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とあるvtuberに命を救われた話

事実は小説よりも奇なりという言葉がとても似合う話ですが最後までどうぞよろしくお願いします。

2019年12月25日、私は首を吊った

理由は家庭での事、自分を認めてもらえず何もさせてくれないそんな家族に対してもう耐えれなくなってしまった。友人関係では充実していたと思っている、家族のことを除けば平均よりも幸せな人生だっただろう。

その日は私以外外出しておりその日に吊ると決めていた、そして私は首を吊った。しかし偶然家に寄った叔母によって発見されてしまった。

本来だったら死んでいてもおかしくないほど吊っていたらしく医者からもこれは奇跡だと何度も言われた。私にとってはこんな奇跡望んではいなかった。

もう一度死のうとした

親は私に対しての言動は無意識にやっていたという、思ったことをそのまま言っていてそれで私が勝手に傷ついたと思っていた。学校の先生はいじめを疑った、なので学校の友達は来てはいけないと言われてしまい誰も来れなかった。警察の人も何も考えずに聞いてくる、答えたくないことをどんどん言ってくる、極めつけは記者の人達、毎日のように来て何かコメントを求めてきてそのたび親が勝手に色々言ってしまう。

家族のせいで死のうとした、しかし家族はそれを知らないし伝える必要も無い、私はどうやって死のうか考えた。

2019年12月28日、そのvtuberに出会う

それは本当に偶然だった、たまたまYouTubeを開き待機所ができていて見てみようと思った。

そのvtuberの名前は桐生ココ

その日が初配信ということもあり本当に初見で見ることが出来た。カタコトの日本語、龍が如くで覚えた日本語、漂う外国人感、それらがとても面白く見えた。

次の日の午前6時、あさココLIVEが始まる。

Vtuberを私は見てきたほうであったがこれはすごいことだとわかっていた、ネタの収集に早いコメント、面白く伝える方法、努力がわかるような配信だった。

桐生ココの考え方を知る

冬休みだったということもあり毎日配信を見れた、その中で彼女の考え方、日本人にはない発想、独特の感性、それら全てに惹かれていった。

桐生ココのファン(たつのこ)の方の中にも同じような方は沢山いるが、可愛いから推すということではなく一人の人として(ドラゴンだけど)尊敬できると思っている方も多い、たとえアンチに信者と言われても構わない、気持ち悪いと言われても構わない

最後に桐生ココに対して

私は彼女を愛している。

ここでの愛しているというのは実際に付き合いたいという訳では無いし、むしろ解釈違い。

今vtuber界隈は荒れている、ホロライブの急成長、個人勢の名が知れ渡るようになり、揚げ足をとる人も多い。しかし負けないで欲しいと常に私は思っている。

ここまで読んでいただきありがとうございました、桐生ココ会長の他とは違う何かを知りたい方、どうか彼女の配信を見て欲しい。人生が変わった人は多い(実際に聞いた)、彼女はこれから世界を変えれるほどの能力を持っていると確信している・・・(というかもう色々すごいけど)

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