コラム:反差別主義の戦略的欠陥と宗教の価値

 我々は差別が悪とされる社会で生きています。基本的には差別はない方がいいでしょう。一方で、反差別主義者が反差別主義を徹底できず、なぜか反差別主義者が狂信者の如き行動を取り始め、独裁に走ってしまうことが多い、というのは実例から大部分の人間が概ね納得する所だと思います。いったいなぜなのでしょうか。

 あまりうれしくない結果なので、ゾーニングのための金額を設定します。

 地政学において、社会は分業が行える閉鎖空間であり、分業とは制御された双方向の搾取です。今、分業された社会においてt完全弱者とt一般強者、t完全強者を定義します。

 t完全強者は期間tにおいて自らの能力だけで必要な物資生産を全て行う物資生産力がありながら、集団に属している人間です。彼らは集団に属して分業の利益を得ることで、更に豊かになることができますが、いつでも集団を抜けることができる人間です。従って彼らは、自分が気に入らない分業を破壊しようというインセンティブを持ちます。

 t一般強者は期間tにおいて本来は何らかの物資生産力に欠けているt弱者ですが、集団に属して分業することでt強者となる人間です。彼らは集団に属して分業の利益を得ることで、更に豊かになることができますが、集団を抜けることはできません。

 t完全弱者は集団に属していながらも、その集団において生産される物資が自身の必要量に足りていない人間です。彼らは集団に属していながらもなお、物資生産力の足りないt弱者です。

 一般に、t完全強者は集団の中でも融通側のポジションを取ります。彼らの両親戦略は「できるなら常に物資を融通する」という戦略です。両親戦略をとる相手からは足りない物資を融通してもらえるため、同じ戦略を取るもの同士での一方的な搾取が殆ど発生しません。従って融通し合える関係ならその関係は維持し、融通出来ないならばその関係は切り捨てることで、t完全強者は集団内においてリスク対策のt完全強者の小集団を作ることができ、これによって互いに物資を融通しあい更に物資を手に入れることができます。

 一方で、t完全弱者はその逆です。集団の中で搾取側のポジションを取り、「可能な限り常に物資を搾取する」という戦略である子供戦略を取らされます。子供戦略をとる相手には足りている物資が全て搾取されるため、同じ戦略を取るもの同士での物資の確保が成立しません。当然、t完全弱者は搾取せざるを得ないt完全弱者以外からは相手にされず、集団内で足を引っ張りあうt完全弱者の小集団を作ります。この集団は属する集団全体から搾取し始めます。

 こうして、t完全強者の小集団への物資の安定供給と、t完全弱者の小集団からの物資の安定搾取が発生します。そして、この二つの小集団の誕生はどちらも集団全体に取っては有害です。理屈は違えど、彼らは共に集団全体が分業で生み出す物資を小集団内に集約しようと試みるからです。

 t完全強者とt完全弱者は、それぞれ有り余る物資生産力があるものと物資生産力が足りていないものの組み合わせです。従って、t完全強者からt完全弱者に物資を流す仕掛けを作れば良いのですが、t完全弱者はt完全強者に払える対価がありませんので、t完全強者からt完全弱者への物資流通は通常あり得ません。

 これを無理やりにでも流通させれば、理論上は問題ない気がします。では、なぜうまくいかないのでしょうか。

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