内心の自由とツンデレ

※ この記事は2017年10月末日に別サイトのブログに書いた記事を一部改修して転載しました
※ 一応「K-1ダイナマイト」関連の記事です。ちょいちょい作品解釈に係ることも書いていますが、読み取りやすい文章ではありません。ツンデレに関するエッセイとしての要素が強いです。


まず、《内心は自由なので他人の心理を特定することはできない》という前提を念頭に置いておく必要があります。

【厳しい人】と言いましたが、これは他人からの評価です。厳しいとされた当人の望みや思想は関係ありませんし、そもそも知りえないことです。対象を「厳しい」と評価を下す人〈リサーチ/推測/主観的な価値観〉によって判ずることでしょう。

* * *

先日、「デレを伝える方法があるなら知りたい」という旨のことを言ったら

怒られました。

そのひと曰く、「意図的にデレを伝えるなどと言うことは計算高く、相手を自分の都合勝手に動かそうとする卑劣な行いである。そこに感情を考慮する余地はない。方法論を用いて伝えるようなやり方には心がなく、企みが見え透いていて、失敗する。その交渉は破たんするだろう」とのことで、

その人に預言者の素質を感じました。

そして、「そのようなものはデレではない。デレは、行動の中から自然に醸し出されるものであり、努力の軌跡が認められる、作り物などにはない尊さがある。美しいのだ!」と熱のこもった調子で言うので、思わず感動の涙が溢れました。ああ! デレとはなんと崇高なものなのか、と。



さて、わたしは「デレを伝える方法があるなら知りたい」とだけ言いました。「デレ」すなわち「相手への好意的感情」のことですが、それを伝えたい、というほかは何も語っていません。

なるほど。「デレを伝える」という言葉から「人からの見え方を計算/操作する」というニュアンスをそのひとは感じたのかもしれない。「計算」「操作」に悪い印象を持っているという気持ちはわからなくはないけれど、内心が自由で心理を特定することは出来ないから、「見え方」は《見てる人が》自らのリサーチと推測と主観的な価値観によって判じていますね。

となると、「計算」「操作」は、他人からの恣意的な「見え方」判定によって不利益を被らないための予防策にもなるでしょう

結局、デレにしてもなんにしても、内心が自由で心理を特定することはできない他人の行動が一体何を伝えようとしているのかなんてことは、受け手の恣意的な推測と主観的な価値観に委ねられていることです。

努力と認めるのも、自然であると感じるのも受け手次第。自由に決める権限があるんだ! やったね!!



異なる主を信仰する件の預言者は、デレを表現する方法を知りたい! という人に、ヤリ目的とか詐欺目的とか、デレを信じた《受け手の立場》で不利益を被ることしか想定しなかったのではないか。あるいは、《デレを表現する手段を学ぼうとする》行為自体を悪く考えすぎなのではないか?

ヤリ目的じゃないか、詐欺目的じゃないか、こいつと付き合いたくない、という相手に対する推測や自分の価値観でその行動にデレを認識しないのは自由です。

しかし、

伝えようとすること自体に悪が見出されるならば「告白されたい」願望はこの世から抹消される

でしょう。

両想いとわかりきっている場合以外に伝えるため行動するリスク爆上げなので、「告白」の風習はなくなり、「婚約」や「恋人同士になる」という契約時のほかには執り行われない儀式になるでしょう。

【好意を理由に何らかの契約を結ぶこと】と【好意を伝えるだけの行動】とを切り分けて考えられない場合、いろいろな不都合が起こるだろう……と私も預言者ですから、天啓を記しておきます。

いや、すでに、好意の伝え方がわからない人が《デレを表現する手段を学ぼうとする》のを否定されて、独自のやり方で「あきらめずに行動していればキモチは絶対に伝わる」と一生懸命伝え続けた結果、デレが認識されないどころか関係が劣悪な状態に陥り悲惨なことになるホラー、創作にも現実にもありそうですね。

逆パターンで、相手への好意的感情があると相手の行動を好意と受け取りやすい、なんてこともある気はします。霊感がそう告げています。

その人の働きかけについて、あなたが「操作しようとしてる」「計算している」と思うなら、それはそのようになるでしょう。思わないのであれば、尊く美しいものとなるでしょう。すべてはあなたが決めることができるのですから。

信じるものが救われ、「好き」が人々を満たし、世界が正しいほうへ向かいますように……!



という冗談はさておいて、

【ツンデレ】が指すものについて、定義が人によってまちまちのようなので、私も自分がそれだと見做している現象をよくよく思い返してみたところ、

【ツンデレ】は、キャラクターが対象にはたらきかける自分の行動や態度にその対象への好意的感情があることを自覚したために生じた心理的葛藤を指していう場合(A)と、メタ視点からキャラクターの行動や態度が対象への好意的感情の発露であると作中描写を読み解いて割り出す場合(B)とある気がしている。

創作物を念頭においているから上記のような言い回しをしているけれども、現実に「あいつツンデレじゃね?」というのは大体(B)のパターンで、創作物のように「そのように読ませようという作者の意図」によって読ませられている、という場合は一切ないので、判じる人が勝手に言う。

先ほどからの繰り返しになるけれど《内心は自由なので他人の心理を特定することはできない》から〈リサーチ/推測/主観的な価値観〉によって判じている。そんなふうにして希望的観測だったり、茶化したり、で「あいつツンデレじゃね?」を言っているのではないでしょーか。そんなこと話す環境にないから、わかりませんが。ツンデレだといいですね。



とり急ぎ、考えたことを置いときたい記事なので、唐突にまとめっぽいことを書きますが、【ツンデレ】は《相手に向けて行動する意味を問うもの》と言えるでしょう。

「相手にむけてなぜ行動するのか」「行動して何を伝えようとしているのか」というのは、行動する人の行動される人への感情的なものだけではないし、思想的なものだけでもない。友人なのか、上司と部下なのか、優劣関係があるのか、みたいな関係性由来のこともあるでしょう。また、それらは時系列と共に変化していくことでもある。

だからこそ、行動する本人にだってわかんなくって、「相手にむけてなぜ行動するのか」「行動して何を伝えようとしているのか」にふと疑問を持ったりする。それが相手への好意的感情だという気づきが本人にとって意外で、吃驚して、葛藤が生じて、「べ、べつにおまえのためじゃないからな……!」と照れるのではないか、と。



そろそろ漠然と【厳しい人】【ツンデレ】の描き分けとか言ってないで、なんでそんなことを考えているのかと言う題材を具体的にして話してもいい頃じゃないかなぁ、と気持ちがかたまりつつある。

『K-1ダイナマイト』の話がしたくて、どっから話したらいいのかな?と考えていたら【ツンデレ】に行き着いたのでした。

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