続、8ヶ月ぶりにジャニーズの現場に行ったヲタク

9月某日、大阪梅芸。なんだか久しぶりすぎて、あんなに行きたかった現場なのに、現実味がなくて、ぼんやりしたまま当日が来て、早めに梅田入りして、遊んだりご飯食べたりしながら、いつも通りギリギリに会場入り。

会場入りしても、毎晩泣くほど来たかった場所なのに、本当に現実味が全くなくて、現場に入ったあとって、いつもどうしてたんだっけ?って考えながら、なんとなく席について、みんなマスクしてるなぁ、みんな静かだなぁって、少し離れたところで、冷静なわたしがいて。


でも客電が落ちて、Overtureが流れた瞬間、一気にジャニーズの現場に引き込まれて、まだ光一くんも、どのキャストも出てきていないのに、薄幕に映る「Endless SHOCK-eternal-」の文字を見ながら必死で声を殺しながら泣いた。変な客だっただろうなぁ。

外出自粛期間のあと、ディズニーやUSJに行って、おかえりって言われた時も、わたしの好きな日常を取り戻せてきている気がして嬉しいなぁって思ってたけど、わたしの1番大好きな場所はここなんだって、心の中で叫んでた。よく落ち込んでたけど、自分の心に蓋をしてたんだな、もっと強い想いを持ってたんだなって、現場に帰ってきて気がついた。やっぱり配信ではなく、自分がいる空間全体が音に包まれて、息遣いや、靴が床を擦れる音が聞こえる、スパンコールの衣装が照明に反射して自分にぶつかったり、自分の好きな世界を自分の目で見られる、この場所がわたしの場所だって。泣くとちゃんと見られなくなるから、あんまり現場で泣きたくないんだけど、8ヶ月間の気持ちがあふれて止まらなかった。

本当に8ヶ月毎日辛かった。現場がないと生きていけないのに、何も出来ないのに、2020年内の現場は中止、年が明けてもどうなるかわからない先が見えない毎日が本当に嫌だった。世の中のほとんどの人は現場が無くても平気なのかもしれないけど、本当は現場がなくても生きていかなきゃいけないのは分かってるけど、多少嫌な事があっても、この日まで頑張ればコンサートに行ける、舞台を見られる、そうやって人生のほとんどを過ごしてきたわたしには出来なくて、仕事にも行けなくなって、辞めて、部屋に塞ぎ込んで、生きる意味も分からなくなって、死ぬ準備もして。コロナだから仕方ない。その言葉で片付けられて、でもその言葉で片付けられる人が羨ましかった。仕方ないなんて、1度も思えなかった。わたしも言えるなら言いたかった。生きていくのに必要がない人が大多数なことはわかる、死ぬかもしれない感染症と、一歩踏み出せば死ねる状況、確率は天地の差でも少数派は切り捨てられるんだな、健康って、命を守るための行動ってなんだろうってずっと考えてた。それだけじゃなくて、日々命を削ってステージに立つ大好きなひとたちも、エンターテインメントも軽視されているんだなって痛感する毎日が、楽しみを奪われたことと同じくらいか、それ以上に辛かった。


だから、日常が帰ってきた喜びだけでなくて、エンタメを必死で守ろうとしてくれてる気持ちが伝わってきて、また泣けた。「Show must go on」この状況になって、エンタメに関わる人がよく口にしてたけど、薄っぺらいなぁ、そんなに軽々しく口にしないでよって思ってたんだけど、このSHOCKっていう舞台を通して体現されてて。長年SMGOをテーマに掲げてきた舞台だけど、こんな表現をするんだって、驚いた。どれが正解かなんて、決められないことだし、どの決断も色んな想いがあってのことなのは承知の上だけど、言ってしまえば、この事務所くらいの規模になれば、「やらない」選択をする方が簡単なことで。それでも大きすぎるリスクを背負ってでも「やる」決断をしてくれて。これはわたしの憶測にすぎませんが、もしかしたら上の人は反対したかもしれないけど、この状況をなんとかしようとずっと考えてくれていた座長だったら、説得してくれて実現した舞台かもしれないな、とか。

最大限安全に実現するためにどうするかをすごい考えられていて。客への注意喚起も劇場の方が声を出さなくて良いようにプラカード方式にしたり、一般の紙チケットは客がちぎったり、大きく取り上げられていたようにフライングや階段落ちはカット、殺陣も過去の映像とストップモーションで表現。演者と演者の間もなるべく開けて、小道具の受け渡しや客席降りカット、触れ合う振り付けも減らして、衣装や大きなセットも最小限。休憩無しの1時間50分、歌唱やセリフも極力演者同士が向かい合わせにならないように配慮されていたり、換気が難しい落ち込んだオケピは舞台上に作られていたり、長年見ているとはいえ、年に1回なのでそんなライト層のわたしでもここまで気がつくくらいに、徹底されていて。なにより、約20年間座長が作り上げてきたSHOCKに無駄な部分なんてひとつも無くて、それをやむを得ないとはいえ削り落としたものを客前に出す、誰よりも強いこだわりとプライドを持っている座長の気持ちを考えると、きっと本当はそんな事したくなかっただろうに、そこまでして実現してくれた気持ちが嬉しくて、また泣いた。でもOnedayは確実に屋上にいたし、確実に殺陣はやってたし、コウイチが階段から落ちる瞬間は息を呑んだ。


舞台後半、夢幻でいつもの赤い布が降りてきて、補助のふたりが布を広げて、今できるところまでやるんだな、夢幻の群舞好きだからカットじゃなくてよかった、と見ていたら腕に赤布を巻きつける座長。え、と思った瞬間ふわっと宙を舞って。落ち着いたはずの涙が止まらなかった。きっとフライング無しでも満足の舞台だったと思うけど、やっぱり見たかったし、今できる最大最高のものを見せてもらえて、嬉しくてたまらなかった。傘フライングも見れた。


エンタメと、エンタメを愛する人への愛に溢れた1時間50分でした。あの日、死を選ばなくて、生きててよかった。わたしの大好きなSHOCKが見られる日まで、大好きな現場に溢れた日常が戻ってくるまで、頑張って生きようとようやく思えました。大変な道を選んでリスクを背負って舞台に立ち続ける決断をしてくれた座長、キャスト、アンサンブルのみなさん、それを支えてくれるスタッフのみなさん、本当にありがとうございました。どうか千秋楽まで、無事に走り続けられますように、とこんなに強く願ったことは今までも、きっとこれからもありません。