MUCC 惡-the brightness world- 201X /2021年10月2日,10月3日 ザ・ヒロサワ・シティ会館 私的電子記録 水戸で終わりとはじまりを見てきた

2021年10月2日、10月3日、10月4日と水戸に行ってきた。MUCCの4人体制最後のライブを見届けるためである。なんて書くと、たかだか2年弱のFC会員が何を偉そうにしとるか、という感じ極まりないのだが、実際に目の前で起こったのはMUCCの終わりだったし、MUCCのはじまりだったので、まだ感情がぐちゃぐちゃなまま、このときのことを記録しておこうと思う。
セットリストやMCの詳細は、配信でも見られるし最終日は映像作品としてリリースされるので細かい記録はしない。この投稿は完全に自分の為だけの日記。

24年、同じメンバーで同じ仕事を続けている人は少ないと思うが、それが10代の頃からの有人となるともっと稀有だ。卒業後に同じ志を持つメンバーが組んでさえ生業として成立することが難しいのに、学生の頃に遊びの延長をキープして生業とすることは奇跡である。全員が同じ原風景を持っているプロのバンドなんてそんなに簡単に見つからない。(そう考えるとGLAYとMUCCが好きな私は何に惹かれているんだろう)。だれかが一人でも船を降りる、電車を変える、行先を変えると言い出せば終了である。バンドにもそれぞれの空気があって、行先を自在に何個でも設定できる空飛ぶ船のようなバンドもあれば、だれかが行先を決めてとにかくひたすら走り続ける電車のようなバンドもある。MUCCは電車のようなバンドだ。急には止まれないし、線路が無いところに急に向かうことも、少し戻ってみることも、錨を下ろして少し留まってみることもしない。リリースを少し止めてみたり、ツアーを止めてみたり、ソロ活動をしてみたり、活動を休止してみたり、息の長いバンドのほとんどが経験したであろうことを何もせず、ひたすらに進む。そしてMUCCは欲張りだ。音楽活動を前に進めようとする。いやなことがあったら曲にアウトプットする。妥協はしたくない。その路線を貫いているのはリーダーなんだろうけど、バンド全体にハングリー精神がともっている。もう中堅バンドだろうに、いつまでもハングリーでいようとするところが獣のようで煌めいている。

ライブ中、整理できていることもあればやっぱりやりきれないこともあるんだと思う。そういう表情だったしこのツアーの他のライブと比較しても音の迫り方が違う。フィジカルなパフォーマンスが違う。そういえば水戸1日目はミヤとYUKKEのサイドチェンジがうまく決まらないシーンを何度かみたけど、あれはミヤの脳内がぎりぎりだったんじゃないかと推測している。

ライブ2日目、1日目ですでに言葉を発しようとするたびに泣いちゃってたSATOちに逹瑯が会話を振るときは少しおどけてみせる。「泣ーけ!泣ーけ!」といじる。バンドにとって解散やメンバーの脱退は、勿論避けたいことではあるけど、起こってしまうことが確定したらそれは特需だ。美談にして、ファンの感傷をあおり、対外的に美しい出来事の一つとしてパッケージ化することだってできる。しかしこのバンドは、ラストツアーの最後のその日まで、逹瑯がSATOちをいじって湿っぽくならないように回避し、ミヤはあたかも日常の一コマのように強くあろうとする、YUKKEはバンドのお母さんであり長男なので、泣かないように、大事な曲になると胸に手を当てて自分を落ち着かせている。でも、4人から発せられる音が強くて、せつなくて、叫びだしそうな音をしている。逹瑯がMCで「MUCCのメンバーは不器用だから普段思っていることを口にしない。でもステージの上にいて、音を出しているときだけは違う」と言っていたが、まさにその通りである。娼婦、家路、スイミン、夕紅、ハイデのような曲たちから、今回の落陽、明星、スピカまで、4人が醸し出す音と空気はもう二度と味わえない。とてつもない音圧なのに優しいあのドラムの音はSATOちにしか出せないし、それに合わせて奏でられるのは3人のメンバーだ。明星のラストサビに向かう直前、スモークだらけになってステージのメンバーが誰も見えないシーンがある。時々SATOちにだけスポットがあたる。客席からステージは見えるのに、完全にメンバーだけの最後の空間で、4人はどんな表情で向かい合っているのだろう。あの4人だから、すべての感情がぐちゃぐちゃに詰まった顔をしているのに違いない。でも4人だけの空間でいてほしい。

MUCCのメンバーが一番大事なのは、やっぱりMUCCなんだなと、そんなことを考えながら、でもステージを終わらせたくなくて、ずっと拍手を続けていたらまた緞帳があがり、出てきたのはボーリングのピンSATOちと、あずき色体操服の3人、そして観に来ていただけのはずの先輩バンドや友達バンド、seekに至ってはフル装備、で全員でムック体操(しかも歌詞がバージョンアップされている)、本気で踊り散らかすメンバー。MUCCが大事なのは、メンバーもそうだが、夢烏、夢狂、バンドを取り巻くすべてだったと、このバンド舐めてたと、改めて好きになった。泣いて、でも笑って、楽しい思い出で、SATOちを送り出す。自己満足だけじゃない、MUCCにかかわるすべての人に、楽しかった思い出を分け与えてくれる、やさしいバンドだった。


10代の友達が集まって24年間休むことなくバンドを続けてきたのなら、このままずっと行くんだろうという勝手な思い、勝手な安心感を抱いていたことに後悔している。蘭鋳でミヤがステージセットを壊し始めた。壊して次に進めさせてくれよと、リーダーは次に向かうということで自分を保っている。うじうじ立ち止まったりしない。MUCCは4人から3人になっても続いていく。これを受けてSATOちが、前に進むためにここで一度みんなに死んでもらうと(注:全員死刑!というお決まりのセリフがパフォーマンス中にあります)。前に進むために今あるものを、自分たちが作ってきた大事なものを、自分たちの手で一度壊す。壊さないと前に進めない。器用にできない人たちのこのバンドがいとおしい。落陽のとき、フロント3人、SATOち、それぞれがこの演奏を重ねることでネガティブな感情を消化していってくれることを勝手に祈っている。

ライブ翌日、腫れあがった瞼をなんとか日常の範囲に戻して、水戸市街地を散歩していた。この大通りを楽器かついで自転車で走り回っていたんだろうかとか、近くのお店で打ち上げをしたのだろうかとか、勝手な想像をしながらのんびりあるいているとツイッターの通知がなる。YUKKEの通知を見るとアー写が変わっている。ライブ翌日の昼の12時だった。バンド公式アカウントが3人になった。新曲発売、過去ライブのDVD、そして3人体制での11月からのツアー、それをSATOちのアカウントがリツイートしている。でも写真がおかしい。昨日のライブの後、楽屋の花と一緒にとったものに変わっている。アカウント名がsatochi から takayasusatoshi に変わっている。SATOちは悟史に戻ったらしい。でもMUCCのお知らせをリツイートしてくれるらしい。もともとの脱退予定から5か月押したのも恐らく影響して、新しい体制が翌日に発表となるこの状況。やはりMUCCは止まらないんだと思う。ツアーの場所を見ると、おそらく動員が下がることも予想している。メンバー脱退が即座に人気が上がるバンドなんていない、勿論これは予想された結果である。でも、ここからきっとMUCCはまた、自分たちの足で試行錯誤して、壁にぶつかりながら、MUCCというバンドを続けていくためにもがくんだろう。その意気込みの渋谷でのアー写、我在ルベキ場所のオマージュのMVだと勝手に思っている。この発表を水戸で(しかもライトハウス前で)受け取ることができてよいタイミングだった。在来線で2時間程度の、旅行とも言えない距離だったが、この2泊3日は、MUCCの終わりとはじまりをみる旅になった。

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