イメージする

イメージする、という言葉から受ける具体性や、イメージをする、という仕方は、実は人によって違う、ということをこの間共演した俳優さんと話していて気付いた

間取りを立ち上げる、というシーンがあって、

もっとイメージを強くしてください、みたいなオーダーがあったのだと思うのだけど、

というかイメージするってなんだ?どうやってイメージしてますか?みたいな話になって、演出家も交えて一緒に話した


わたしは間取りをイメージする時に、私から見える風景、私の目線がカメラであり、部屋の中にいることが想定されていたのだけど


共演した俳優さんは、間取りを俯瞰してとらえていて、間取り図が頭の中に立ち上がっているようだった


わたしは脳に情報をとどめておけないので、この方法でイメージすることは難しい、

私と全く違う方法でイメージをしている、ということが衝撃だった

みんなイメージって共通言語みたいにいうけど、みんながいうイメージは同じじゃないのか!という


わたしにとってイメージするとは、単語や文章の流れから、ディティールを想像し、もしくは拡げて、または過去私が目にしたものを動員して、それを目の前に立ち上げて視ること、で


共演した俳優さんは、すべての情報を処理し、すべてインプットしたらアウトプットすること、とおっしゃってた


イメージするって意外と曖昧さや余白のある言葉なんだな、めちゃくちゃ幅あるじゃん





わたしは演技するときイメージを大事にしている、

(ここでいうイメージはもちろんわたしの仕方での「イメージ」である)

演技している最中も、たとえば何もない空間に景色を見る、とか必要があればもちろんイメージを大切にするし、

(わたしは演技が内向きな俳優なので、上演中にイメージを持つことを優先させすぎると内省してしまい実際の目の前の事象に対しておろそかになる傾向がある、不器用)


だけど、どちらかというと戯曲を読む段階で重要だと思っている


戯曲を読むのは、正直初見が一番ドキドキすることが多い

これはもちろん初めて接するからである、

どきどきするのは、ストーリーの展開とかもそうなのだけど、それ以上に、

わたしはけっこう言葉フェチ?というか、いい文章があるとかなりグッとくるので

その言葉の並びや洗練されてる感じにどきどきするのである


でも読み重ねていくうちに、自分のなかで展開も言葉の連なりもお決まりになってしまい、端的にいうと新鮮さが失われてしまい、どきどきしなくなる

でもテキストはずっと変わらずそこにあるのに?!それって私の読み方がつまらなくしてるのでは?!


いつでもテキストを予測なく受け取れるように、そしてテキストをわたしのものにしてしまわないように

(演じる側の私の場合、基本的にテキストは他人の言葉である、自分のものにするのは厚かましい、のではないか、と最近思っている)

テキストを吟味することが大事、そのためには、単語レベルでのイメージがわたし的には大切になってくる

イメージを固定させないこと、拡げること、ぶらすことで見えてくるものもある

それは正解が見つかるとかではなくて、ほんとにただ、いろんなものが見えてくる、という楽しみがある

文章中にある言葉のイメージだったり、そう言わせる背景のことだったり、そう言わしめている状況のことだったり、私のなかで埋もれていた記憶だったり

単語と単語の間の流れも飛躍も大切、単語同士のイメージが変わることでその間も変わってくる


そういうことで、わたしはテキストの新鮮さ、ひいてはわたし自身の演技の鮮度を保とうとしているのかもしれない


(とはいえ、稽古前にテキストが上がっていて、稽古まで時間があるときでないと、なかなかできないのだけど、)

(稽古始まるとその場に集中する力が必要になるので、稽古前にしておきたい作業です)



わたし用メモ

某オーディションの課題テキストと、

課題テキストを声に出して読んでみたとき、テキストの内容と自分にどのような関係性が生まれたと思ったか、について書いたメモ


頭の中感つよく、稚拙かもしれんとひよっているので以下はこっそり

期待されるほどのものはないです、ほんとにメモ


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