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2024/9/11(水)の宿題:豊かな無駄をしましょう?

『今日の宿題』(Rethink Books編、NUMABOOKS)に毎日取り組んでみる53日目。本日は栗山遼さんからの出題で「無駄なことを楽しむ気持ちはどこへいったか?」について書く。

 また無駄という言葉が出てきた!!!! この宿題でもう三度目、言葉を変えて「無駄」について問われている。大人って無駄について議論するのが好きなのかな。それとも無駄を楽しむことの良さを気づかせたいと思っているのだろうか。

 既に二度書いたとおり、私は無駄扱いすることが嫌いで、一見無駄に見えることでも全ては澱のように溜まって自分を形作ると思っている。

“私は無駄扱いすることが嫌いだ。どんなに無駄そうなことでも、何かに対しては影響を与えるんだし。”

 出題文には「空想したストーリーを友達に話したり、ノートに自作の漫画や迷路を書いたり」という無駄があげられていたが、こういうのは空想的な無駄だと思う。成長すればある程度現実的になるから、空想的な無駄は減って、現実的な無駄が増える。だから「空想したストーリーを友達に話したり、ノートに自作の漫画や迷路を書いたり」という無駄なことはやらなくなった。かわりに酒やたばこ、SNS、アプリゲームなどといった現実的な無駄にシフトしたのではないだろうか?



 近年、無駄が嫌われる傾向にある。コスパ、タイパなどなど……とにかく効率の良いことが重視される。私は正直、効率効率うるせーと思っているが。
 そんなもの大事にしていたらこんな意味のないnoteはやらないよ。誰に頼まれたわけでもないのに本を買ってきて、一年間これをやるぞ! って挑戦したりしない。だから毎日せっせとnoteを書いている今がまさに無駄を楽しんでいる状態だと思う。私はこれが好きだし、豊かな時間だなと思う。この無駄は、豊かな無駄。
 でも働いているとこうはいかなかっただろうな。あの頃は夜遅く帰ってお酒を飲んでお腹が痛くて床の上に転がって、風呂に入って寝るだけだった。あの酒を飲んでお腹が痛くて転がる時間は無駄だったけど、必要だったんだと思う。切実な無駄。あれがないともっと早くに心折れてた。

 そう考えると、出題は「豊かな無駄をしましょう」っていう趣旨にも感じられる。空想的な無駄の方が余裕があって豊かに見えるよね、たしかに。
 でも私はどんな無駄でも肯定してあげたい。自分にとって必要だからやってるんだと思う。どんな無駄なことでも。ていうか無駄じゃないし。

 なんでこんな「無駄」を議論に出されるとムカついちゃうんだろう。いつもムキになっている気がする。ここに自分でも気づかないコンプレックスでもあるのかなあ。

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