してそう思えてないってことは、推せるうちに推せてなかったってことなんでしょう。ギブミーワンモアチャンス。

推せるうち、の幕引き次第でも後悔の度合いは変わってくると思います。
例えば、嫌いになってその『推し』から離れるとしたら、ただポンと突き放すのではなくこういう経験もした、と思い直すとか。
対象の都合で離れるなら最後にもう一度『推し』の好きなところを挙げてみて、大好きだった!って思ったり。
言い方、考え方の角度を変えただけかもしれないけど、そこまでが推すことの一環なのかなって。

というわけであてもなく文章を書き続けてまあまあな文量になってレポートかな?って感じなんですけど、提出期限も需要もないんで勝手に供養します。賛同してくれたら嬉しいし、それ違うんじゃない?とかもめっちゃ嬉しいので反応あったらいいなー。なくてもまあこれは独り言だならいいけど。骨組みなしに行き当たりばったり文章書くのって難しいね。楽しかったけど。なんとか軌道修正できてるかな。頭の中で話題がぴょんぴょこ飛び跳ねるタイプだから獣道以上に迷子になる。直したいけどそういう感じの文章も今度書いてみてもいいかなあ。既にいまそうなってきてる気がするのでここらで締めます。長々読んでいただいてる方が果たしているのかどうかさっぱり分かりませんがありがとうございました。
推しは推せるうちに推せ!