コラム:EUの地政学的混乱 第一章:イタリア編

 コロナウイルスの影響で大きく不安定化しており、おそらく衰退を免れないのが現在のヨーロッパです。しかしながら、地政学的にはコロナウイルスは切欠にすぎず、EUという枠組みを今の形に作ったこと自体がヨーロッパの衰退の元凶であると考えます。

 今回から、何度かに分けてEUの地政学について書いていきます。分ける理由は、ヨーロッパの発展を評価するためには、古代ローマからローマ帝国の地政学、そして大航海時代のスペインの地政学、第一時大戦のドイツと英国の地政学を順を追って理解する必要があるからです。

 なお、以下のコラムにおいてシーレーンとは海の輸送路、ランドレーンとは陸の輸送路、シーパワーとは海軍主体の海洋からリソースを得る国家、ランドパワーとは陸軍主体の内陸部からリソースを得る国家のことを指します。

1.ローマ帝国の地政学

 さて、古代ローマがローマ帝国に成長した理由は、エジプト文明が発展した理由と大きく関係しています。両者の共通点は何でしょうか?

 地政学的な模範解答は、「当時の世界には地中海以外の海が存在せず、この二つの国家は地中海を支配するシーパワーであった」です。その理由は当時の侵攻可能距離の短さにあります。陸路を行って地域を越えるには数ヵ月はかかりますし、食物を確保できない海路は死の道でした。加えて、ローマには天然の城壁たるアルプス山脈まであります。

 確かに東方からの別民族の小規模な攻撃は有りましたが、遊牧民族が登場するまではランドパワーがローマに来襲することはできなかったのです。

 古代ローマは地中海から海の恵みを受けると同時に、イタリア半島を核として地中海周辺の領土と物資をやり取りすることでその栄華を極め、帝国への道を歩んだのです。古代ローマの繁栄は即ち地中海海路という強力な物流輸送路とその周辺国家の発展でした。最終的には、古代エジプトを打ち破ったことでローマ帝国は地中海の周辺地域を全て支配するに至りました。

 即ち、ローマ帝国は、地中海だけが唯一の海であった時代における地中海の支配者だったのです。物資輸送路を握ったシーパワーだけが、その物流効率故に世界の盟主足りうるという地政学の原則はこの時代から既に有効でした。

 しかし、ハンニバルが活躍したポエニ戦争の流れで分かるように、古代ローマには「国内で点と線による支配を行っている」という発展途中のランドパワーの特徴も存在します。これは国家内の物資生産と移動に制限が極めて多く、鉄道や自動車が存在しなかったために侵攻可能距離が極めて短かったことに起因します。

 当時の戦争の主役は歩兵でした。歩兵の侵攻可能距離は、行って帰ることを考えると高々40kmといったところです。大きくて精々直径5km程度のサイズの町同士を、馬などを使う前提の長さ20km程度の街道で繋ぐことで国家を構成するようになるのは必然でした。

 つまり、古代ローマはシーパワーであると共に最強のランドパワーでもあったのです。現在の最強のシーパワーであると同時にランドパワーでもあるアメリカの逆のような国家でした。

 しかし、ランドパワーとしてのローマ帝国は街という点を大量の線で繋ぐ構成から大きく変貌することはできずじまいであり、ランドパワーとしては際めて脆弱でした。国内では軍の進撃が間に合わないほどに規模を広げてしまっていたことは、既にハンニバルの時代から分かっていたことです。ローマ帝国が分裂したり、遊牧民の進撃を止められなかったのは、軍の侵攻可能距離を大きく逸脱した規模にまで国土を広げてしまったことも大きな原因となっています。海上を行く船とは異なり、ランドパワーが規模を拡大することができるようになるためには鉄道の発明を待たねばなりませんでした。

 とはいえ、ローマ帝国の栄光を支えていたのは地中海の海路という強大な物資輸送路であり、ローマが地中海周辺の国家を全て押さえたのは地中海の海路を使い尽くすための必然であったと言えます。

 そして、この物資輸送路の核となっていたのがイタリア半島でした。地中海のあらゆる海上物資輸送路はイタリア半島を経由するからです。最終的にはローマ帝国は東西に分裂して滅びていくことになります。地政学的には、ローマ帝国の終焉はイタリア半島がローマの核ではなくなり、物流路が崩れたことに起因すると説明します。

 当時の国力はほぼ全て農業の収穫によって決定されていました。即ち小麦です。しかし、末期のローマ帝国においてはイタリア半島では高級な嗜好品ばかりを生産しており、小麦の生産が滞っていました。小麦を生産していたのは海路で向かう属国です。当然そこには即座に軍が向かえず、常駐する弱い軍で支えるしかありません。つまり、小麦を生産している場所に誰かが決定的な攻撃をおこなえば、ローマ帝国は滅びることになります。現実の歴史では、そのような構造の西ローマ帝国に対してそれを行ったのがゲルマン人でした。

 ローマ帝国はグローバル世界の雛形と言われています。即ち、グローバル世界の利点である「物資輸送の超効率化と最適化」で発展し、欠点である「最適化で発生した人余りは全て負債になる」ことと、「輸送路が劣化などで滞ると全て崩れる」ことによって崩壊したからです。ローマ帝国は、非効率であれイタリア半島における小麦生産を決して止めるべきではなかったのです。国民への給付もインフラ維持の仕事をした上に行うべきでした。それは重要なリスク対策だったのです。

2.現代イタリアの地政学

 これらの物理的な制約を元に、イタリアの地政学の説明に移ります。

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