ナチュラルが要請されない台詞、キャラを立てる、演じることを肯定する

お布団『ザ・キャラクタリスティックス/シンダー・オブ・プロメテウス』ありがとうございました

今回試したことと、お客さんの感想をもらって考えたことなどメモです


■ナチュラルなことが要請されない台詞

お布団の得地さんの書くセリフは、いわゆる口語では全くなくて、小説のように情景描写や心理描写があったり、主語が明確にされていたり、基本的に、ナチュラルに生っぽくしゃべることは想定されていないだろう文体です

最近私の流行としては、ある種リアリズムではないところで演技することなので、これはそんなにやりづらさを感じない、というか、むしろ台詞らしいセリフというか、「書かれている」感じがするので、台詞を発することが楽しい


・台詞を覚える

ただ、めちゃ初歩的なことなのですが、覚えるのが大変、というのはあって、

わたしは最近台詞覚えの仕方を変えていて、変えたために覚えるのが遅いし、「完全に台詞入ったぞ!」と自信を持てない
しかも、この覚え方だと、対話の時は結構大丈夫なのだけど、長台詞には向いていないかも、と思った、端的に覚えきれないことのリスクが大きい

(見た人は見たと思うが、一度だけ某長台詞で台詞が出てこなくなってしまい、5秒くらいやばい時間が流れたと思う、本当に良くない、、すみません、、、)

だから、長いセリフを覚えるときは、対策が必要だってことに気づきまして、

いまのやり方は変えずにやるなら、単語だけで覚えないこと、長台詞全体を見すぎないことと、耳で覚えすぎないことが大事なのかもしれない

単語だけで覚えないというのは、最初は単語から覚えるようにしてるのだけど、それで構成されている文章や文脈をちゃんと意識するのも大事だな、という(当たり前か)
あまり細分化すると、長台詞として発話するときもあまりうまくいかない気がした。

それと、矛盾してみえるかもしれないが(わたしにとっては矛盾しないのだが)長台詞全体を把握しすぎると、どうしても今まさに発されているセリフやその次に言うことへの集中力が下がる、
恐いが、やはり「長台詞」として覚えるのは結局のところ台詞の抜け漏れが起きやすい気がする

それと、最近、覚えずらい箇所は録音して聞いているのだけど、
聞くと耳慣れてくるから音は入ってくるけど、意味や言葉の持っているイメージ、文章になった時に言っていることが耳慣れに反して入りづらい、
聞いて覚えるのは保険としては今のところ役立っているけど、頼りすぎはよくないな、と思った


・観客に言葉を伝える

良いセリフが多いので、言葉が言葉として伝わることをかなり優先した
俳優からは感情を押し付けず、台詞を聞いている人それぞれのイメージに近いものを思い浮かべられるような、渡し方?伝わり方?を意識していました
(このための具体的な作業は台詞の覚え方に含まれていて、それ以上のことはイメージだけでやったので、そのように伝わったかはわからないけど、試みとして)

役の動機や思惑や感情より、言葉が聞こえたほうが絶対に良いなという確信が今回はあったので、(「私たちは働いて自由を得るの」とか、名台詞たくさんでしたね)、(上手くいってたのかはちょっとわからないが)

それと、ユーモラスである、というのを伝えるのにも適している感じがした、
発語を優先させることで、これはキャラクターの生の声ではなくて、書かれている言葉ですよ、決められたセリフですよ、みたいな感じというか、

反して、常に言葉が先にある感じというか、身体がアンバランスな感じは終始あった、言葉に全振りしていて身体が空虚というか

相変わらず私は呼吸をするのが下手なのだけど、これはしばらくはずっと課題だな、
(稽古重ねるうちに、ここは間ができるな、とか、息継ぎはここだな、とか、台詞と付随した呼吸はできるのだけど、普通にその場にいる、ていう、ニュートラルな呼吸ができない、精進。)


・対話してる度

ある種のリアリズム演技でないにしても、対話しているシーンはやはり対話ができていた方が良くて、
そしてそれは生っぽいセリフじゃなくてもできるな、と思った
対話というか、その場でやり取りすること?

今回は何役か兼ねていて、その中で話を聞いてそうな役(少佐)は、あくまで対話をベースに舞台上でグルーブをつくる、
逆に話を聞かない役(職員2)は、対話しない姿勢を貫く、

対話をベースに作るのは、これまでそういうことを演技としてたくさんしてきたからやりようが分かるのですが、逆に、話を聞かない、みたいなことって何が舞台上で起こせるんだろう、とは思った
シーンそのものが短いから、もちろん状況説明として機能すればそれでいいんだと思うけど、それとユーモア以外で、何かできることってなかったんだろうかという反省はある
ここはまだ答えが見つからない



■キャラを立てる

今回、話がしんどいので、ユーモアと持つというか、役のやってること言っていることは酷いがキャラクターは憎めない感じにしたいという演出方針があって
だから、結構意図的にキャラクターを立てる、というのをやってました

(どんどんいろんなキャラが出てきてどんどんハケてくの面白いよね、時間の流れも、空間がスライドされてる感じも、出た気がする)

かなり前、それこそ役と自分の距離を近づけて演じていたころは、理解できないこと、納得できないことを演じるのは難しかったし、キャラクター的な物を作るのはナチュラル演技(さもリアルに見えるような演技)の反対に位置すると思っていたから、結構忌避していたのだけど、
なんか、今回はとても楽しかった

やっぱり「私」が「キャラ(役)」を「演じている」という前提を肯定できると、あのころのような生理的な難しさとかは全然なかった、
(ただ、自分の中での違和感には気づきにくくなるような感じもしていて、いいことなのかはわからない)

あと今回何役もやることで、きっと以前なら役の切り替えが難しかっただろうけど、
ほんとに衣装を変えるように切り替えは出来て、役を引きずるみたいなことはなかった(意図的に姿勢や声を変えようとしていたので、そこがうまく切り替わってないとかはなくはなかったけど、気持ち的な意味では平気だった)


・声と面を変えてみる

別に演じ分けようという意図があったわけではないのですが、キャラを立てることで、結果的にキャラ分けされたなという感じがあった
あとやはり、前後の役は同じ役に見えたくなかったから、(衣装もあったからその可能性は低いけど)声の高さや質は変えるように意識してました

声を変えるって、今までで意識的にしたことなかったのですが、声を当てる場所や口の中の空間の作り方で、印象が変わるなって気づけた、
あと、そういった声質と、声の高さと、声の大きさは、別のもので、組み合わせられるってことも気づいた今更すぎな気もするけど、、
声だけとっても、要素をバラすことで、いろいろ可能性があるなと思った話でした

それと、顔は、まあ変えられないのですが、以前、ルコックのワークショップ?仮面を使ったワークショップを受けたのですが、仮面なのに全然角度によって表情が違って見えたり変化してるように見える、というのが、あって、

で、小屋入りしてから、共演者の人に、分析官の役のときだけ隈が見える、といわれて、
なるほど、仮面でそうってことは、顔の角度でも顔は変わって見えるのか、という発見があって、
なんか顔も変えられるかも(というか変わって見えるかも)というのを試してみました

もちろん、照明の力もでかい、陰影の出来かたの話でもあるから

だから、顔の角度?どの面を見せるかはちょっとだけ気にしてました、
分析官はあまり人の顔を見ない、うつむき気味で猫背、というのは意識してたのですが、よりうつむいているのを変えないように、客席や相手役を見るときは上目(もともと三白眼ぎみなので拍車かかって目つき悪かったと思う)にするとか、あと、顔が暗くなるように、髪を前に(目や顔にかかるように)流したり
職員2のときは逆に見下ろすような角度にしたり、少佐やキャスターはまっすぐ向くのを意識してました

今回は、役の内面みたいなことは掘り下げてないけど、外見(そとみ)を考えていくの楽しかったな


・キャラを強くすると、脇役になれる

わたしの昔の観劇メモの中に、「キャラを強くすると、脇役になれる」っていうのを見つけたんですが

なんかその時、キャラが強すぎると個人としての人格みたいなのが後退していって、キャラが濃いほど逆に背景になれるというか、戯画化されているほど感情や動機が映らなくなって、戯画化されていない人にとっての環境として機能するんじゃないか見たいなことを思ったんですが

なので、それぞれの役のキャラクター度合いで、背景になれたり、人間に見えたりするのではないか、という予感があったので、今回はキャラ度を変えていました

わたしが軸となる人物(プロメテウス)と一緒だった役は職員2と少佐のふたりだったんですが、
その二人で言うと、職員のほうがキャラクターとしては誇張されていて(プロメテウスにとっての環境、背景となっていて)、
少佐には人格や思惑が見えるといいなと思いながら作っていました。

キャラクター度で言うと、

弱 私<少佐<キャスター、司法長官<職員<分析官 強

わたしの中のキャラクター度は、相手に左右されないほうがキャラが強い、とか、その役のためにあえてしていることが多ければキャラが強い、みたいいなイメージでした、

キャスターや司法長官も、それぞれのシーンの軸は別の人物にあるので、私ある程度は背景として演じていた、
というか、情報をちょうどよく出すための環境として演じていたかもしれない、今思い返すと

一方で、分析官の役は、そのシーンの軸で、背景にはならない、

でやってみたら、普通にキャラ立ちした目立つ役になりました、感想もこの役のことが多かったです

(分析官演じてみたい、という感想、いくつかいただいて、チャーミングにできたんだなと嬉しかったです)

.台詞と離れたところでキャラを作る

分析官を演じるとき、私は当初、説明をする役なので、わかりやすいように話す、というのを心がけていたのですが、

得地さんから、「もっとプレゼンとか人前に出ることとか慣れてない感じにしてほしい」というオーダーがあって、

あーこれが台詞じゃない部分だ、と思った
つまり、台詞とは関係なく舞台上に情報があらわれるってことだ、と思って、

それで、色々台詞とは関係ないことをしてるうちに分析官はキャラが濃くなっていった

キャラが立つ、というのは、台詞に沿って拡張していくことではないんだな、
というか、キャラを立てる、というのは、台詞以外の情報を表すことができるんだな、と思った

というか、説明を理解するのを途中で観客があきらめてもいい、ていうシーンもあったのですが、逆にそこで大事なことってセリフではなくて何がなされているかで、
そういう時にもキャラクターというのは見ていられるし言葉ではない情報を表し続けられるので良いなと思った

メモ
・キャラを立たせることで、セリフとのつながりがほぼなくなっている、
・セリフと関係ない情報でも、キャラクタを魅せられる
・セリフ以外のこと、セリフと遠いこと、セリフと関連しないことを表現として出せる

そしてやっぱそれをやるためには、台詞は今の覚え方(台詞と自分がくっつきすぎないから)がいいなと思った、、忘れるリスクを除けば、、精進、、、


・これがモデルですか?→そのキャラに見えている?

「分析官の役は〇〇がモデルですか?」という感想をもらって、私はそれを意識してなかったのだけど、でも似たような別のものを多分イメージしていて、
それは、天才キャラ、みたいなやつなのですが、
だから、これ、なんかあながち、間違ってないかも、天才キャラという認識が伝わってるということは、天才キャラに見えてるってことだから、合ってるのかも、と思った

・マイクを使うこと/拡張すること

これは演技というか、今回マイクを使った芝居があったので気づいたこと

マイクは本来拾われない大きさのものでも大きくして伝えることができる、だから、マイク使う役(分析官)は敢えて声を小さくしたり、
ほんとなら相手に聞こえたらまずいだろう溜息をついたりした、

なんか、拾われないはずのものを大きくして伝えてしまう道具、面白かった

まあ、コメディだからそれで遊んだ節はある


■試して遊ぶ、演じることを肯定する

今回は、稽古中割とずっと楽しかった

演劇してると、思い通りにできなくて悔しかったり、自分をすり減らしてしまって苦しくなることもあるのだけど、
この現場では、私(俳優)が役(キャラ)を常に俯瞰できていて、遊べる余裕が生まれていたからかもしれない

私がこの役を演じているという前提を隠さず出していくことで、気持ち的にはかなり健全に創作できた

とはいえ、程度もあるだろうけど、この余裕のある距離感をずっと保っているだけではできないこともあるなという予感もする、

私の次の出演は、じつは来年なのですが(今のところ)
俯瞰だけでなく、距離を変えていくことも考えていきたい

目標書いた、覚えとくぞ

お布団観てくれたみなさま、それとここまで読んでくれたあなたも、ありがとうございました
覚えてたら来年の演劇も観てください、、、

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