優しい言語について考える

こんにちは。クリスマス休暇で私は北欧に逃げてきました。現在デンマークです。

さて、今回のテーマは「優しい言語」。突然ですが、みなさんは日本で(日本語で書いているので日本を対象にします)、
カタコトの日本語で「すみません」と言われたら、
もしくは、困っている外国人を見かけたら、何語で話しますか?

「国際」的な英語で話しかける人が多いのではないでしょうか?理由は簡単。多くの日本人にとって、外国語とは英語だから。

でも、ちょっと待ってください。日本の公用語は日本語。もしかしたら、あなたが「外国人」と思っている方は、日本語が堪能かもしれません。もしかしたら、日本人であるかも。

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私の留学先である旧東ドイツは、統一前の教育方針により英語を話せない方が多くいらっしゃいます。滅多に英語で話しかけられることはありません。それはしばしば不便でありますが、一方ではドイツ語でのコミュニケーションを受け入れて貰えるということです。

一方で西欧の首都や大きな街、観光地に行くと、英語の堪能な方を多くみかけます。そのため、アジア人である私はよく英語にて話しかけられます。また、客引きには見境なく中国語や韓国語で声をかけられることもしばしば。
私がドイツにいる時は、ドイツ語でコミュニケーションをとろうとします。しかし、彼らは外国人である我々に対する接し方の1つとして、英語を使うことがあります。私としては、英語のほうが理解しやすく円滑なコミュニケーションがとれることもあり、英語に切り替えたりします。私のドイツ語はまだまだへたっぴですから、相手に気を使わせたくないですし。

ところが、ここで問題が生じることがあります。しばしば、相手の英語は訛りの強いものであったり、ドイツ語のボキャブラリーが混在してしまったものであったり。英語は上手いけれど、早すぎて聞き取れなかったり。

無論、受け手の語学力はある程度必要です。私が勉強不足の点は認めます。しかし、多くの人種が入り混ざる国において、また観光客が押し寄せる国において、ドイツだけではなく、こうした状況によって、円滑なコミュニケーションがとれないといったストレスが溢れているような気がします。

じゃあ、どうすべきか。ここでは、以上の経験を元に考えた日本で外国人に対する接し方の提案をしていきます。上から目線ですみません。

1つ目
やさしいにほんご、で伝える。


日本にいる外国人が全て英語が堪能だとは限りません。日本語を日本語訳して伝えること。

例えば券売機の故障(ドイツでよく見かける事例です笑)。
「故障中」と貼り紙をする。これは、漢字を習得していなければ読むことができません。「つかえません」と書くことだってできるはずです。1つの表現でできるだけ多くの人に伝えるには、こうした言い換えができるはずですよね。

2つ目
優しい英語、で伝える

英語はやはり、国際的に重要な言語です。無論学習者も多く、多くの人々が頼りにしていることは無視し得ません。「英語なら伝わるだろう」と、早めの英語でまくし立てる。でも、あなたはネイティブではありませんし、訛っているはず。突然津軽弁で話しかけられる程の衝撃を相手が受け取っているかもしれません。
多くの人を相手にするには、やはり優しい英語が効率的である気がします。(お恥ずかしいのですが、飛行機の機長からのアナウンスはしばしば聞き取れません)

伝わらないコミュニケーションツールとしての言語は、相手に威圧感を与えてしまう気がします。
そして何より伝えたいのは、状況に合わせてレベルを分けて話すことができることこそ語学力に求められていることなのでは、ということです。無論、これらはアカデミックな場やビジネスの場では通用しないことでしょう。しかし、公共の場や対人関係において、大切な気がする、ただそれだけの筆者の思いつきであることは、ここに付け加えるべき重要なことでしょう。

「他の言語を習得して運用し、より流暢なリテラシーを身につけること」は紛れもなく大切なことです。また、他の国や他の言語圏で生活したり、コミュニケーションを取る際に求められることです。単純に自らの知見を広げることにも繋がります。

でも、リテラシーの程度の多様性に目が向けられることは少ないはずです。少なくない人が精神や身体に障害を抱えるように、言語だって障害になりえます。自らのリテラシーを向上させて壁を取り払うことにばかり耳目を集められる現代社会において、自らの言語が壁を作っていないか見直してみる機会を、ヨーロッパでの生活は与えたと感じています。

国民国家を強く認識せざるを得ない欧州より

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