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誰そ彼に出逢う場所――【自称SV考察前編】何が『古来』で『未来』だったのか それと最初2ルート

はじめに――何が『古来』で『未来』だったのか


(1/10) 中編は現在になっても投稿されていません。おそらく続きは書かれないでしょう。
また、本文の多くを削除しました。
話が通らなくなっているのはそうです。

この問いの立て方で、問題意識は十分理解されるであろうか?

『ルビー』『サファイア』における陸と海の役割は明確である。『エメラルド』でのダイゴのコメントを思い出そう。どちらも大事な自然の構成要素であり、カイナシティの海運やフエンタウンの温泉は、グレンのような噴火や超古代ポケモンの痛ましい災害と隣合わせにもたらされる自然の恵み、共存すべき存在だ。

DPtサーガでの時空神とは、ミオ図書館の哲学者の言葉を借りるなら心の存在と不可分であり、科学的な調査だけでなく、神を信じる心のように人々の『想像』の中にこそ大事なものがあるという主張だった。
少しわかりにくい面はあるがこうして作中ではっきり答えらしきものを言っている。

『X』(つまり、ヨコ)『Y』(タテ)の形をしているポケモンは、戦争の中で『与える者』『奪う者』として強調された。メスライオンの群れを統率するオスライオンで例えるならば、ともだち達は五人で『ヨコ』の関係を作って群れながらカロスを回り、それを斡旋したプラターヌも比較的控えめで『タテ』の支配的な関係を作りたがらない、我を出さない性格だった。

 そして同じく四+一人であるフレア団の科学者達は、孤独に『与える者』を志しながら『奪う者』にまわったオスライオンであるフラダリの寄る辺となることが、少なくとも語られている範囲では出来なかった。それは傷付け合うことを恐れて直球に『意見をぶつけ合』うことをしなかった本編(notパシオ)でのプラターヌも同様である。
 まあ世間の解釈的にはただの友達のプラターヌに重い期待を寄せすぎ…となるのが一般的であり、自分もある程度はそれに理解を示すものであるが。

BWにおける『理想』と『真実』は、ソウリュウシティやホワイト/ブラックシティがバージョンごとに対応しているのである程度はわかりやすい。古くからの生き方と未来的な生き方、どちらともに理解を示し、

『同じ時代に2人の英雄
真実を求めるもの 理想を求めるもの
ともに正しいというのか?
・・・・・わからない
異なる考えを否定するのではなく 異なる考えを受け入れることで 世界は化学反応をおこす』
みたいな態度を示すことが、良くも悪くもBWの根底を貫く主張である。こちらもしつこいぐらいはっきりと作中でパケ伝と対応するワードで答えを言っている。

これらに比べると、SVのテーマ候補として挙がり得るものはどうにも多過ぎる。

ストーリー開始前の最初に、『伝統から学び強く大きく育つ』『個性を 重んじ 未来 を切り開く』という校是が提示されるが、あまり本編との分かりやすいリンクはない。
スター団は噂に惑わされずに『正しく歴史を理解する』話だが、言い換えればそのぐらいである。

小型機械化した、悪く言えば没個性化しているコピペロスの再来のようなポケモンがどう個性と対応する、あるいは対抗するのかもちょっと不明である。
(古代パラドックスが大きいのは校是と対応しているのかもしれない)

先に自分の説を言っておけば、オカルトという"信じられていない噂"に執着していた博士/ブライアとの向き合い方こそが今回『古来/未来』が象徴する事項だ、というのが僕の意見である。

それを導く為に、今のところの自分の見立てを述べる。

かつて太陽の沈まぬ帝国と称された地球上の地がモデルのパルデア地方には、上空に光が存在し、それはさまざまな噂という分光器によって色付けられる。

そこでは、竜が宝物を洞窟に隠すように、人々の心には噂にのぼらない『巣穴』が存在し、互いに秘密を隠し持っている。

(物語構造上は)それを共有することこそが親密さのひとつの証であり、程よく具材の乗ったサンドイッチを作れた者は、自分の欲望に押し流されずに航海を継続できる。


サワロの授業。上で突然降って湧いたサンドイッチ論の引用元

―以上、これを導く為に長々とsvを振り返って行く。

パルデアという楽園

『袖振り合うも他生の縁、躓く石も縁の端くれ! 共に踊れば繋がる縁!この世は楽園! 悩みなんざ吹っ飛ばせ! 』

 ドンブラザーズ第三話より

AI博士や博士本人のメモが言及する楽園だが、プレイヤーにとってはここ、パルデアの大地こそが『ポケモンと人が仲良く暮らす』楽園である事は論を待たない。――待たなくない?

↑本来縄張りを奪い合うはず(byミュウ逆)のポケモン同士が群れをなして仲良く暮らす図

上のような光景は、割と頻繁にSVのフィールドで見られる群れのありようである。
コジオ辺りを探すとわかりやすい。
 いやちょっと待って欲しい。意見を押し付ける気はない。ただまあ、元々考えを同じくする、たぶん少なくはない人達からしたら、わざわざ僕に言われなくても笑っちゃうほどに明確だろうな、と思うのだ。

インターフェイスや対戦ルールの整備を『犠牲』にした形で強化されたグラフィック。誰もが好んだ訳では無いものの、少なくとも僕にはガン刺さりしたし、そこは評価する人も一定数いた。

ポケモンの新規系統の追加は近年でも非常に多い。これは特筆すべきことである。通常ポケモンもパラドックスポケモンも、決してパルデアを訪れたり、少なくとも情報に触れた者なら一匹や二匹はポケモンの推しが出来ただろう。


そしてその美麗グラフィックで繰り広げられるピクニック。もう言うことある?

小学生の頃あんなにサトシ達を羨んだ『みんな、出てこーい』を今更ゲーム内で自分で体験出来るという事実。

繰り返す。少なくとも僕にとって、楽園とはパルデア地方そのもの自体のことであり、ぼんやりと街や外を歩いているだけでも『センス・オブ・ワンダー』に出会い、発見できる。

これは自然に見えて人工的なことであり、少なくとも大人にとって、慣れ親しんだ街は必ずしもそう映ってはいない。

ここでの『センス・オブ・ワンダー』は基本的にポケモン達のことだが、本当に魅力的な者の多い人間の推しキャラに置き換えても構わない。それぞれの宝物を大切にしている姿は間違いなく、プレイヤーにとっての『宝物』である。

本物のスペインの首都には、「マドリードから天国へ。そして天国にはマドリードを見る小さな穴を」という言い回しが存在する。

日本語での明確なソースは見付けられていないものの、NHKが触れているので花言葉などと違い、たぶん根も葉もないものではないのだろう。

グルーシャは、博士は、天国から穴を覗いて生き物の楽園を羨み続ける。
それでもグルーシャにはバトルが残されているが、博士にはそれもない。
物理的に、彼自身は死んでいるから。

冥界降りにおいて振り返りさえしなければ、方違えを侵して穢れを貰わなければ、彼等は生者を文字通りの楽園の守護神として見守り続けることだろう。

ここら辺はホームウェイの項で再確認する。

>ずっと そばで見てるよ バックアップは任せて
>いつでも I love you 君に Take kiss me.
忘れられないから 僕の大事なメモリー

 おちゃめ機能 歌詞

ここまでが7割。追加のもう1割が御三家についてである。

御三家という主人公

クワッスだった時のストイックで真面目な本質を水面下に隠し、優雅な演技を続けるアスリートの白鳥たるウェーニバル。

ニャオハだった時の人好きな本質を仮面に隠し、トレーナーからの寵愛の為華麗に在り続けるマスカーニャ。

ホゲータだった時の優しい本質を強靭な肉体に隠し、現世と冥界を区別せずに鎮魂歌を歌うラウドボーン。

明確な主人公像が仮にあったとしても前に大きく押し出せない分、普通の物語における『主人公』の役割は今回御三家たちが担っていると言っても良い。

それは、変わり果てたその姿が本当に『なりたい自分』だったかは諸説あるものの、成長して歪んだ中でもその本質(元)を失わず、そのすべてが祝祭をモチーフにして、呪いに満ちた現世を祝福の光に満たそうとする存在達である。

ここら辺は『放課後のブレス』でもクローズアップされている。皆とうとい。

なお、マスカーニャの仮面――については、ずっと後、最後の章で詳しく言及することになる。

『パルデア』の魅力そのものはこれで本当に語り尽くしたと言っていい。

そして残りの2割が人間キャラの細かいあれこれについてである。

スター団という本来不要で、退場したヒーローの光

スター団という名前について。

スター団の初出の強引な勧誘の時に『スター団に入れば』かがやけるんだよ――と言ってはいるが、全体を通して製作者的に由来として欲しいのは、かくとう組にカチコんだ時の『小さな光も集まれば星座になる』のところだろう。

ここで最初に突拍子もない引用をするが、ヒーローとは一種の必要悪である。

親愛なる読者ならば、ボタンさんの部屋にヒーローの壁紙があるのは知っているだろう。

これをどこまで大きな要素と評価するかは好みに任されているが…

ボタン本人の趣味というよりは、ここでは『戦隊ものを思い浮かべて下さいね』というスター団周りのメタ的な補助線として扱う。

で、本邦の子供向け代表的ヒーローとして、まずは「スーパーヒーロータイム」で括られる東映の二大特撮とアニメのプリキュアシリーズを挙げさせてもらうが、これらの共通点としては『悪の組織』というシナリオ上の鋳型(テンプレ)があることである。

ヒーローは悪と戦う。すべてではないがいくつかの場合、それを通して友情や新たな成長を獲得する。

SVの場合、ピーニャはその在り方を変えるのにスター団が不可欠だったが、オルティガが『親やお金に頼らず』自立するにあたっては、ピーニャほどスター団の存在が不可分だったとされる訳では無い。

それを踏まえて改めて自分自身に問おう。いじめっ子が『そもそも存在しなければ』、スター団構成員達の物語はどんなものになっていただろうか?

もちろん、歴史にIFがあり得ないとする立場からは、これは意味の薄い仮定である。

しかし、『蒼の円盤』で、あるいは二次創作で、彼等の『その後』を夢想するにあたっては、スター団が成長に果たしたもの、そうではないものを確認するのは決して無駄ではない試みだと考える。

そしてその上で問おう。スター団の『スター』とは、恒星と流星どちらだっただろうか?

最近の東映特撮は特に必ずしもそう言えなくなって来ているが、『シン仮面ライダー』は物語中で組織が壊滅せず戦い続ける終わり方である。(初代仮面ライダーへの現在の人々からの印象が多少は反映している)

『フォーゼ』『HUGっとプリキュア』辺りは変身しないだけで主人公達はそれぞれの場所で人生という戦いを続けるし、『トロピカルージュプリキュア』は日常こそ続くが、戦士でなくなることによる人間関係の大きな区切りこそが最終回の物語の区切りだ。

変な引用群だが何が言いたいかというと、
悪の組織との戦いがどれだけ本編の多くを占める要素だったかは、主人公達の動機が受動的かどうかを通して直接悪の組織が倒された後の続編の作りやすさに影響する。

『ウィザード』辺りを思い浮かべてもらえば、1話ごとのゲストの悩みを助ける日常というフォーマットそのものは怪人なしでも存続可能だと分かるだろう。

『電王』辺りは敵ボスが滅びた後もはぐれイマジンという設定で強引にそのフォーマットを使い回していたし、主人公側の多くの動機が鬼へ復讐する、あるいは未来の為に倒すことに占められていた『鬼滅』の続編は、もはや鬼が滅ぶ前とは別物になるだろう。

SV本編でのスター団の出番は、いかにして『青春でかがやくか/かがやけないか』という話では『ない』。

彼等の当初の動機であったいじめっ子との対話は、部分的な失敗という形で既に終了済みである。

彼女・彼にとっての星の『輝き』はいじめに対しての砦であったことであり、それは現在もはや必要ない。

いかに日常に馴染むか…というタスクは、ボタンさんの絆イベント(寮室に入れてもらう前にあるやつ)で語られはするものの、それは主人公が介入する本編ではなく、本人達自身の役割である。(でも多分円盤で掘り下げある)

改めて確認すると、スターダスト本編とはマジボスに操を立ててスター団を解散させなかった(byシュウメイ攻略時の会話)ボス達の意地と、スター団という組織の世間からの風評の悪化を懸念したマジボスとの意地のぶつかり合いである。

ビワさんの訓練と、スターモービルをバックにして『もはや自分たちは弱者ではない』という主張をした上でスター団は対話を望んでいた訳だが、当のいじめっ子達の欲望は、殴り返して来ない相手には嗜虐欲求がそそられるというありふれた些細なものでしかなかった。だから彼等はスター団から戦わずして逃げ出した。

そして実家で療養する前も後も、マジボスが心配していたのはスター団構成員が学園という日常に今度こそ馴染めるかどうかである。療養前は『やり過ぎと思われた』『一番の黒幕である自分が「罰」、処分を受ければ、他の人達も(元)スター団の仲間を受け入れてくれる』と考えていたのだが、実際に待っていたのは『お願い』だけではスター団は解散せず、組織として変質しながらより大人や周りから厳しい目を向けられている現実であった。

マジボスにとって一番計算外だったのは、共に戦った仲間が帰って来ていないのに、自分だけ『スクールライフ』で幸福になるのは目覚めが悪いというシュウメイ達の情だろう。

自分はそのように解釈した。

この混迷した状況を打開する為には、少なくとも本編のハッピーエンドに至る為には、クラベルというまともな大人が身近に存在し、それを信頼できるという条件がボタン側に揃う必要があった。ここでもサンドイッチ論である。団員の幸福という多くを欲張る為には、誰か頼れる仲間を集めねばならない。

それは同じ立場の砦内の仲間だけではなく、歴史を正しく知ることを望む、校長の立場にある大人というクラスタ外の存在への説明が(結果論だが)必要となっていたのだ。まあ本編ではネルケ側が歩み寄っていた訳だが(あるいは、形は違っても当然そうするべきだが)。

そもそもの物語の発端は、旧アカデミーの環境に端を発する、ボタンから大人達への不信感である。

それがなければ、大人達がフィクション内のように子供を守る姿勢を見せられていれば、ボタン達が自分から立ち上がる必要はなかったのだ。(かくとう組カチコミ後イベント参照)

スター団は流星か恒星か

さて、本項の主な目的は、スター団の名前の由来に言及し、定義することであった。

普通我々が思い浮かべる『星』は恒星であり、これは太陽のように『恒常的に』夜空に輝いている星である。

一方で、青春はわずかな時間空に輝く流星に例えられることも多い。

『スター団』をなぜ我々は殴って壊滅させなければならなかったのか、友情が続くなら解散してないじゃん、という疑問への説明はそれほど明快でもないが、ではこの『スター』とは物語上は恒星と流星どちらだっただろうか?

ビワ姉率いるかくとう組へのカチコミの最初に出る説明は、スターモービル五機が『カシオペア』座を構成する星の名前であるという有名な話にも繋がってくる。

これはアラビア語由来なのだが…これは僕の自己満足と言って良い。あまり事前知識がなくても読み取れる内容の本筋についてここでは述べるべきだろう。

星座のカシオペアを構成するのは当然恒星だが、ここで答え合わせすると、最強大会でのボタンさんの肩書は「流星のハッカー」である。

本人もスターダストストリート終了時の選択肢で「カシオペア」呼びすると「それはもうやめた」と返してくる。返してきた。

ヒーローものの主人公がそうするのと同じように、彼等の友情は続く一方で「スター団のカシオペア」としての輝きは既に返上したと言っていいだろう。

まとめてこの項を復習すると、スター団の『スター』が流星なのか恒星なのかははっきりしないが、本編終了時点でのボタンさんの自認は「スター団たる所以の星としては役割を終えた」といった感じだと推測可能である。

パワースポットとチャンピオンロードの主達

◆ここは *ばんめの

   「おまえのばしょ」だ。

◆しかし いまは

   わたしのばしょだ。

◆うばいかえせばよい。

◆・・・・できるものなら。

mother2 パワースポットを守るボス達

たとえ原作をやってなくても、このセリフだけは一度は聞いたことがある者も多いだろう。

私も残念ながらその一人である。

パワースポットを守る中ボスという発想は、ジムリの誕生やキュレムにも活かされた可能性があるが、近年の作品で特に盛んにクローズアップされる存在だ。

ある時はアローラやヒスイ、パルデアのぬしポケモンであり、またある時はダイマックス興行を進めるローズと街を守るネズの対立関係であった。

そして『場所』と『それを守るもの』との対応関係においては、ジムリーダー達の存在も欠かせない。

◎直接街の人に慕われている描写がある

ハイダイ アオキ ライム(異論はあり)

◎ジム戦直前にはそうした描写がない

カエデ コルサ ナンジャモ リップ グルーシャ

一応区別してみたが、まああんましそこには意味がない。

コルサは誰にでもI like youを伝える男なので、主人公2戦目と同じことを他の小学生にも全く同じテンションで言ってるのが目に浮かぶようだ(ハンカチを噛む効果音)。

ナンジャモは本人がエレキン氏やリスナー個々人にどう思ってるか不明だし(数の増加に大喜びはする)、リップは周囲から遊離し業界用語を多用することで高嶺の花としてのブランドイメージを(自分内部にも)保ち、厳しい業界の中を生き残っているパルデアでは珍しいタイプと言える。

グルーシャ辺りは、本人の物言いのハードさを圧倒的アルクジラによって緩和しているので、自身が気付いてないだけで今もジムリーダーとして慕われているタイプと言えるか。

ってか周りに民家ないけどどっから湧いて出て来たんだグルーシャ戦の観客。

クローズアップされるか否かは別として、観客に囲まれている、そして戦闘BGMに主人公側への応援歌が響くのは全員に共通して言えるとても大事な事項だと言えよう。

ともかくここまでで主張したいのは、パルデアにおいてのジムリーダーとは街の名士であり、ことさらに中央リーグで他と競う必要はなく地元に慕われているということである。特にこの部分が第8世代のジムリーダー達とは異なっている。彼等は地元で慕われてはいても、中央のリーグで戦うことがその輝きに不可分である。
そしてついでに(大切な)ことを言えば、ジムリーダー達の輝きや慕われ方を主人公側が奪うことは、mother2とは違ってシナリオ上不可能である。望もうと望むまいと。(ハッサクを思い浮かべ圧倒的敗北にハンカチを噛む音)
これも、カロスやガラルの物語がライバル達の夢を奪うものだと捉えられたこと、SVのチャンピオンロード以外のルートすべてがまた相手の砦やスパイス、そして夢、オーガポンの愛を奪うことで何かに光を当てる形のシナリオであることとは対照的である。
ジムリーダーが歌うのは、多かれなしかれ、既に宝物を持っている側の者から主人公への応援歌なのである。

オモダカの『異質さ』とカリスマ性

 さて、そんな中で主人公に彼等への刺激となるのを望むのがオモダカさんである。

本人の言葉を借りるなら、

『研鑽された 力と力…… それらが ぶつかりあい 人々を 熱狂させ 魅了する…… 私が 想像する 理想の世界に 非常に 近い状態です 』

『おのれを 磨く主人公のエネルギーが皆様に伝導し、次々と未来のチャンピオンが芽吹くのを待っている』『人々を さらなるステージへ 導く』

のが彼女の目的だそうだ。

そして本人を信じるならジムリーダー達も彼女にとって逸材であり、言い換えれば宝物なのだろうが、しかしジムリーダー達からオモダカ嬢への評判は芳しくない。

ここに2戦目前のコメントを分類する。

◎同情的

ハイダイ

◎無関心

ナンジャモ コルサ

◎なんらかの否定的な感情を表現している

カエデ アオキ リップ ライム グルーシャ

オモダカさんとしては、ジムリーダー達に未来のチャンピオンを『優しく導』いて欲しいのだろうが、オモダカさんからジムリーダーへの好感に対して、ジムリーダーからオモダカさんへの感情は、ダンデ辺りと比べると清々しい程の片思いっぷりである。まあダンデ個人に強い感情を抱いていたネームドもホップとキバナ、ソニア辺りぐらいでそこまで多くはないのだが。

(ふんわりとした好感ならダンデにはいる)

ところで話題は変わるが、決してコミュニケーションに長けてはいない僕でも、フィクションにおけるカリスマについては一家言ある。すなわち、相手の潜在的な需要を満たすことである。

潜在的に滅びや変化を望んでいる人間だからこそ、終末的なカルト宗教に引っ掛かる。悪いとか良いとかではない。


アカギは人外として好かれているが、ネモさんのオモダカさんへの好意はそうではない。

しかし、ボタンさんなんかは代表的な被害者だが、キリキリ働かせるのにあの圧は最適でなくともひとつの解であるのもまた確かではある。

章の最後に、オモダカさんのジムリーダー評はリップとライムへの好感度が特別高いのも言い添えておく。

このうちライムさん本人は『トップにゴーストの価値を認めさせる』と言っているのを思い出そう。

アオキさんもそうだけど、要するにオモダカさんはわかるように本人に伝えてないのだ。

本人の多忙もあり、また全部むやみに口に出すことだけが唯一の正解という訳でもないが、『彼女のもっと成長できる余地』として書き残された余白だと言えよう。

ちなみに俺はオモダカとアオキのコンビ派

鬱作品好きがバレる

――という訳で、アルセウスやダンデのように唯一の太陽を描くのではなく、パルデアはその光に馴染めない者と同僚としてどうにかやっていく、という描写を取っている。

ガラルのようにひとつの『最強』にだけ熱狂し切らない国民性だからこそ、アオキが慕われている描写をより印象的なものに出来ているとも言えよう。

とりあえず前編はここまで 後で追記します
予告すると土日に頑張るわ

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