「必要のない時間」

必要のない時間はあるのか。

私はあると思う。

なんの意味もないなぁ、なんだこの時間。
もっと他のことに使えるなぁ。
って時間がある。

自分1人の時ではなく他人が絡んでくる時間にそれは多い。

その時間を自分のために使うと怒られる。
でも、やりたいことをしたい。

とても幼稚な考えだと声が聞こえてきそうだが、

私はそう思うのだ。

例えば私は中学時代と高校時代、学校のトイレを使わなかった。
ちょっとした潔癖症がでて、使えなかったのだ。

それなのに、クラスの掃除割り当てにトイレがあった。

使っていない使う予定もない場所を掃除するのだ。

地獄だった。

それならこの掃除の時間に勉強でも睡眠でも友達との思い出でもなんでも別のことをしたかった。

そこで。考えた。
トイレ掃除をやるふりをしてデッキブラシを持ち、個室に入り、息を止め、50音を書くのだ。

汚い空気は吸いたくないため
息ができなくなる直前で個室からもトイレからも飛び出す。

どこまで書けるか競う。

そんなゲームだ。

これを、友達とずっとやっていた。

ちょっとずつコツを覚え、書ける文字数が増えた。

私の気持ちはもう、とっくにその時間を必要な時間と認識し高揚感すら覚えていた。

そんな時に悲劇は起こる。

バレるのだ。生徒指導の先生に。
ずっと掃除をしていないことが。

怒られた。
これも必要のない時間だ。
トイレ掃除を話も聞かずするのが当たり前と強制してくる大人の言い分に貸す耳はない。

だいたい、トイレを使った人が毎回きれいに掃除をすればいいのだ。これはいつまで経ってもそう思う。

自分の汚れぐらい自分で片付けられるべきだ。
それが無理なら公共のものは使うべきじゃない。

こんなことを考えながら必要のない時が過ぎるのを待った。


必要のない時がすぎ、解放されたあと
もう一度だけ、トイレで50音息止めゲームを実施した。だがそこにあの日の高揚感はなかった。

必要な時間が必要のない時間に占拠されたのだ。

大人になるというのは、こう言うことなのかもしれないとおもった。

私はまだまだ子どもでいたい。

恥ずかしく映るかもしれないが、気にせず子どもでいたいのだ。


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