誰も私をわからないで

醜さに塗れた厄介で貪婪な劣情が私の傍をついて離れない。歳を重ねるごとに不浄が肉にまとわりついて神聖からかけ離れていく。都合のいいとこだけフレーミングしすぎて色褪せてきた不幸せだった頃の記憶を何度も何度も反芻して、ぐちゃぐちゃになった食塊を脳みそにどっぷり沈めて、吃逆して、四肢すべてを麻痺させたまま泥濘にずぶずぶと堕ちる。甘い夢だけを味わせててね。門徒物知らず 既視感ばかり日常ばかりで、好奇心や関心はとうに枯れ果ててしまって、在り来りな規律や道徳の布石を置くようになった。そんな状況に飽和している。何も知りたくないからくだらない拘泥を気づかないフリして皮膚と皮膚と繋ぎ合わせようとしている。気持ち悪い。脳みそ縮こまって馬鹿になっちゃったからセックスでしか気持ちよくなれない。低徊趣味なんて心の余裕があるものではなくて、現実から逃避し続けてひたすらに過去に縋ることしかないだけだってほんとは気づいている。気づいてるよ。人間に生殖本能がある限りは精神的恋愛なんてものは存在しえないように思えてしまうね。

あの頃の嫌だったことや苦しかったことの有象無象のあれこれが思い出せなくなる度、自分にとってなにか大事なものが失われていくような気がする。傷つかないことだけが幸せと定義されるのか。幸福や死を望むことを私たちは許されているのか。

インターネットでは、死にたいと感じない人のほうが異常らしいね。希死念慮を抱えておいて他人の生を希うこと、生きることの素晴らしさを説くこと、全てが陳腐で傲慢だ。馬鹿らしい。カルトにでもなったつもり?そもそも可愛くないのに幸せを望むこと自体が傲慢だよ。女の子は可愛くなければならないって何年も前から言われてるじゃん。潔白でありたい。形而上であればで美しくあれたのに、抱擁も口づけも崇高な概念であれたのに。粘膜や体液があるから生々しいのだろうか。大脳が発達しすぎて、倫理や哲学ができてしまった、私たちにはことばが必要になってしまった。美的実存のままであるべきだったね。抱擁さえも穢れの概念へと化しているものだから、欲だけで人間が繋がることができなくなってしまった。左手首の瘢痕を指でなぞって、私は一生幸せになれないと安堵する。もしかしたら、美化し続けているあの頃の記憶から私の状況は何も変わっていなくて、成長につれて物事に対する感受性が欠如していったのかもしれない。幸せになんかならなくていいよ。私たち、死ぬことや傷つくことが悲しいとか不幸だとしか思えない頭でよかったね。

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