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引越し鬱

引越し鬱、というものがあるらしい。
引越しの時期は忙しなく、タスクに追われるので、鬱になるのも納得である。
私と同じような状態になる人が多いことが分かると、少し安心した。自分の抱いていた憂鬱に名前がつくことで、その輪郭がはっきりとしてきて、対処しようと思える。

引越し鬱である。
鬱、という言葉を軽く扱いたくないし、外側から見たらそこまで重度ではないかもしれない。
それでも、私の心はそこそこの悲鳴をあげている。押しつぶされそうだ。

引っ越しと退職の旨を伝えた後の、各所からの質問がつらい。同じことばかり聞かれる。わざわざ嫌なことばかり話してくれる人もいた。
「行動派だね」と言われたが、人生に行動派も何もあるか?と思ってしまう。

年休が使えない。
理由も納得しているし、自分の仕事の性質上、やはり最後の日まで勤めあげるのが筋だろう、とは思う。思うけれど、休みの少ない3月は考えただけでもつらい。つらすぎて笑ってしまう。最近、嫌なことに対して「笑う」という反応をすることが増えてしまった気がして、そういう自分が少し嫌になる。(元々そうだっただろうか)

新しい環境に飛び込んでいくこと、貯金がどんどん減ってお金の計算が必要なこと、必要な手続きがあまりにも多くあること、仕事の合間を縫って引越しをする多忙さ。世間にはありふれた話かもしれないが、これは私の人生だ。何もかも私には初めてのことだ。辛くて当たり前だと思う。目眩がしてくる。

どうか、飛び込んでいく先が、自分にとって心地よい場所でありますように、と願うばかりである。
どうか、どうか。
本当は知り合いのほとんどいない場所に行くことがとても怖いし、休みないまま4月に突入してしまって働き続けられるか不安だし、お金の面でも自信がない。
夢物語ではなく現実の話なのだと突きつけられることばかりである。

体調が優れず、本日は休みをいただいた。
きっと最後の病欠になるだろう。(そうでなくてはいけない、と思ってしまう)
仕事も引っ越しも大事だけど、自分のことも労わらなくてはいけない。私の選択は私の人生の為にあるものなのに、それで病んでしまっては元も子もない。
大切なものを見失わないよう、軸がぶれないよう、自分を大切にしながら生きていきたい。とても難しいけれど。

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