コラム:EUの地政学的混乱 第二章:スペイン編

 ヨーロッパの地政学第二回は、時間を少し飛ばして大航海時代のスペインの地政学です。その直前に起こった十字軍の遠征やユーラシア大陸の東西交流なども地政学的には興味深いのですが、それはランドパワー同士の交流であり、現在のグローバル社会におけるEUの混乱を説明するものではありません。

1.大航海時代の地政学

 15世紀までずっと、ヨーロッパ近辺における世界の中心は地中海のままでした。それは大航海時代の直接な引き金を引いたのが、オスマン帝国の地中海の掌握であったことからも明らかです。オスマン帝国は地中海の交易に巨大な関税をかけることで、従来の経済秩序を激変させました。

 地中海だけが西洋の海だった時代であれば、オスマン帝国の地中海の支配はヨーロッパ世界を制する決定打になったでしょう。しかし、羅針盤やキャラック船を始めとする15世紀の航海術や船建造技術の進歩、そして何よりもユーラシア大陸の東西交流の発展は、オスマン帝国にただ従うのではなく、オスマン帝国の支配を超える新たな物資輸送ルートの開拓を行う方向にスペインやポルトガルを進ませました

 これが大航海時代と呼ばれる時代の幕開けです。この物資輸送ルートの開拓は大成功し、世界の中心たる海は地中海ではなく大西洋になりました。特にスペイン、遅れてポルトガルが行ったアメリカ大陸からの物資略奪は、スペインに栄光の時代を齎すだけでなく、ヨーロッパを大きく発展させることになります。スペインの栄光は、大西洋が世界の中心たる海の時代に大西洋を支配したことに起因するのです。

 地政学においては世界の支配者は海の支配者、シーレーンの支配者です。即ち、「どの航路が今の世界において重要であるか」がそのまま世界の支配者を決定します。その意味において、黄金時代のスペインは正に世界の支配者でした。南北アメリカ大陸の持つ豊富な富は一度の略奪で略奪者の人生を一変させ、豊かで幸福な人生を約束しました。新航路の開拓と略奪すべき領土の奪取は当時の世界最強の手であり、ポルトガルとスペインは正に世界の二強国家として発展を極めました。

 この二国の発展には二つの理由があります。一つ目は、国王を中心とする絶対王政の確立にあります。地政学的に見て、絶対王政の持つ強みの一つは意思決定の速さです。とにかく国外に進出して略奪すれば幸福になれる初期の大航海時代においてはこの意思決定の速さは決定的でした。

 そしてもう一つは、スペインという国家の成り立ちにあります。ポルトガルやスペインはイベリア半島に国を構える半島国家であるため、一般的には国家維持の為に陸軍と海軍の両立が必要となります。しかし、精強な陸軍と海軍の両立はリソースを互いに食い合うため、現実的には不可能です。これを一手で解決できるのが、半島国家と大陸を繋ぐ入口を守る宗主国が存在し、その宗主国が精強な陸軍を所持するというパターンです。

 当時のイベリア半島はポルトガルのほかに未来のスペインとなるカスティーリャ王国とアラゴン王国、ナバラ王国が存在しました。当時のスペイン王国はカスティーリャ=アラゴン連合王国だったのです。

 地政学的には、この構造が効を奏しました。上記のとおり、二つの国家が協力してそれぞれ陸軍と海軍を持つことで、半島国家の片方をシーパワーに作り変えた上で国家の維持が可能となるからです。当時はフランスもイギリスやオランダなどと戦争を繰り広げていたのでアラゴン王国だけでも防御力は十分でしたし、ポルトガルもカスティーリャ王国の陸軍の弱さは海軍に軍事力を回すことができるので歓迎していました。

 これにより、ポルトガルとスペイン…というよりはカスティーリャ王国は海軍の維持だけに注力することができ、結果として大航海時代における先陣を切ることに成功したのです。とはいえ、この結果をもたらしたのはコロンブスの航海成功があってこそでした。この二国は、海の向こうにすぐアメリカ大陸があったことも含めて、極めて幸運であったと言えるでしょう。

 しかし、スペインの栄光は長くは続きませんでした。これから先はイギリスの地政学の話になりますので、ここでは割愛します。

2.現代スペインの地政学

 現代の話に移りましょう。現代スペイン、およびポルトガルの地政学は、下記noteの現代イタリアの地政学と重ねて考える必要があります。


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