踏みしめる【#第51回whrワンドロ・ワンライ】

whrワンドロ・ワンライver3.0さんの企画より、
人物お題:北村倫理
共通お題:旅の支度
をお借りしました。

⚠️前半モブ視点一人称
 #whrワンドロワンライver3       by@whr1hour_ver3

 すう、とゆっくり息を吸って、ふっと短く吐いた。まだ自分の喉は空気を通している。

 身に纏っている白いシャツはいつも仕事で着ているもの。同じく真っ白なパンツは洒落た服屋で買ったもの。自らのことながら、そのアンバランスさを嗤いたくなった。
 常にきっちり締めていた第一ボタンをぷつりと取り外し、くすんだ茶色の輪っかを首に掛けた。ああ、あとは足台から降りるだけ。

 さん、にい、いち。心の中で数えて、自分は台から足を降ろす。しかし、宙に浮かぶはずだった自分の足はざりり、という不格好な音を立てて地面を踏みしめた。ほぼ同時に、一本の麻縄がとす、と自分の背中を叩く。

 どういうことだ? 何故自分はまだ生きている? 状況を飲み込めないまま辺りを見ると、苔色の学生服を着た少年がこちらに向かって笑いかけているのに気が付いた。

「おはよう、いい夜だね! 君さあ、ここが幽霊団地だからって、ホントに幽霊になってどうするのさ」

 自分が用意した首吊り縄は、天井にぶら下げていた部分がざっくりと切られていた。恐らく彼が持っている投げナイフで切られたのだろう。普通の高校生に見える彼が、どうしてそんな物騒なものを? いや、そんなことはいい。それより——

「助けて、くれた?」

 ようやく絞り出した声へ、彼は目を細める。「そうだよ」

「こんな物騒な廃墟にふらふらと歩いてく白い影が見えてさ。幽霊かと思って着いてきちゃった!」

 彼は、未だ気持ちの落ち着かない自分のぶんまで喋るほどの勢いで話し続ける。瓦礫の山に響く快活な声が、今の自分には不思議と心地よかった。

「へえ、上下どっちも真っ白な服なんだね。あの世への旅支度ってやつ? ま、ボク仏教徒じゃないからどうでもいいけど!」

 彼がそう言ったところで、ようやく心が鎮まってきていた自分はふと思い出す。そういえばこの学生服は何度か街で見かけたことがあった。少し怪しげな新興宗教、『愛教会』が経営している高校のものだったはずだ。

「君は……愛教の信者なのか?」
「さあね? そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。君の人生には今後一切関係ないんだ、そんなのどうでもいいじゃん?」
「それは……」
「それよりさ。はやくおうちに帰りなよ! きっと今日のことは、月の光を浴びすぎてちょっと狂気にあてられただけさ」
「そう、だな……」

 彼の紡ぐ言葉には奇妙な説得力が感じられる。そう、ただ自分はすこし疲れていて道を踏み外しそうになっただけなのだ——真っ二つに切られた縄を見て、自分はどこか安堵したような心地を覚えていた。


◆◇◆


「旅支度、ねぇ……」

 幽霊団地唯一の生者になったボクは、誰に言うでもなく独り言ちた。

 愛教会に圧し潰されながら育ってきたボクには死に装束、なんて異教の文化は馴染みがない。愛教の信者の魂は死ぬと物に宿るか、「幸せな世界」に行くかの二択だ。どっちになるかはその時にならないと判らないから、信者は生きてる間じゅうずうっと熱心に修行へ明け暮れる。

 きっとさっきの人も現世に疲れ果て、来世へ望みを託して逝こうとしていたのだろう。愛教では……とか仏教では……とかは関係なく、ボクにはどうしてもその気持ちが理解できないのだ。

 「幸せな世界」になんて行くもんか。祈りと修行なんていう、ちゃちな旅の支度なんてするもんか!

 ボクは瓦礫の欠片をざりざりと踏みしめながら、この地獄のような現世を旅するだけで充分なのだ。

〈了〉