COBALTについての妄想

MUCCの15枚目のアルバム「惡」から、COBALTについての勝手な妄想を綴ります。
※あくまで、わたくし九の勝手な妄想です。

この曲の主役はこの子だと思っている。(かわいい)

画像1

そう、この子。名前は「あっくん」。2020年6月9日、ムックの日のニコ生で決まっていましたね。メンバーがそれぞれ出した候補の中から放送中のアンケート1位になったのがあっくん。命名はミヤさんです。

これじゃまるで永遠に終わらない
映画みたいだ
 
痛いよ ずっと此処に 居たいよ ねぇどうして
僕らは出会ってしまったの
 
サヨナラ 2人が千切れた世界はこんなにも綺麗だよ
 
            (歌詞抜粋)

私の中で、あっくんはこの世に生まれてしまった「惡」という存在。
この曲の相手は、惡が求めていて、互いに惹かれあっていて、必要としあっている存在。だとすれば、相手は・・・きっと・・・「正義」という存在。
正義がなければ惡は存在しないし、惡があるから正義は存在する理由がある。どちらも人を殺すし、誰かの生きる信念になる。時代や場所が違うだけで同じ行為を惡という人もいるし正義と叫ぶ人もいる。この二者は、とても近い場所にいながら一生まじりあうことができない。

歌詞からは、一緒にいることを既に諦めているような、諦めているのにそれでも相手に焦がれるような印象を受ける。そんな感情つらくてつらくてやりきれないが、この曲につけられた楽器パート、コーラスはその二者に優しく寄り添っている。逹瑯さんの声もラジオでゲストを迎えているときのような優しさと、あっくんの切なさや諦めが同居しているような声色をしている。(逹瑯さんの声色についてもいつか語りつくしてみたい)。それは本人(あっくん)の諦めを否定できず、寄り添うことが唯一のできることだから。

本人たち(あっくんと正義)も、周囲も、その二者が一緒にいられないことを知っているようだ。まさに惡と正義。

そう思ってから全曲を通しで聞くと、ジャケットの生まれたてのあっくんのかわいさも相まって、惡という存在の誕生、気づき、成長、葛藤、終息がこの1枚のアルバムにまとめられている気がしてくる。COBALTは16曲中7番目。中盤に差し掛かって、惡という存在が自我を持ち、痛みを知り、やさしさに触れ、他者の存在を認識し始めるところ。

アルバム全曲で1つのストーリーが完結するという妄想をしているので、順番に曲妄想を綴っていって、どこかでまとめられるといいなぁ。

MUCC「惡」より「COBALT」(作詞/作曲:ミヤ)よりの妄想でした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?