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親に良く思われたい

親と仲がいいか悪いかで言ったら『悪くはない』。
というのは、特別良くも悪くもない。
家族なのに冷たい、距離があると言われるかもしれない。

それには事情がある。
私の家は親の仕事の関係で転勤が多かった。
とは言っても、私が生まれてからはあまり転勤はなく、私が引っ越したのは生まれてから2年経った頃と小学2年生の頃のみである。
その後は年の離れた姉が高校進学を決めたため、父の単身赴任。
私の大学と父の赴任先が一緒だったため、4年間また家族全員で暮らした。
朝ごはんも夜ごはんも必ず家族で一緒に食べる。

だけど、親との関係は『悪くはない』、というよりは親に良く思われたいのだ。


心配させたくない

私の記憶の中で初めて引っ越しを経験したときのこと。
北海道から東海地方(東京寄り)へ引っ越した。
当時、友達と離れてしまうことに何の感情もなく、ただ引っ越しという特別なイベントを楽しみにしていた。

しかし、いざ転校するとまあうまくいかない。
それまで自分が世界の中心だと思っていたのに、そうではなかったことに気づいた。
環境が違う、考え方が違う。
そのことを今なら当たり前のように受け入れられる。
でも、小学生には無理だった。体育の時違う服を着ていることを、違う色の帽子を、違うデザインの名札を、違う話し方・方言を受け入れることができなかった。
グループが作れない、出席番号順なのに順番が飛ばされる、休み時間に一人だけ誘われない。
いじめ、ほどはひどくなかった。でもそれはやんわりとした拒絶だった。

引っ越したことを、親の転勤を孤立の理由にしたくなかった。
親に心配されたくなかった。だから引っ越しがつらかったという本音を隠した。初めて親に大きな隠し事をした。

だから方言を捨てた。標準語を話せるように努力した。みんなと同じになれるように頑張った。
人と違うことが恐怖に感じるようになったのはこの時がきっかけかもしれない。それから親に心配されまいと隠す癖がついた。

優秀でありたい

私には姉がいる。
足が速かったり、難しい勉強ができたり、楽器の難しいメロディーが弾ける、絵がコンクールに受賞するほど上手い…

5つ年上の姉だ。それだけ年が違うならできることは違う。
それでも一番身近な人物なだけに、勝手に対抗心を燃やしていた。

しばらくすると、年の差があることに気づいたので対抗意識を燃やすことはなくなった。
それでも人よりなにか優れていることは良いことだという考えが勝手に刷り込まれていた。

それに加えて、我が家は放任主義。
やりたいことをやってもいい代わりに頑張ったことに対して誉め言葉をもらえることが少ない。
よその家庭がテストで100点をとったらご褒美があることに対して、私の家ではそれがなかった。
承認欲求のかたまりとなって、スポーツも勉強もなにかと課外活動も頑張って、頑張っているアピールに必死だった。

人より優れていたいという気持ちが消えることは今もなく、生きにくいな、と感じることも多い。

迷惑かけたくない


姉が高校生になると反抗期を迎えた。
朝ごはんを食べなかったり、夜遅く帰ってくるようになったり、学校へ仮病を使って休むようになったり、などなど。

母親はいつも姉の対応で手一杯。大学受験の際もつきっきりで、大学へ通うようになってからもまめに連絡をしてもらえていた。
かまってもらえていいな、と思う一方で優秀でありたいがために迷惑をかけたくないという思う気持ちが強まった。

姉を見ていたからか、私は反抗期という反抗期を迎えなかった。
大学も学費を抑えて、負担にならないようにということばかり考えた。
とにかく、父と母は同年代の友達の両親と比べると高齢なので、金銭的負担が少なくなるようにという心配ばかりしていた。

それでも留学したい、という気持ちはあったので死ぬ気でアルバイトをして自費留学を果たした。
休学するとお金がかかるので単位が認定できるようなシステムを使って4年間で卒業できるようにした。

手のかからない子だった、と言われるのはそういう意味である意味誇りかもしれないと思う。

親孝行したい

育ててくれた恩、というのはある。
だからこそ恩返ししたい。
親に対する一番の恩返しはなんだろうか?と考えた時、一番は花嫁姿を見せる、孫の顔を見せるということがよく挙げられるだろう。

しかし、私はアセクシャル。
性行為に対する忌避感があるので、孫の顔を見せることは難しいだろうと思う。
結婚はだれにとっても幸せ、結婚すれば必ず出産、という考えが親にあるのだろうか。

そういう考えがあるならば、と思うと自分の性に素直になれない。
なにより『心配をかけたくない』、子として『優秀でありたい』、自分の考えを押し付けて『迷惑をかけたくない』のだ。

親に愛があるからこそ、カミングアウトできない。
親も私に愛がある。それを知っているからこそ、良い関係でありたい、気まずくなりたくない。

だから孝行するなら、良く思われたい。昔も今もそれに尽きる。
いつか親に良く思われなくてもいい、と思える日は来るのだろうか。


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