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見られるの、苦手なんです

極度の緊張しいだ。
ちゃんと気づいたのは大勢の前で自分がたくさんのことを説明しなきゃいけない機会があった時。

自分の全体から血の気はひいていき、手は触ってもないのに冷たいのがわかった。動悸が激しくなり頭痛と吐き気に襲われる。当然声は全然出なかったし、覚えてきた文章全てほんとに脳からいなくなった。何を喋ったのか言ったそばからわからなくなる感覚。苦しいほどに覚えている。

人と会話するのが大好きで、配信アプリで1人で喋っているほどなので信じて貰えないかもしれないけれども、見られるとてんでだめなのが自分でも可笑しい。

「ガッカリされたらどうする?」という言葉だけに頭を支配されてしまうようだった。


先日は成人の日だった。
あざやかな振袖を着てニコニコ談笑するかわいい女の子たちを見て「キラキラして眩しい〜!」「かわいいね」と夫ときゃいきゃいしていて自分の成人式をふと思い出した。

...ここから明るい話になるのか!?という期待はしないで欲しい。ある意味裏切らないという約束を今からしておこう。嫌な人はページバックして欲しい。


当日私は逃げるように式から帰った。見られるのがわかっていたし、実際に元同級生からはたくさん見られた。見られると思ったから同窓会は出席しなかった。


15ですこーし重めの病気になったために、中3の秋に入院・転校し、闘病中在籍もしていないのに様々な大人を動かして卒業式だけ無理を言って前の学校にサプライズで参加させて貰うという『悲劇ヒロインお涙頂戴パフォーマンス』をしたことがある(こんなことを言うと各方面から怒られそうではあるが自分で言ってるだけなので許して欲しい)。

振り返ればそう思うだけで当時の私は必死だった。ただ、子供が出来るのは希望をいうだけで「秋まで通ったんだから卒業式だけは出たい」というわがままに大人たちは相当苦労したと思う。ありがとうございます。

病気で転校した同級生が卒業式だけ戻ってきたとなればやはり注目はされる。いや、それは別によかった。先程も言ったように、多分『来た』というだけで最大のパフォーマンスだったのだから。なんならコスパ良しだ。

ただ、少し入院して戻ってきての卒業式というわけじゃなかったからか、周りには同時に『まだ治っていないのか。』という印象を植え付けたのだと思う。
卒業式に出れたのは私は良かったが、受け入れる側がどうしたらいいのか戸惑ったような空気もあった。仕方ないことだけど。

多分同級生からしたら『闘病していた女の子』で終わったあの卒業式から5年をまたいでの再会。見られるに決まっている。そもそもあれから死んだと思われてるかもしれない。実際信じられないことだが、そういう声があったと母から聞かされたことがある。それを当人に報告するなよとも思うけども。

転校が決まったとき、事情を知ったたいして仲良くない友達に「辛いだろうけど応援してるね」とか涙ながら言われて手紙を持たされたときの微妙な感情を思い出して一気にめんどくさくなる。
あの時が1番女子から手紙をもらったなぁ。


いやーーーー。
退院して当時は4年。めちゃくちゃピンピンしてるの気まずすぎる。どう考えてもめんどくさい。

驚くほど人並みには元気だった。だからなんか逆に辛かったのかもしれない。生きていたことで何か思われるのが。また母が何か言われるのも嫌だったし、普通を羨んだからこそ見られたくなかった。きらびやかに着飾った人に紛れた地味な存在で良かった。


20歳を迎えたことに感動するのは私と家族だけでいい。ひねくれていたので写真もできる限り『ホントの友達』としか撮りたくなかった。物珍しい人と写真を撮れたというステータスにされたくなかったから。

だから逃げるように帰った。そんな成人式だった。

今もしやり直せるのであれば、お世話になった先生や本当に心配してくれた友人に会いに同窓会までは行ったかもしれない。でも結局は逃げるようにその場をあとにするんだろうな、などと考えながら夫とラーメンをすすってゆっくりと帰った。

今でも注目をされることと戸惑った顔をされるのは苦手だ。私を見て何を思うんだろうと緊張してしまうから。

キラキラした新成人。また違った意味で一生眩しく見えるのだろう。いつまでたっても羨ましい。昔からの友達はできる限りは大事にしていてくれ。私は今でもちょっとだけ、当時のひねくれた自分を後悔しているんだ。

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