レベルをそろえる

某WSで参加してた俳優さんが言ってた「物を使わないでマイムで表現すること」「俳優の性別や年齢に即さない配役にすること」について話していたことが面白かったのでメモです


ひとつめは身体とモノの関係で、

コーヒーを飲む、という行動が舞台上にあるときに、

実際にある俳優の身体と、実際にあるコップや飲み物で「飲む」ことはできるが

コップや飲み物がないときに「飲む」となると

実在する身体と実在しないコップでは釣り合ってない感じがするので、

実在する身体から具体性を引きたくなる(コップとレベルを合わせたくなる)

という話、

つまり、ある種のリアルなマイム(具体性や解像度の高い「飲む」動作)だと、実際にコップはないという点で釣り合わない、という話


ふたつめは、俳優と役(キャラクター)の関係で、

そのWSで、わたしは一家3人を演じることになっていて、しかもそれは入れ代わり立ち代わり演じるということではなくて、「一家」という固まりをひとりでやる、みたいなことだったのですが、これはほかの俳優(みんな一人一役)と演技の質がそろわないのではないか?揃えるにはどうしたらいいのか?という疑問を言ったときに、

ある俳優さんは20代で女性で、中年の男性を配役されていたのですが、

そもそも実際にある身体と役柄がかみ合っていないので、いま試している以上に具体性を上げるのは難しい(から、私がひとりで団体を演じることとそんなに離れていないと思う)、という話をしていました


ここで考えたのが、演技のレベル?というかステージ?のことなんですが

私は演劇観る中で、「あーなんかみんなばらばらだな」と思うときがあって

それは演技のレベルが揃ってないということだと私は思っているのだけど

そのレベルっていうのが、上手い下手だけではなくて、こういうところに由来するのかも、という

表現の仕方というか、どういう基準でみんなその表現を採用しているのか、みたいなこと


実在している人間(この場合俳優)と合致したキャラクター/実在するコップ・飲み物はレベルがそろっている

とか

実在している人間と合致しないキャラクター/(性別や年齢が違うなど乖離がある)実在しないコップで飲むマイム


みたいなかたちで、舞台上の表現のレベル(解像度?具体性?)をあわせていく、みたいなことはできるな、という



そしてそれを揃えていけば、というか座組で共有していけば、俳優同士の演技のレベルが揃っていくのかもしれない、

それは同じメソッドを習得していなくても、同じような演技論を持っていなくても、表現として揃えていけるかもしれない、ということで、

日本で同じ演技論で創作してる団体とかほぼないと思うから(SCOTとかSPACくらい?わからない)(オリザさんも演技についての本はもちろん書いてるし無隣館では講義も受けるけど、青年団の俳優さんは各々演技ルーツも異なるから、そういう意味で全く同じ演技はしてないと思う)(でも青年団は基本的にほぼ具体物のある環境でやるので、ある程度演技のレベルが揃ってくるのだと思う)

そういう団体でなくても、ある程度表現の仕方を揃えていける方法があるのは、作品の質を良くする上で好ましいと思う


というか、どういう道具を使うかか、どういう衣装にするか、美術にするか、音響にするか、照明にするか、というのも、こういうことのすり合わせが、作品としてある種整った形にするための方法なのかもしれない、


演技の不揃いが気になってた話だったけど、演技以外の要素にもいえるかもという話になった

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