仮面ライダーオーズを殺した人達へ


199×年、宮城県生まれ。
2011年当時、わたしは××生でした。家族構成は、祖母、父、母、姉。友達はあまりいませんでしたが、幼馴染の親友がいました。

「仮面ライダーオーズ」を勧めてくれたのは、親友でした。アニメと漫画しか知らなかったわたしは、"かっこいいお兄さん"が出ているというだけで、ちょっと照れくさくなってしまい、「好き」とはっきり言えなくて。毎週日曜日、子供部屋の隣の部屋にある、おばあちゃんの部屋だったところ、壊れた古いブラウン管テレビで、こっそり見ていました。少し埃っぽい部屋と、カーテンから漏れる朝日、テレビは壊れているので、時々映像が飛んだり映らなくなったり。

途中から、姉と一緒に見るようになりました。わたしはアンクが好き、姉は映司が好き。姉とは少し歳が離れていて、当時、思春期真っ盛りのわたしはうまく打ち解けられていませんでしたが、不思議なことに、オーズに関してはすごく気が合いました。絵の上手い姉は、毎週、スケッチブックに「今週のアンク」を描いてくれました。「どこがいい?」と聞いてくるので、どこを描いてもらおうか考えながら見るのが楽しかったのを覚えています。

冬休み、祖母と映画館に行ったのですが、あまり目ぼしい作品が無く。当時、自分で映画を見に行くことができなかったわたしは、祖母に「仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE」を必死でおねだりました。この頃は照れくささよりも、好きの気持ちが大きくなっていました。

我が家は姉妹なので、仮面ライダーも戦隊シリーズも見る習慣がありませんでした。「仮面ライダーオーズにハマっている」と言うと、寡黙な父が、嬉しそうに、昔見ていた仮面ライダーの話をして、母ととても盛り上がっていたのが、印象的です。ミーハーな母はすぐにハマり、我が家は一家でオーズを見るように。両親は不定休でしたので、我が家にはレコーダーが導入されました。

親友とは、手紙でオーズの感想をたくさんやりとりしました。A5のルーズリーフ用紙にいっぱい書いて。学校も同じだし、クラスも隣だっだけど。絵を交換したり、スーパーの食玩コーナーを回ったり。古本屋のガチャガチャで一喜一憂したり。人生初めての推し活。明るくて、かわいくて、友達もたくさんいて、自慢の親友でした。

2011年3月11日。津波で家が流され、祖母はそのまま家のガレキと一緒に見つかりました。着ていた服でわかりました。わたしを探し、祖母を迎えに行こうとした母は車ごと流され、数キロ先で見つかりました。親友の家も流されて、親友はまだ見つかっていません。大切な家族の思い出も、親友と思い出も、全て失くなりました。この日のことは鮮明で覚えているようで、あまり覚えていません。ただ、生と死があるだけ。子供のわたしに出来ることはありませんでした。父と、姉と、クラスメイトと抱き合って、生を実感して、同じくらい、祖母と、母と、親友の死を実感する日々。生きたい、と、死にたい、が同時に何度も押し寄せる不思議な感覚でした。

2020年8月。姉が自殺しました。遺体には会えませんでした。遺書はなく、理由もまったくわかりません。自殺する1ヶ月ほど前、姉と食事をした時にはごくいつも通りで、何も変わった様子もなく。縊死は限りなく自死の可能性が高く、現場の状況から事件性もなし。姉は、両手に収まるサイズになって、実家に戻ってきました。姉を許せない気持ちと、理解したい気持ち。誰も悪くない。また行き場のない喪失感。自分の無力さと、姉に届かなかった腕、言葉。ここまでなんとか生きてきて、なぜ。2年経った今でも、まるで現実感のなく、既読のつかない姉のLINEを、今だに消せずにいます。

今でも思い出す光景があります。避難所で、いろんな人たちがオーズを見ていました。小さなテレビで。大人から、子供まで。笑っているひともいれば、ちょっと啜り泣いてる人もいる。不思議な空間でした。わたしも姉と一緒に見ました。ささやかな日常。大きく変わってしまったけど、これからも生きていくしかない人たちを支える「ヒーロー」は、オーズでした。わたしは子供で何もできなくて、でも、自分にできることを、少しずつ、みんなと力を合わせれば、いつかまた笑える日がくる。生きていくしかなかった。わたしの命は、わたしだけのものじゃなくて、わたしと関わって生きている全てのひとのものだと思ったから。だから、来週も見たいな、また来週も見たいな、最終回まで見たいな、そんな小さな未来を積み重ねることは、生きることの積み重ねでした。本当はアンクにだって生きてて欲しかった。でも、いつかきっと。って映司くんが、諦めなかったから、自分がなくしたものを重ねて、頑張って生きてれば、きっといいことがある。いつかまた会える、生きてさえいれば。そう思うことが出来ました。

姉のお葬式には本当にたくさんの人が来てくれました。姉のお友達、職場の人。姉の近しい人には「お姉さんを助けられなくてごめんなさい」と何度か言われました。姉が自殺する2日前に会っていた人、6時間前までLINEしていた人。姉の命も、姉だけのものじゃなかったと、強く思いました。姉に繋がる全ての人が、姉を失って、自分の一部を失って、これからも生きていかなきゃいけない。生きることってなんだろう、見失いかけた時に、仮面ライダーオーズの10周年記念企画が発表されました。

ああ、すごいな、10年も経つんだ。完結編なんだ。復活のコアメダルってことはアンク復活するのかな?また会えるのかな?役者さん全員続投なんだ。嬉しいな。絶対に見たいな。仕事頑張ろう。グッズもでるんだ。カフェもあるんだ。行って見よう。友達を誘ってみよう。いろんな人に見てほしいな。大ヒットしてほしいな。これからも時々オーズに会いたいな。このタイミングで、オーズの新作が発表されるなんて、不思議だな。生きるエネルギーが出来たな。そんな風に、小さな欲望をちょっとずつ積み重ねてなんとか生きてきました。あの日あの時まで。その後はご存知の通りです。

わたしがオーズが好きだと知っている一部の友人は「絶対見ないほうがいい」と言って止めてくれていました。今考えてみれば、東日本のことだったのか、姉のことだったのか、そのあたりを考えて止めてくれたんだと思います。公開されてからのネットの反応も見てましたし、ある程度は覚悟していました。それでもゃっぱり好きな作品だし、銀幕で見たいし、いつ死んじゃうかわからないから、ちゃんと焼き付けていたいんだよね、って。友人が何度も止めてくれたのに、つい足を運んでしまいました。あれからそろそろ半年は経つでしょうか。本日、BD・DVDが発売されたそうですね。ああ、これでやっと全部終わる。ちょっとした安心感もありました。この半年、本当に何度も思い出して苦しくなったり、悲しくなったり、今までなんとか乗り越えててた「生きていていいんだろうか」という自問自答を何度も繰り返したり。いままで何度も蓋をしてきた「死にたい」という気持ちと葛藤したり。なんとか吐き出したくて、Twitterのアカウントを作ってみたりもしました。同じ気持ちでいる人がいて、救われました。

わたしがこうして長々と遺書めいたお気持ち表明文を書いているのは、話題になっているライナーノーツの件があったからです。どこかに残しておかないと、とても許せない気持ちでいっぱいだからです。復活のコアメダルの内容がいかに酷かったかというのは、他の方がよりわかりやすい文章でたくさん書いてくださっているので割愛します。今ここにあるのは、甘口カレーを食べて育ったいちオーズファンが、仮面ライダーオーズを殺した人たちに送る、ただの恨文です。

映画を見た当初から「映司ならこうする」「映司なら死んでもしょうがない」「映司ならそうする」ずっとそんな言葉に傷ついてきました。死んでしょうがない人なんていないのに。まるで、みんなが映司くんに死んで欲しかったみたいだ、って思っていました。(実際にそう思ってらっしゃったようですが。)同じことがオーズにも起きたんじゃなくて、「起こした」んですよね。なぜか、事故や天災でもあったかのような言い方ですが、受け取り手のわたしたちからすれば、その状況を引き起こしたのは紛れもなく、製作陣の皆さんです。今回のライナーノーツで意図的に映司くんが殺されたのだと知って、それを「良い結果」としていることを知りました。とても言葉にならないです。映司くんは、殺されたんです。「良い結果」のために。

大切な人や親しい人を何度も失ったことがありますか。天災や、自分ではどうしようも出来なかったことで。物語だからしょうがない、フィクションだから真に受けるな。でも、わたしたちの現実は物語と地続きなんです。わたしがここまで生きてこれたのは物語でフィクションの「仮面ライダーオーズ」があったからなんです。家族との思い出も、親友との思い出も、姉との思い出も。全てわたしの人生に繋がっていているんです。映司くんもわたしの人生の一部でした。わたしはまた、人生の一部を失いました。失い続けるだけの人生が、そろそろしんどくなってしました。

映司くんが死んでこそ救われた、という意見をみました。死は救いでしょうか?
映司くんを失った世界は救われますか?一人残されたはアンクは?比奈ちゃんは?

人が死んだら辛口カレーになるんでしょうか。当時のわたしが、人の死を理解できていないと言うことでしょうか。人の死を扱うなら、もっと丁寧に作って欲しかった。震災が大変だった、大切な人を、親しい人を失った人に、何を言っても慰めにならない、納得できないというなら、何も言わないで欲しかった。心から想ってくれている言葉は慰めになるし、納得は自分たちでするものです。あまりに人の死を軽視するような言葉が、わたしの大好きで大切な作品だった「仮面ライダーオーズ」を作ってくださった方々から出ることが、とても辛いです。わたしが、今日まで、ここまで生きてきたこと、オーズが好きだったこと、オーズにたくさん救われたこと。全て間違いだったでしょうか。

たとえ私が今、ここで命を投げ出そうとしたとして、その腕を掴んでくれる映司くんは、わたしのヒーローの仮面ライダーオーズはもういないんです。これが「良い結果」です。製作陣の皆様は復活のコアメダルという作品を名刺がわりに一生誇りに生きてほしいと思います。仮面ライダーオーズとそのいちファンを殺したという勲章を掲げて。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。特定を避けたいので、フェイクはありますが、フィクションだと思うのであれば、それはそれでいいです。わたしもフィクションだったらいいなと思いながら書いています。今までありがとうございました。

最後に。

毛利さん
田崎さん
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