離人症ですねって言われても

15歳で初めて診断されたとき、いまいちピンと来ないまま30代になって漸く言葉の意味も含めて症状を理解した気がする。
初めて診察を受けたとき、自分が自分じゃない何かが動かしている。
やる気がある振り、興味のある振りをするが頭に入ってこない等話したんだと思う。

幼少期から振り返ってみると、併発している睡眠障害、希死念慮、幻覚は普通だと、皆も同じ感覚で生きていると思ったらそれは違うらしいと気が付いたのはつい最近だった。
家庭が機能不全だったこと、可干渉の毒親で距離を取らなければいけなかったこと、自分がきょうだい児だったことも全て今になって理解して、理解してしまったせいで誤魔化し続けていたものが可視化され自覚を持ってしまった為に悪化もしている。

何が正しい、というより何が多数派かもわからないまま皆と同じがいい、と真剣に考えて選択しても結局全てのカードを間違えて孤立してしまった。
今となっては孤立も当然だと思うが家の多数決や身近に居た大人の真似をしていたらこうなるのも当然でむしろ今繋がっていないという旧友やクラスメイト達にはある意味感謝もしている。
私みたいな人間だけで集まると本当にろくなことがないからだ。また歪んだ家族の繰り返しになり悲劇のスパイラルを生むところだった。

幸いにも近い価値観や傷を持つパートナーに出会えた為、家族を作らない、家庭を持たないで一緒に過ごしながら夫婦ごっこが出来て初めて気楽な生活がおくれているが生物らしさは無いと思う。
離人じゃない生活ってどんな毎日なんだろう。どんな風に食事を楽しんだり音楽に触れて肉体を動かして好きな作品に出会えたとき感情が動くのだろう、と寂しくなるたびに考えてしまう。
それはたまに現実感や本当のやる気や喜びを感じたことがあるせいで私は孤立ではなく孤独を感じてしまうからだ。
知らなければ、考えもしない白痴だったらどれだけ楽だっただろうと考えてしまう。運悪く学生時代にいじめを受け、それが鬱の原因かと思い診察、長い通院、家族との別居を通じて自分が何処からいつから何が原因で馴染めなかったかわかったのは幸か不幸かわからない。
不登校、退学、転職で原因から離れて解決すると思っていたはものは全て少しずれていて私の産まれた環境から歪みがあったと知っている現在、元々無理だったのかもしれないがせめて今よりもまだマシな金銭やスペックを持つチャンスを無駄に捨ててしまった気がしてならない。無自覚のまま資格を取るところまでいけていれば、留年しなければ、もっと早く別居をしていれば。
手遅れなんてことはないとわかっていてももう余力が残ってすらいないのだ。
今日生きるので精一杯。一瞬の生きる楽しみを感じることに必死で死ぬまで貧乏で疎外された中で生きていくしかないのかもしれない。
皆と同じになりたかった。




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