川のほとりの鯛焼き

 しばらく、お客様が途切れた合間に、「三途の川」を渡ってきました。今日は、意外にすいてました。

川のほとりにある、いつもの鯛焼き屋の店員さんが、次のような話を聴かせてくれました。

 店員さんは、30歳台で、元は自衛隊員でした。彼の言葉では、元気さ余って体育会のノリで入隊しました。しばらくして、お国の為にという崇高な目的などについて、志の高い上官の言葉に刺激され、考えることがありました。ただ、それも勢いで、あまり実感を伴って考えてはなかったそうです。
 3年目の時に、読書好きの先輩と一緒の小隊に回されました。そこで、初めて「思想」とも「歴史」とも言えるような話を散々聴くことになりました。

 「この国の形」に始まり、なぜ西欧近代との対決に至り、太平洋戦争後の日米安保のありようなど、「おっさん好み」の近代、現代史が怒涛のように展開します。さらに、現代社会において、筋の通らないねじれた「武士道」、在日米軍との訓練を通し、米国の田舎者の兵士におべっかを使い過ぎやないか、米軍のような多様性を何故日本人は受け入れられないのか、同調圧力が強くて思考停止やないかなど、熱い語りを聴かされる羽目になったのでした。

他の先輩方は「あいつはインテリやからなぁ」と、あまり相手にしてませんでした。好奇心旺盛な彼にとっては、知識をもとに自分の考えを語る先輩が、歌に「合いの手」を入れているかのように感じ、自分でも本を読むようになったのでした。

ある時、災害派遣の折りに、90歳台のご老人のお世話をしました。ご老人は、戦争中、海軍で、沖縄戦間近に武器を運んで、本土に戻ってきたそうです。その後も本土決戦に備えて、各地を回りました。夜間にB -29が照らされる様子やグラマンの機銃が襲いかかる怖さをいきいきと語ります。
 彼は先輩から聴いた様々な話や自分なりに本を読んで考えたことを少しずつ聴いてみました。
彼の質問の骨子は「戦いの中で、心の支えになった考え方はなんなのか?」ということでした。

 ご老人はニコニコ笑いながらも、「考え方も、何もないね。腹が減ってきつくて、きつくて、戦後に飯にありつけた時に助かったって。いくら勇ましいこと言っていても病気と空腹でもう何がなんだか、思想も哲学もへったくれもない…」

彼は考えました。思想も哲学も空腹の前で無力になる瞬間がくる、それは、いわゆる「腹が減っては戦はできぬ」というフレーズよりも、切迫した悲しみや狂気に満ちているように感じました。

ご老人の家の片付けなど手伝い、基地にもどり、しばらくして、自衛隊を辞めました。
彼は、運送業、警備の仕事の後に、鯛焼き屋を始めました。
鯛焼きの良い所は、今川焼など丸い形よりは、日本的な刺激がある所です。

彼は笑顔で呟きます。
「鯛を見て、「おめでたい」と韻を踏んだりできます。極東の島国は言葉が波にのります。」

 彼の話を聴き終わりました。

 もしかすると、彼は、戦禍の中で、空腹で苦しんだ若かりし時のあのご老人に鯛焼きを届けようと、必死で時間を遡っているのかもしれないと思いました。

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