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9月の営業予定と昨今の思うところ

相変わらずご案内が直前になってしまい申し訳ありません。
つぐみBooks&Coffee店主のシノです。

色々な要素において思うところがたくさんあるのですが、現時点では下記のとおりでお願いいたします。

20219月営業カレンダー

カレンダーの文字が多いので、あっさりとわかりやすい簡素版はこちら。

20219月特別営業2下

ご覧のとおりなのですが、カレンダーの右下にありますように、9月の営業日は

     9月 25日(土)・26日(日)・27日(月)・28日(火)

の、四日間を予定しています。

ほぼ一ヶ月休業状態なのですが、9月26日のオープン一周年にはどうにか開けられる状態になってほしいと願うばかりです……(去年のこの日がグランドオープンでした。プレオープンは9月7日)

以下は、今回の休業(と現状)についての私の思うところですが、かなり長くなりますので、興味を持っていただけた方、お時間に余裕のある方にお読みいただけましたら幸いです。

まず、現在発令されている緊急事態宣言の最終日は9月12日(日)ですが、当店については時短も酒類提供も関係ないため、そもそも(お店としては)対象外ですし、今回の休業理由も「緊急事態宣言が出ているから」ではありません。

全面的に「休業」にするのか、人数制限を厳しく(8人→5人とか)もしくは一度に1組限定の貸切にするのか、はたまたテイクアウトのみ続けるのか……色々悩みました。
完全休業すれば、補助も出ないのでもちろん収入はゼロです。しかし、人数制限をしても2組以上入るのであれば接触の可能性はありますし、貸切だとしても同じ空間、同じ家具を触る可能性があり、なにより、お店のスタッフ2名は全員と対面するのです。結局、制限を厳しくしたところで、お互いの我慢が増えるばかりで、あまりいい効果はなさそうだなと……イートインは早々と断念。
テイクアウトはまだちょっと悩んでいるところもあるのですが、需要があるのかという不安と、テイクアウトだとしても外出はしてもらってしまうという点と、本来当店としては「この空間で、のんびり過ごす時間」を楽しんでほしいと思っているのに、それが提供できない状態で、お会計したら直行直帰で帰っていただく、というのはあまりに心苦しいなと……野菜販売と違って屋外での無人販売にもできませんし……(専用の冷蔵庫が用意できれば不可能ではないのでしょうが……)屋外でピクニック状態なら短時間の滞在OKでどうかとも考えたのですが、それだとテイクアウト容器はゴミになるだけだし、かといって食器で提供するならそれはもはやイートイン状態で本末転倒……もう四面楚歌です。

当店は、コロナ禍と言われるようになってから開店しました。開店当初から人数制限をし、出入り口でのアルコール消毒をお願いし、万が一の時に備えて全員の連絡先を伺い、お帰りの後は除菌スプレーでテーブルを拭き、木の手触りを犠牲にしてでも扉の取手に除菌テープを貼り、一枚板のテーブルを台無しにしてでも1人に1ブースとなるようアクリル板を立てていました。そのアクリル板のせいで声が聞き取りにくい、お子さんと一緒にごはんを食べにくいなど、お客様にはたくさんのご不便をお掛けしてしまいましたが、狭いブースにも、季節を問わない換気にもご理解いただき、食べ終わったらこまめにマスクを着用してくださるなど、皆様には自発的にご協力いただき、本当にありがとうございました。おかげさまで、開店から一年、当店で感染してしまったという悲劇は起こらずに今を迎えることができました。
……しかし、だからといって、これからも同様にしていれば大丈夫かと言えば、やはりそれは少々楽観的すぎると思わずにはいられません。どれだけ対策しても、どれだけ我慢いただき、どれだけご協力いただいても、感染するときはしてしまうのがウイルスなのだと思うのです。

PCR検査が行き届かないことで、全ての感染者は把握できません。濃厚接触者ですら検査しない場合があるようですから、無症状であれば尚更です。実費で検査するという選択肢もありますが、それもあくまで検査段階で、という暫定的なものでしかありません。それは誰もが同じです。一度感染して治っても、二度目があるという事例も既に認められています。もう、誰もが感染している可能性があると考えねばなりません。陽性と判明した人がどんどん増えていく毎日ですが、数字の外側に検査されていない陽性者がいることは間違いないでしょう。私自身、自分が「感染していない」のか「無症状の感染者」なのか、わからないのです。わからないけれども、周囲に「陽性と判明した人」が増えれば増えるほど、それに比例して「自分も感染している可能性」は高くなると考えられます。
無症状の感染者だった場合、(本人が苦しまずに済んだという点では)よかったかもしれませんが、キャリアとして誰かに感染させてしまった場合、自分の行動を後悔することにはならないでしょうか?私はきっと立ち直れません……(かといって発症したらしたで、家族にも医療従事者の方にも迷惑をかけてしまうので、症状が出ていればよかったという簡単な話ではないのですが……)
とはいえ、自分だったら自分を責めるだろうと思いつつも、陽性者が悪い、となってしまうことは社会の分断を生むだけだとも思うのです。先日ニュースにもなった「県外ナンバー貼り紙事件」は、本当に象徴的で、悲しい出来事だと思いました。それが群馬県内で起こったということも衝撃的ではあったのですが、もしかすると明るみに出ないだけで、全国至る所で起こっているのかもしれません……。本人は「正義」のつもりで、それこそ「地域を守るため」なのだと信じて疑わないからこそ、できたことなのだと思います。しかし、実際に貼り紙をされた方が「県外ナンバーの車に乗った県内在住者」だったように、そういった方がいることへの想像が及んでいないことは明らかで、そのためらいの無さは「自分の信じる正義」しか見えていない視野の狭さを感じさせます。そもそも、もう、全国がこの状態なのです。県外だから、県内だから、という基準では、何もわからないのです。それにもかかわらず、「県外ナンバー」に無条件で反応してしまう……これも報道や緊急事態宣言の扱い方の弊害だと思わずにはいられません。

さらに大都市部では随分前から医療崩壊との様相を呈していましたが、ついに群馬も「病床使用率は8割を超過し、ほぼ満床」とのことですし、自宅療養者(要するに入院させてもらえなかった方ということですよね?)も500人にせまる(もしくは実際には超えている)ようです。つまり、今は元気でも、今後感染し、発症してしまった場合、どんなに辛くても入院できない可能性があるということです。ついに医療現場の逼迫も、全国的な問題と見て間違いないでしょう。
すでにご覧になったことのある方も多い画像かと思いますが、

「軽症」であっても、「酸素吸入が必要ない」というレベルです。中等症以上は言わずもがなです。それにもかかわらず、「重症」と認められるレベルにならないと救急車にすら乗せてもらえず、救急車に乗せてもらえても250件問い合わせてやっと入院受け入れしてもらえたという事例もあるという……それがもう、他人事ではないということです。抗体カクテル療法という画期的な薬が……と喜んだのも束の間、それは「軽症」の段階で「入院」できないと使えないと……完全にぬか喜びです。現状を楽観的に捉えられる要素は皆無だと思います(もう呆れ返っているので五輪のことはここでは触れません)。

ワクチンも、コロナ禍打破の光というより、もはや国民の分断推進の一要素として確立して来ましたね。
ワクチン肯定派・否定派と単純に二分して対立させても何もいいことはないでしょうし、ワクチンを打ったからといって、盲目的にワクチンの効果や安全性を肯定している訳ではないという方のほうが、きっと多いのではないかと思います。ちなみに私もモデルナワクチン1回目を接種してきましたが、本当はこんなにも不安要素の多いワクチンなんて打ちたくなかったし、効果も絶対だとは思えないし、正直に言えば体になにかしらの悪影響が出る可能性は高いだろうと思っています。母曰く、私は過去にMMRでも重い副反応が出たそうで(2歳くらいの私が痙攣して真っ青になっているとのことで慌てて母が病院に連絡したところ、その時にはワクチンとは関係ないと言われたが、後日全国的に副反応が続出して大問題となったそうです)、はっきり言ってワクチンへの信頼感などあるはずもありません。副反応が重くなると話題の2回目の接種が控えている今、気が重くて仕方ありません。

「本当に人体に悪影響がないのか?」
もちろん誰もが「100%安全です」とわかったものの方が安心できるでしょう。しかし、それは誰もわからないというのが本当のところなのではないかと思います。だってそもそも「人間」について完全に把握している人なんて、いないですよね?人間について完全に把握できていないのに、何かを投与したらどうなるかなんて、やっぱり完璧にわかるはずないと思うのです。人間が作り出した薬じゃなくても、果物であっても、もっと言えば「水」であっても、100%安全だと断言できるものなんて、やっぱり無いんですよね。

もちろん歴史と知識と経験(と犠牲)を積み重ね、医学は発展してきたかもしれません。西洋医学も東洋医学もそれぞれの立場があり、それぞれメリットデメリットはあるでしょう。知識のある方は、それぞれの立場に自信や誇りがあるかもしれません。でも、それは万人にとって絶対でしょうか?なんならシャーマンのような存在が「治す」という点において医学を凌駕する場合もあるかもしれません。何が正しくて、何が間違っているかなどということは、やっぱり誰にも言えないと思います。

だから、ワクチンを打つか打たないかも、本人が納得して決めるしかないのだと思います。最終決定を誰かに委ねてしまったら、それこそ「何か」あった時に、その誰かを憎まずにはいられなくなることでしょう。本来踏むはずの手順を色々すっとばして認可された経緯や、むしろそれ以前に研究費を打ち切った過去があるなど、もう今の段階で国は憎まれて当然の立場にいるような気もしますが、誰かを憎むことは、憎まずにいられない人にとっても辛いことだと思うので……。そして、自分が納得して決めるためにも、ある程度のことは自分で調べないとならないのだと思います。ワイドショーや新聞は、必ずしもフラットな立場から報道していないということも明らかになった昨今、与えられた情報のみから何かを判断するのは、まだまだ人任せから抜けきれていないように思います。

コロナウイルスの流行によって炙り出された問題は、「そもそもの話」ばかりです。中でも、日本の国民性というような認識で見逃されたり、あえてタブーとされて話題にされなかった日本の病巣こそ、見ないふりをしてはならないことなのだと思います。

わからないことだらけだからこそ、やっと問題として認識されたことだからこそ、考え続けていきたいですし、(ニュース記事に向かってぼやくばかりでなく)文章にもしたいと思っています。どうか皆さんにも、一緒に考えていただけたらと願うばかりです。

長文にお付き合いいただき、有難うございました。
猫もひっくりかえるほどの長さとまとまらなさ……どうか眉頭のツボをもんだり、おふろであたためたり、ゆっくり目を労ってあげてください。

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/ おつかれさまでした \


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