必要なのは『源氏物語』ではない

 「光る君へ」が始まってから、二か月余り。本屋に行くと、大抵の本屋には(複数の実店舗書店がご近所にあるのは、本当に有難い限りです)大河ドラマ関連書籍コーナーが設けられている。NHKテキスト、角川ソフィア文庫、中公新書、NHK新書、何か分かんないけど源氏絡みのエッセイ、宝島ムック、……宝島ムック? すごいや、そんな雑誌が平安時代絡みの特集をやってくれるなんて。ホビー雑誌ですよ。ホビーなんですよ。平安史、平安文学がですよ? 古文とか要らんくねみたいなことを言われるこの時代に。自分が生きている間には、もうこんなこと、これっきりなんじゃないかとそわそわします。
 しかし、そわそわしながら思うことがある。

『源氏物語』多くね?

 「光る君へ」の主人公まひろ(と呼ぶのも正直今だに抵抗がある。由来何やねん)は、いずれ紫式部と呼ばれるようになる人なわけで、紫式部は『源氏物語』の作者なわけで、確かに『源氏物語』を売るチャンスなのはよく分かる。福沢諭吉が主人公なら『学問ノスヽメ』を売るチャンスだし、武田信玄が主人公なら『甲陽軍鑑』を並べたかろう。というかそんなタイミングでもなければ、普段歴史や古典に接しない人々が『甲陽軍鑑』を手に取る機会も、手に取ろうという勢いも多分生じない。そういう意味では本当に、映像化しづらいであろうこの時代に取り組んでくださって有難いという気持ちである。
 だからこそ、「源氏物語特集」のコーナーを前に、今思う。

『源氏』じゃなくて『栄花』と『大鏡』を売ってくれ。

 『栄花物語』と『大鏡』。現存最古の仮名文による歴史物語と、現存二番目の以下同。編年体と紀伝体、道長に優しいか厳しいか、みたいなことを覚えている方々、高校で真面目に文学史を勉強していたのですね。とてもえらい。道長に対する態度は最近ちょっと異論も出ていますが、とてもえらいと思います。
 売るならここなんだよ。
 『源氏』売ってる場合じゃない。あんなのは大学やカルチャーセンターでよく教材になるし、『あさきゆめみし』とかから入る人も居るし、黙っててもある程度売れる。一方、前掲二作品はどうだろうか。そもそもみんな存在を覚えているのかも若干怪しい。しかし、ドラマの答え合わせ、先回りをして歴史のネタバレ(坂本龍馬は暗殺される)をやる面白さを見出すには、この二作品が非常に重要である。この二作品は、史実そのままではない。歴史「物語」であるから、若干の脚色が施されている。それを踏まえて読まねばならないが、それは同時に、歴史を面白く読ませるための工夫や演出がちりばめられているということでもある。

 例えば「花山天皇出家事件」 

 ドラマでは兼家が総指揮、道兼が実行役、道隆と道長と道綱がそれぞれ脇を固めるという役回りだったが、これは『大鏡』史観を大きく取り入れている。では一方『栄花物語』ではどうかというと、……何をどうしたもんか、誰にも気づかれずに内裏を抜け出し、出家を遂げてしまった。いや何か、ちょっと分かんねっすわ。という体を取っている。そんなわけないでしょ。内裏てお前皇居やんか。警備員何してんねん(と思うかもしれないが、当時の内裏は度々盗難被害が発生していたり、放火が疑われる火災が発生したりしている。大丈夫?)。惚けているといえばその通りだが、これが『栄花』のスタンスである。悪者を極力つくらない「やさしいせかい」なのである。(とはいえ、『栄花』にも当たりがきつい相手は居る。『栄花』でも馬鹿にするレベルなのだろうか)
 このような基本ゆるふわの『栄花物語』に対し、『大鏡』はどうかというと、……実はね、あたしが聞いた話ですよ、犯人は道兼さんだってんですよ! と、所謂「関係筋」「独自取材」のような書きぶりで、あんまりゆるくない話をぶっこんでくるのが『大鏡』である。このあたり、『栄花』よりも『大鏡』が数十年後にできていることが関係しているのではないかと思われる。つまり『栄花』ができた頃は、まだ子孫たちに気を遣う必要があり、「道兼犯人説」を声高に言うのは憚られたが、『大鏡』ができた頃には、気を遣う必要などないくらい弱体化していたのではないかということである。

『源氏』はスープ。

 といった具合に、見ているのは同じ時代でありつつも、歴史観やそれを語る方法(語り手の設定)など、違う味が付いているのが『栄花物語』と『大鏡』である。それに加え、『枕草子』や『紫式部日記』のようなエッセイや記録じみたものを並べていくと、いよいよ味が引き立ち美味しくなって、更に上級者はそこへ『小右記』や『御堂関白記』といった公家日記を併せて食べる。カルパッチョとムニエルに野菜とハーブがついて赤ワインと白ワインみたいなもんである。お腹が空いた。
 じゃあ『源氏』は何なのかというと、スープ。
 それだけでもまあ美味いし、そもそも色んな具材が入ってるし、色々なタイプがある(光源氏は恋愛ばっかりしているわけではない)のだが、スープは食べやすく具材が小さくなっている分、具材の背景が分かりにくいし、スープだけ飲んで料理を分かった気になってはいけない。そのスープを作るに至ったシェフの気まぐれという体の食材事情を、我々はもっと知るべきなのではないか。とはいえ、肉や魚や野菜は直に齧るのが難しいので、もちょっと分かりやすく料理されたものを食べたい。だから程よく味の付いたタタキやソテーやサラダを食べるのだ。
 それに加えてごりごりの癖あるワインを飲んでいたら、いつしかそっちの方がメインになる人も居るという……何か分かりにくい比喩になってしまったが、要は歴史物語を売るチャンスは今。今売らずにいつ売るんだっつー話です。
 ソフィア文庫の『栄花物語』はまだなのか!