空間と身体

言葉が空間に作用する場合と、肉体が空間に作用する場合がある

わたしは言葉をかなり重視してきたけど、それは上演の手前にテキストがあって、空間は劇場に入らないと分からない、みたいなこともあると思うけど(とはいえ稽古場も空間である)

それによって言葉に重点が寄ってしまっている
わたしは言葉が空間に作用するのも肉体に作用するのも感じているけれど
言葉をうけた身体が空間に作用することも
言葉の手前にある身体が動き出すことも、空間を動かすこともしっている
肉体が言葉を生むこともある
わたしは言葉の前にあるイメージを大切にしているけれど、
その手前に身体があることも忘れてはいけない

上のはいつ書いたのかも忘れたメモ、今読み返すとよくわからないな?一応残しておく

空間から演劇をつくる、というのを初めてやっている

わたしはなんだかんだ言葉(というか、戯曲とかの書かれたテキスト)を中心に演技をつくってきたけど、
今の稽古場では空間がまずあり、そこと関係を持つ、みたいなことを試している
私はこれまで、空間に影響を与える、とか、客席や劇場全体を動かす、みたいなことって、(出来たら格好いいが)漠然としているな、具体的な手立てがわからん、と思っていたんだけど
稽古をしていく中で、そのためにはまず、空間と関係を持つ必要があるのか!、という当たり前のことに気付いた

たとえば、ドアの前に立ち尽くす、そこから後ろに下がる、という指示がある場合に
今までの私なら、その行動を選ぶ根拠(例えば中の人に気付かれず去りたいから、ドアから誰か出てこないか警戒しているから、とか)を演技の拠り所にしたと思うのだけど
つまりそれは「戯曲上の指示」と「演じる私」とのすり合わせ、そういう関係のつくり方で演技をしたと思うのだけど、
それってドアから後ろに下がる、という行為が私の中だけで完結しているので、実は空間には影響を及ぼさないのかもしれない、という

いま試している、空間と関係を取るやり方だと
ドアに存在を認めていて、(ドアの向こうのだれか、よりも、ドアそのものの存在)そこから距離をとろうとする、という力が大きく、
そうすると、「ドアとそこから後退している距離」と「私」が同時に観客にも見えるかもしれない?ということで
つまり人物だけを見るのではなく、ドアと人物、その間にある空間を見ることができるのではないか、ということなんですが
もしくはドアと反対側になにか目的があって後ろに下がるのならば、私の背後になにか引力めいたものが視えてくるのではないか、という

ある種の引力や反発する力、みたいなものが、舞台上に見えるかもしれない、ということ?

つまり、舞台上でやる行いの根拠をテキストと俳優(自身や相手役)だけに求めない、ということ、ドアや壁や床と、美術と、関係を取ることで、空間に影響を与えられるのかもしれない、という発見があった

あと、当たり前ながら重力は床に向かっているけど、
演技の中で上を下手側、下を上手側として動いているシーンがあって、
私が空間に対してどのように動くかで、空間を捻じ曲げられるというか、
観客は重力に従って床の上の椅子に座っているけど、舞台上では上手側に向かって力が働いているのも同時に了解できる、みたいな
あとゆっくり動くことである種スローモーションというか、時間が引き延ばされているようにみえたり、反対に日常レベルで動くことで日常の時間の流れが戻ってくる、みたいなことも試していて、
それは今回の場合は役が感じているであろう時間の流れでもあるので、観客はその時間を役と同じように体験できる、というのが可能になるのかもしれない

だから、空間とどう関係を持つか、そのなかでどう身体を動かすか、みたいなことが、空間に、観客に、影響を与える、ということな気がした

なんかアトラクションみたいだな、そういう効果が本当に起こせればいいのだけれど


あとこれは空間には関係ないのですが、今の稽古で「泣く」シーンがあって
ここには、全く、私の情緒や行動の選択がさしはさまっていない、
というのも、身体的な「形」だけでやっているからで、
そうやって演技って成立するのか、というのが、新鮮で面白い

「深呼吸から、息が浅くなり、音を発し、肩が上下し、嗚咽が混じる、涙をふく仕草をする」という手順を踏んでいて、その身体の形の積み重なりや移行から、「泣いている」ように見える
これは映像とかの写実的な演技だと通用しないのかもしれないけど、演劇だと、絶対に俳優は泣いていないのに役は泣いているように見える、のが同時に成立するので面白い(今の私の演技における流行は、役と俳優を重ねすぎないこと、役を他者として尊重することだから、同一視されないほうが面白いと思っている)

身体から表現をはじめることで、ある種の煩雑さ(私が普段は良しとしている意味をなさない仕草や動き)が排除されているので、見るべきものが絞られていて、こういう移行(深呼吸している人から泣いている人になる)を可能にしているんだと思う

これまで使ってこなかった回路で演技を組み立てていくと発見がたくさんあって楽しい、
今回は空間出発で作品をつくっているけど、戯曲出発の演劇でも使えそう、というか、試していきたい


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