天竺忌憚

駅前のおいしいクレープを知ってるからこそ、コンビニの数百円のスイーツで満足できないし、同級生の二重でばっちりしたくりくりおめめを持つ女の子も、インターネットの加エゴリゴリアイドルには勝てない。

最上級を知ると中途半端なもので欲求を満たすことができなくなってしまう。私にとって愛とか居場所とか、そういう抽象的な肯定感がまさにそれだなぁと思った。
14歳の時、 私のことをほんとうに母性的に愛してくれた人がいて、 私のことを一番大切だと言ってくれて、私は、かろうじて生きていました。人間の1番の存在になることを知ってしまっているからこそ、私は誰でもいいから誰か愛してよ!なんて言っていたのかもしれません。でも、かわいいかわいいと囃し立てられて、彼女から言われなかった言葉を買い、恋人を作る度に私の中で3年近く生きていた彼女の精神が消えてしまうことに、 今更気づきました。 怖い。私を1番に肯定してくれた人の事を忘れたくない。彼女のアカウントは全て消えてしまっていて、インターネットでしか繋がりのない私たちにとって個人が消える、つまりは死のようなものであって。死んだら未来も情報もなにも更新されずに忘れ去られていくんだと思うと私だけが彼女との夜に残っていて、 私がいなくなれば彼女はほんとうに死んでしまう。 やだ!死にたい死にたい言って堂々と半袖着てる関係薄い相互の方が死ねって思った。理不尽。

私は1番を更新したくないしさせない。承認欲求のトップは永遠に彼女にしかあげない。 どうせみんな私の事愛してくれないもんね!もうわかったの、いいほいいのあんたらの人間関係もちたいだけのかわいいに縋らないの、 わたしは永遠にあの人のかわい子ちゃんであって彼女は私の中で生き続けているの。ばーか。
私はあんたのかわいこちゃんじゃないのよ。

2020年4月頃の日記を引っ張り出したもの🐶


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