どこに向かっていくのか、なにが開かれていくのか

結構前のメモ

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会話劇、観るのも演じるのも好きなのですが、この間観劇したときに、私の処理能力が追い付かず迷子になったので、私は会話劇で何を見て楽しんでいるのかという整理メモ


まずあげられるのは「言葉」そのものだと思う

わたしは言葉フェチなので、グッとくるセリフとか良いラインとかはめちゃくちゃヒットする

でもここは作家の力で、俳優には何ともできないので今はいったんおいとく

(いいラインを書ける人は本当に尊敬する)


つまり俳優が会話劇で出来ることは、言葉以外ともいえる

大きく思いつくのは2つ

①言い方(声の大きさ、間、スピードなど、言葉を発することにまつわる表現)

②関係性


①については、さもありなんなので端折ります


②の関係性のことが、やはり大事だなとこの間の観劇で思って、

対話がなされるとき、会話以外にみれるものは関係性なんじゃないかと思って、

それは対話する相手との関係(何をしようとしているのか、相手をどうしたいのか、何を欲しているのか、話が受け入れられているのかどうかの見極め、など)と

言葉とそれを語る役との距離感(真実なのか、思っていないのか、語りなのか、とか?)、

ひいては言葉とそれを発する俳優の距離感(いままでさんざんnoteに書いてきたやつ)

が、会話劇の見応えを支えているなと思った


私の中では、どんなにいい言葉でも、歌うように、流れるように話されると爪痕を残さない、

というか、ある種の流暢なスピードに処理能力が追い付かない


会話劇はテンポに重きを置く人もいると思うけど、わたしはもっと言葉と言葉の間というか、その隙間を観たいとおもった

その言葉が発されるまでの(聞かれるまでの)身体や、そこに流れる緊張感、空気?みたいなものを楽しみたいのかもしれない

言葉が発されることでどのように相手に向かっていくのか、なにが相手に開かれていくのか、そして観客に開かれていくのか、みたいなことが観たいのかも

自戒もこめて

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