意味と輪郭、平面と立体



夏のムニの出演を経てから、


台詞と意味(セリフ通りの言葉の意味やセリフ通りの身体的な状態)は近づけすぎないほうが、色々豊かになる予感がしていて、
実践中なのだけど

そうすると、とらえどころがないというか、
急に手応えを感じられなくなったりして不安になることもあるなと気づいた

余白が多い状態は、豊かになる可能性もあるけど、取りこぼし続けてしまうと余白なままになる可能性もある、こわ

そこで、意味に戻ろうともするのだけど
そうすると、急に私自身が台詞にべったり近づこうとしてしまうというか
ベタッと貼り付いて膠着してしまう感じが、シーンを繰り返すうちにキツくなってしまった
私はもっと私本意でいたい、というか、セリフに従属する私ではなく、私といい感じの距離感で台詞とも関係を築きたい

セリフのイメージを色々書き溜めようかとも思ったのだけど、
(過去そのようにしてセリフのイメージを厚くしようと試みていた、紋切り型の演技に陥らないようにした私なりの工夫である)
今はそれを文字にしてしまうことでさえセリフの豊かさを奪う気がして出来ない
言葉を意味に近づける、言葉を文字にする、というのは、言葉をどんどん捉えて平面に追いやってく作業な気もして来た
私は立体にしたい、やはりそのためには余白が必要で(今の私に思いつく最善が、ですが)
膠着させないように気をつけながら、イメージや、私と言葉との関係を豊かにしていくしかない、

不安なときは演技に輪郭をつけたくなるが、それは意味から作る必要もなくて、
私と言葉との関係やディティールから作ることもできるはずだ
と期待している


その一方で、そんなことばかり考えてたからか、急に相手役から受ける情報がことばにばかり偏ってしまい、目の前のことを取りこぼすことも増えた
今しかもめっちゃ台本読んでるせいでめっちゃ相手のこと予測してしまってるので、これはよくない
セリフといい感じの関係作るのはシーン始まるまでだ、舞台に上がったら人や物や空間に意識を向けないと、というかそこで立ち上げていくのが俳優の仕事、、セリフはあくまでも準備段階、、

素晴らしい戯曲と素敵なキャストさんに恵まれているので、より良い演劇できるようにがんばります、、



小野晃太朗新作公演「おわれる」

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