[Bookmark] 政治家のみなさんに向けた会計の初歩の初歩 | isologue

2010年2月17日の朝日新聞の記事「企業の内部留保への課税共産・志位氏が首相に要望」 で、鳩山首相が共産党の志位委員長らと会談して、松野官房副長官が提案を引き取って検討するということになったとのこと。
言語道断!何考えてるんでしょうか?
この話を聞いて、やっぱり政治家の方は(「自営業者的」ではあるけれど)、おそらく駅前の商店街で帳簿付けてるおかみさん程度の会計の知識も無いんだな、と思いました。
そもそも政治家というのは普通の会計に触れた事がある人がほとんどいないんでしょうね。
3日ほど前のジャーナリストの神保氏のツイッター上での発言 を見て「えっ」と思ったのですが、政治団体というのは複式簿記じゃないようなんですね。
私も、先日の小沢氏の件でも、なぜあのような記載漏れが起こるのか全く理解不能で、「弥生」とか「勘定奉行」とかで普通に帳簿を付けていれば、あんなことは起こるわけもないと思っていたのですが、複式簿記でないというなら非常に腑に落ちる。
政治団体も、お金の流れや資産の管理が一体で行える複式簿記にすべきです。
ついでに言えば、政府も貸借対照表をちゃんと複式簿記的に作成すべきです。「ご参考:国は「ストック」も考えた総合的なリストラ策を策定するべきだ 」
ストックとフローを統合的に考える思考体系(複式簿記)を持たないから、財政支出の話と国債発行の限界の話がごっちゃになってるんではないかと思います。
これは政治家だけの話じゃないかも知れません。
どの事件か詳しくは聞けなかったのですが、先日聞いた話で、
ある経済事件の捜査で帳簿を分析していた方が「資本金がどこにも無いじゃないか!」と叫んだとか。
減資 して資本金がゼロになったのかと思ったらそうではなく、会社に「資本金という種類のお金」が溜まってると思っていたようです。orz
Wikipediaによると、複式簿記は12世紀のイスラム社会で発明され、15世紀末からヨーロッパに普及、
18世紀末期、ドイツの作家ゲーテは複式簿記の知識の重要性を認識しており、ワイマール公国の大臣であった時に学校教育に簿記の授業を義務付けたと言われている。
とのことです。
もちろん日本にも明治期に入って来て、今や上場企業から零細企業・個人事業まで深く浸透してますが、発明から900年経ってもまだ日本の政治家には複式簿記が伝わっていないようですね。
ここで、900年の成果である複式簿記の初歩中の初歩を、図を使って簡単にご説明しておきます。

上図のように、貸借対照表の右側(貸方)は、企業(や国)がどうやって資金を調達しているかという、「資金調達の手段」を表しています。
企業は自分で稼いだお金「内部留保」や株式(資本金)、銀行からの借入れ等で資金を調達しています。
入って来た資金は、貸借対照表の左側(借方)に資金の使い道として記載されます。
つまり、「資本金」というのは「株式でお金を調達しましたよ」という痕跡ではありますが、「資本金」という種類の資産(左側)があるわけじゃないわけです。
企業が調達した資金は、預金や売掛金、工場設備などの資産として会社に存在しているわけです。
共産党もこうした概念がまったくわかってないのではないでしょうか?
(そもそも、内部留保は法人税を課税された後の金額だとか、同族企業の留保金にはすでに課税されてるというのはご存知なんでしょうか?)
共産党の方々は当然「資本論」を読んでいらっしゃると思うのですが、志位委員長の発言を聞く限りでは、おそらく、「資本とは何か」ということを実務に即してあまり深く考えた事が無いんではないかと思います。
私はマルクス的教養を欠くのでマルクスが言う「資本」が借方的な概念なのか貸方的な概念かはわかりませんが(あまり区別してない気がしますが)、下図のように、会計上の資本金や自己資本・他人資本というのはすべて右側の資金調達(貸方)の話です。

経済学はあまり借方(資金調達)の概念なのか貸方(資金の使い道)の概念かをあまり区別しないで使うことが多いのではないかと思いますが、マクロ経済学で言うところの資本(K)はおそらく資金運用側(借方・左側)の概念でしょうね。投資(I)は、この資本の差分(ΔK)のことで、財務諸表的に言うとキャッシュフロー表的な概念です。
下の図は、日銀が公表している資金循環統計のうち、家計、銀行、企業と政府・日銀・郵貯だけを抜き出したものです。
「デフレ解消のために通貨供給を増やせ!」といったことをおっしゃってる方も、銀行(図の真ん中下)の預金(貸方)を増やせば、自動的に借方の貸出しが増えると思ってらっしゃる人も多いのではないかと思います。


資金循環統計の一部(クリックで拡大。)
(出所:日銀資金循環統計、日本郵政財務諸表等より作成、単位:兆円)
資金供給という場合の「資金」というのは日銀を含む銀行の貸方(右側)にある預金等(銀行の場合、負債)のことですから、いくら銀行の貸方が増えても、それが民間企業に回らずに国債に回るんだったら、結局は国が投資や消費をしないといけなくなり、国民の負担が増えるだけです。
日本の家計(個人)の特徴は、その金融資産の50%超を銀行に預けていることでして、このため銀行の預金は郵貯も含めてなんと1000兆円を越しています。
ところが銀行というのは、非常に低い金利でお金を貸す機関なので、ほぼ確実に資金が回収できるものにしか貸付ができません。
銀行員がケチで企業に資金を回さないのではなく、銀行の預金をいくら増やしても、合理的に貸せる先がもう無いから企業にお金が回らないわけです。だから銀行は仕方なく国債を買っている。
このため、私は「預金に課税するべきだ」という主張 をしております。
これは、共産党がおっしゃる「内部留保への課税」とは(似てるように聞こえるかも知れませんが)全く異なるものです。
なぜなら、内部留保は貸方(右)で預金は借方(左)であって、概念が全く異なりますので。
(おそらく、前述の経済事件捜査の話と同様、「内部留保」という種類のお金が企業の金庫に溜まっていると誤解している人は多そうです。)
たとえば、下記のように借方の大半が預金になっている企業を考えてみましょう。

前述のとおり、現在の日本では銀行にいくらお金を預けても、その先、企業に資金が回って行かない現状なわけですから、そういう成長に繋がらないお金は、私は(0.5%以下のマイルドな税率でいいので)課税するべきだと思います。
(1000兆円も預金があるので、0.5%でも5兆円の税収になります。)
しかし下記のように、内部留保が多くても借方の大半が固定資産等になっている企業はどうでしょうか?

固定資産を買うということは、取引先の企業の売上に繋がるということです。そして、その取引先の企業で雇用も生まれるわけです。
この会社が自分の従業員に資金を分配することだけが正義じゃないわけです。
企業の内部留保や労働分配率だけを見て、いいの悪いの言う政治家の方もいらっしゃいますが、経済全体に目が向いていないんじゃないでしょうか?
固定資産というのは未来の収益のための投資です。
従業員に分配するだけでなく、会社が他の会社のものを購入することでも社会に貢献しているのに、なんで内部留保(右側)だけを見て課税されたり、「行き過ぎた金融資本主義」なんてことを言われないといかんのでしょうか?
また、上記で「固定資産等」とある部分は、必ずしもモノでなくても、株式でもいいわけです。細かいことを言えばキリがありませんが、ざっくり言うと預金でなければ何でもいいと思います。
つまり、悪いのは「預金として金を溜め込むこと(左側の使い方)」であって、「内部留保が多いこと(右側の話)」じゃありません。
銀行は貸付のリスクはもうこれ以上負えないわけです(というかリスクを負えるように1兆円規模の増資をしてますが、これでは一般企業がクラウディングアウトされちゃうんじゃないでしょうか。)
資本市場経由でリスクマネーを供給し、新しい事業にチャレンジできるようにすることが経済再生の大きなポイントです。
社会に貢献してもっと伸ばさないといけないものを課税するなんて言語道断です!
以上のように考えて来ると、政府の財政赤字の問題も、デフレの議論が噛み合ないのも、政治資金規正法の問題も、会社のガバナンスや課税論議が的外れなのも、すべて、商店街のおっさんでも理解してるような会計の初歩の初歩を理解してない人が国政に携わっていることに起因するもんじゃないでしょうか。
最低でも、上に書いたような、初歩中の初歩の会計の知識は頭に入れた上で政治をやっていただきたいと思います。
(ではまた。)

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