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「留学の年」2018年を振り返って ~1月から9月~

(写真は、出発直前の羽田空港国際線ターミナル)


世間は師走。「暦の上ではDecember」。一年が終わろうとしています。私の交換留学の暦は4か月目であります。振り返ると誰もが短いと言ってしまうものです。しかし夏以降は特に凝縮された日々でした。日本にいるときを含めて、一年を振り返ります。

2月:人生ではじめてヨーロッパに来ました。大学のとあるプログラムでフィールドワークやインタビューをするため、ベルギー・フランス・ドイツを横断。ドイツでは「この国に住むのかぁ」とワクワクしていた半面、ヨーロッパ特有の環境に慣れられるのかと不安混じりでもありました。日本って遠い島国だなあとも感じましたね。

3月:留学まったく関係ありませんが、バイト先の受験生の合格発表でした。大学受験に失敗しまくった私が、しかも浪人しても不得手だった古文を、バイトで得意になるとは思ってもみなかったことです。古文はさておき、英語は大学での「基礎体力」であることを伝えきれたかなあ。私自身、語学は本当に苦労してますから、「指導」だなんて恥ずかしい限り。

とんで6月:東京でのマイナビ国際派のイベントを覗きにいきました。留学予定者も参加できたので。こんなに知らない企業があるのか、というへっぽこな感想。血眼で「就活」にしがみつきたくはないので、頭の片隅にでも置いておきます。...東京から帰ってきた翌日に地元を地震が襲います。今年の漢字は「災」。関西は本当に大変な年でした。

夏学期:ゼミを4つ履修していたので、めちゃめちゃ忙しかったです。特に、アンダーソンの『想像の共同体』を読むゼミ。輪読は苦手じゃないですが、毎週読み込むのに本当に時間を要しました。週末はコ〇ダ珈琲に通ってました。机が広いので勉強しやすいんです。肝心のコーヒーは高いしあんまり好きじゃないんですが。シロノワ〇ルは一人では大きすぎるし...、あ、豆は美味しいですよ。......
ここでもっとドイツ語の勉強詰め込むべきだったかなあ、とやや後悔するも後先にたたず。やるべきことはやってきた、と言いたいんですが、なかなかそうは問屋が卸しません。

夏休み:友人と「旅納め」。多くの友人が私の留学中に就職してしまいますから、学生時代最後のお別れをしてきました。こんなに時間をとってゆっくり旅するのも、学生の特権ですから。
ここで留学の準備も大詰め。ネットバンキングや在外投票の手続きに、親不知を抜いたり、留学先に必要経費を支払ったり。出発が近づくにつれ、結構不安でした。その不安は的中します。

大波乱の出発前夜:発熱。ボクはいつもこうです。大切な用事がある日に限って体調を崩します。成人式も修学旅行も高校入試もこう。家族も友人もかかりつけの医者も私のこの「伝統芸」には呆れつつ、「いつものことだな」と扱ってくれます。すみません...。
仕方ないので、気合で乗り切って出発することに。幸いにも、熱も容体も回復して空港へ向かいます......が。

出発当日:家族と友人が伊丹空港へお見送りにきてくれました。しかし!台風で関西空港があまり使えない影響が機材繰りに及び、搭乗予定の便が欠航に。幸いにも早めに来ていたので、振り替えて羽田へ行くことになりました。なんとかなるものです。無事に、ベルリン・テーゲルへ到着し、翌日にハレへ。それにしてもテーゲル空港は狭すぎる...。神戸空港のコンパクトさとは違うんですよ、せせこましいというか。

9月:こうして留学が開始。9月中は語学学校へ。クラスメイトでシリア難民の方のお話が、本当に頭から離れません。ニュースでしか見聞きしてこなかった「難民」と、一人の人間として接する機会がここでありました。そして、実際に難民として避難された経緯を事細かに語っていただきました。日本の大学に通っているだけじゃなかなか接することがありませんから、貴重な出会いだったと思います。

この9月、もちろん語学学校も忙しかったですが、ドイツでの生活に順応すようという気持ちが一番ありましたね。精神的にも無理していたところがあったと思います。「一人で頑張ろう」と。ホストファミリーは悪くなかったのですが、ちょくちょくウマが合わないこともあり...。それに毎日誰かの家に呼ばれたり、不規則な夕食時間や生活リズムで疲れ切っていました(笑)


でも、この最初の一か月間でドイツ語は結構鍛えられた気がします。家にいるときも語学学校でもテレビをみるときも、ほぼすべてがドイツ語。新鮮でした。でも、時々「あなたのドイツ語じゃあ、大学で勉強ついていけないわよ」とホストマザーに言われてたり...。その通りだったんですよね、耳が痛いです。

10月以降、大学開始後のまとめはまた後ほど。


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