insecure

不幸でよかったな、というか、母親がいて、学校に行けて、病院の前に咲いている鬱金香をかわいいなと思える毎日の螺旋。澱みの部分をここぞとばかりに切り取って、私は不幸なんですよ、なんてドヤ顔できる精神を持っていてよかったなと思う。

自分のことを可哀想だと思える精神がなければ、絵や詩をかけなかっただろうし、 今好きな音楽に救われる人生も感性もなかった。病気も障害も底辺層のわたしは不幸の思い込みで生きている。結局。しあわせな生活のふこうの切り取り。矛盾を孕んで穢れていく姿がインターネットでは死ぬほど面白い。
つらさだとか孤独だとか不幸だとか、そういう心のしゅんとした部分は色彩で、誰にだって平等であってほしい。言葉にしてほしい。その色で絵を描いてほしいし、謳ってほしい。みんなの不幸で創作活動が捗って、芸術概念が豊かに肥えて見える。そんなもので溢れかえってしまえば、きっといつか上澄みに残った幸せであたたかいものが綺麗に見える。

芸術に嫉妬する貴方にとって、所詮はこれも御為倒しなのでしょう。

2020年5月7日

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