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それでも忘れられない君へ。⑦

「どうしたのよ、一体!」

 息を切らしながら追いついた綾がようやく追いつき、加奈子の肩を捕まえた。加奈子はこれ以上綾を振り切ろうとはせず、その場に立ち止まる。
 蝉の声、綾の乱れきった気息、そして遠巻きに聞こえる野球部連中の掛け声だけが夏の、昼下がりの住宅街に鳴り響く。

「ごめん、ちょっと怖くて…」
 加奈子はようやく振り返り、綾の半袖を軽く引っ張った。
「怖くてって…野球部?」
「うん…別に、わだかまりはないつもりだったんだけどね…」
 綾の制服を掴む、うつむき加減の加奈子の声のトーンは明らかに落ち込んでいる。
「まぁ…わからないでもないよ」
 と綾は言い、加奈子の手を軽く振り払った。綾は加奈子の背中をポンと軽く叩き、二人で学校へと戻ることをそれとなく促す。さっきのように軽やかな足取りではないが、それでも加奈子はゆっくりと再び歩き出した。

 美術室に戻り、加奈子は綾から貰った大福を、炭酸水片手にはむはむと食べている。綾も同じ大福を頬張りつつ、自分がこれまで描いたスケッチの数々を見て、自分の課題等について考え込む。
 午後3時を過ぎ、外の雲行きが急激に怪しくなってきた。ぱたぱたと雨が窓ガラスにぶつかりはじめ、遠くではどうやら雷も鳴っているようである。加奈子は外を観ながらスマートフォンを取り出し、今後の天気予報をアプリで確認した。
「大丈夫、17時ごろには止むって」
「そう、それなら良かった」
 そう答えながらも、綾はスケッチから目を外さない。
 外で本格的に強い雨が降りしきるなか、慣れた沈黙が美術室を支配する。そんな中、誰かが教室のドアをノックしたような気がした。ひょっとしたら今降っている雨のことで、顧問が二人の様子を見に来たのかもしれない。加奈子は立ち上がり、美術室のドアを開けた。

 そこに立っていたのは顧問の先生ではなく、雨に濡れた少年だった。夕立のような雨に降られ、雨宿りのためにこの学校に入ってきてしまったのだろうか?
「どうしたの?」
 加奈子が若干警戒しながらも声をかけると、少年は濡れた姿のまま、加奈子に抱きついてきた。
「わ、ちょっと…!」
 せめて身体を拭いてからにして欲しかったが、もう手遅れだ。服越しに、少年の髪についた水分がじっとりと加奈子の腹部を濡らす。加奈子の声を聞いて、綾も立ち上がって加奈子のもとへと近づいた。
「どうしたの、その子供?」
「わかんない。綾ちゃん、タオルかなんかある?」
「あったかなぁ… ちょっと、探してみる」
 綾は準備室に走るようにして入っていった。加奈子は少年に抱きつかれたまま、美術室のドアをぴしゃりと閉めた。

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