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答辞

2023年3月18日、京都産業大学卒業式(学位記授与式)に参加しました。

卒業にあたり、たくさんの祝福の声をいただきました。

ありがとうございます。


とうじ【答辞】
祝辞・送辞などに対する答礼として述べる言葉。

デジタル大辞泉、「答辞」の意味・読み・例文・類語


わたしからの答辞


少し濃くなった青空と暖かな日差しに心地よさを感じるとともに、目の痒みが気になるこの頃。春の訪れを感じます。

2023年3月18日。私は京都産業大学での所定の課程を修め、学位記を受け取り、卒業します。また、卒業に合わせて中学校と高校の教諭一種免許状(保健体育)も受け取りました。

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いまからおよそ4年前の2019年4月1日。新しい元号が発表された時、私は大学の食堂にいました。発表の翌日、私は京都産業大学の入学式に参加。私は平成最後の/令和最初の入学生になりました。

出願資料に添付した画像が学生証に載るとは思わず、入学前の垢抜けぬ顔を4年もの間、常に携帯していました。覚えれる自信がなかった6桁の学生証番号も、今は当たり前のように暗唱することができます。


1年目:ステップ・アップ


「これが大学か・・・!」

教職課程の履修要項と学部の履修要項とにらめっこしながら、先生方にアドバイスをもらいながら、時間割をつくる。"体育" という科目はなくて、15回ずっとダンスをする。

1限の日は朝5時半に起きないといけないな。
午後からは授業がないから早めに帰るか、図書館に行こう。

高校の時に何となく想像していた大学生活がそのまま再現されていて、違和感も感じつつ、楽しい日々を送っていました。学びたいコトをとことん学べるという環境は私にとって幸せそのものでした。

同時に、学びの深さを知ることになります。先生方の専門分野から授業の名前まで。今までの9教科とは明らかに異なる環境に、ワクワクしつつも、自分は何を専門的に学ぶのだろう(まぁ、今は分野の多さを味わうだけで十分かな)みたいなことを考えていたわけです。

学会や研究会に参加すると良いよ、という先生方の助言から、いろいろなイベントに参加しました。青春18きっぷを利用して横浜に行って、慶応義塾大学の駅前でスターバックスに行って、そのまま学会に行ったら知ってる先生に「なんでいるの!?」と言われ・・・。

長野県へ災害復興ボランティアに参加するなど、高校から取り組んでいたことの延長線上にあるようなことも。

高校生から大学生へ、私はしっかりとステップアップしました。


2年目:ただ、できることを。


私のもとへの第1報は、2019年の12月31日でした。


リモートだとか、Zoomだとか、今となっては当たり前の言葉が広まるきっかけとなったコロナ禍。4月から始まるはずだった新年度授業は開始が1ヶ月遅れ、土曜日にも授業が行われるというイレギュラーでハードなスケジュール。

困惑するのは学生だけでなく、先生方もでした。画面共有の仕方、チャットの見方、LMSの使い方、セキュリティ面の問題。突然の環境の変化に対応しきれない人が相次いだように感じます。

もちろん、私もその1人でした。

ただ、操作や何かの方法が分からないという気持ちより、これからどうなってしまうのだろうという不安と、どうにかしないといけないという焦りが大きかったような気がします。

廊下が無くなった大学に、雑談と繋がりが生まれない。
消しゴムが落ちても、拾うのは自分だけ。


"双方向性" と"1つの場に集うという性質" が無くなった大学授業をこのように表現した私は、本来あるはずだったこれらを取り戻すために "必死" になります。

自分が学生ファシリテータとして担当していたクラスは、リアルタイム授業にしていただき、クラスによっては授業後も受講生同士が会話できるようにしたり、同じコミュニティに所属する人と交流する場を設けたり。

その原動力はものすごくシンプルなものです。

ただただ、私が寂しかったのだと思います。そして、私のように寂しいと思っている人がきっといるはずだ、と。この寂しさを解決できるように(紛らわすために?)私ができることをやろう、と。

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『ハチドリのひとしずく』というという話があります。

どこかのタイミング(たぶん高校生)でその話を知った私は、この頃、物語に登場する「私は、私にできることをしているだけ」という言葉を胸に刻んで行動していました。気になる人は調べてみてください。


3年目:ブラッシュ・アップ


3年次生になり、京都市内で1人暮らしをはじめます。正直、2年次生の頃以上に孤独を感じる機会が増える日々でした。少しずつ対面授業が増えてきたのに、学内にいる学生の数は戻らない。

オンライン授業というものが始まってから、大学や授業というものの捉え方がガラリと変わった気がします。まるで塾のような感じに。

2年目を迎えたコロナ禍は、私にとってブラッシュアップの1年でした。急いで場を作るのではなく、よりよい場やモノを作ろうと。

テレビのない1人暮らしの環境になったため、パソコンと向き合う時間が増えました。例えば、見やすいパワーポイントのスライドを考えてみたり、少し手のかかることをしてみたり。自分の腕を磨く、そんな日々を送っていました。といいつつ、大半の時間は「暇」で、いろんなことに手を出していたように感じます。

いつの間にか、就職活動も終わりました。


4年目:Well-being(自分と向き合う)


4年目は、自分と向き合う時間がものすごく増えました。就活とか、コロナ禍での色々な企画とか、3年目までは "他者からどう見えるのか" を強く意識していたのかもしれないな、なんてことを今になって思います。後悔は全くしていませんが。

この1年は、ウェルビーイングというものに触れる時間がありました。相手の幸せじゃなくて、自分にとっての幸せを考えるという初めての機会。参加したプロジェクトそのものはとても充実していましたが、自分と向き合うというものは、時に苦しいもの。

それを他人に話したり、文字にする機会もありました。そんなことを通していくうちに、「だいちさん、最近ようやく自分のことを話すようになった」と言われたり。色んな企画をしている中で、素の自分自身を後回しにしていたことに気付いたわけです。

そんな日々を言語化するなら「揺れるアイデンティティ」。

その揺れを通して、創られていく自分らしさ。

何ができて(苦手で)、何がしたくて(したくなくて)、何が好き(嫌い)なのか。自己認識とか、正義感とか、自分の魅力とか。自分を認めるために向き合う、そんな時間を過ごしました。


さいごに


「“大学生だからできること” をやろう」と決めて過ごした4年間でした。

大学生として、単位制という制度に則って学士(健康スポーツ社会学)や教諭免許(中高, 保体)を取得しました。ただ「本当にこれらに見合う知識や技能があるのか?」という質問に、いまは自信を持って首を縦に振ることはできません。

だからこそ、これからも、学びは続きます。

“何に関心があるのか” とか “学び方” みたいなものは4年間で知ることができました。4年間の学びで広がった視野を、これからの仕事で活かしていき、どんどん引き出しを増やしては、その中にある情報をアップデートしていきます。

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そして、最も深く長い時間を過ごした学生ファシリテータという場・組織について。

学生・教員・職員・伴走してくださった方々など、多くの人の関わりによって産まれる経験や学びは、たとえ些細なことであっても、今の自分にとって大切なピースになっています。

たくさんの経験をすることもできたし、たくさんの人を支えることもできたし。たくさんの素敵な人に出会うことができました。

これからの私にとって「“行ってきます” と “ただいま” を言える場」です。

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学部学科の科目・教職科目・キャリア科目をはじめとした大学の授業、学ファシ、教育実習、様々な企画、人間関係、一人暮らしなどなど…。本当に色んなことを経験しました。

卒業するにあたって、全ての出来事を綺麗事にするつもりはありません。他人に迷惑をかけたり、そんな自分が嫌になったり、思い通りに行かなかったり、孤独を感じたり…。悲観的な気持ちになる日々も珍しくはなかったです。

そんな日々を通して、“自分らしさ” が創られました。

この4年間。年齢や大学、居住地の垣根を超えて、たくさんの人と出会い、話せたことは、これ以上ない幸せです。

時に支え、向き合い、見守り、楽しい時間を過ごしてくれたり。私の大学生活を実りの多い時間にしてくれた全ての人に感謝しています。ありがとうございました。


以上を持って、私からの答辞とさせていただきます。

2023年3月
京都産業大学 現代社会学部 健康スポーツ社会学科
高木 大地

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