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それでも忘れられない君へ。③

 美術室で待っていたのは、元林から事情を聞いていた綾だった。

 既読〘私、そんなこと言われても何もできないですよ?〙

〘いいの、むしろそっとしてあげて〙

既読〘わかりました。けど…期待しないでくださいね……〙

 そんなSNS上でのやり取りを前日にしていた綾も、同級生の友人から「下級生の野球部マネージャーが喫煙で停学になった」という噂は聞いていた。ただしそれは「ざまあみろww」とかいう、嫉妬と嘲笑に満ちた文脈においてである。
 綾は自他ともに認めるナルシストで理想主義者で、他人に嫉妬しない、というより、他人にそこまで興味が無い。加奈子の話を聞いたところで、接点のない下級生の話なんか「へー」以外の何物でもなかったし、むしろそういう話を聞いていると、段々と自分の品位が下がってしまいそうな気がする。
 綾はそんな同級生に背を向け、美術室へと引きこもる。そういう、良くも悪くも他人に干渉しない性格が、ひょっとしたら元林に「ちょうどいい」と思われたのかも知れない。

 身長165cmの加奈子は美術室の入口で、身長152cmの綾を見おろした。長方形の眼鏡で短髪、絵の具や鉛筆で制服を汚さないためにジャージを羽織る綾の姿は、スカートを履いていなかったらとてもじゃないが女子には見えない。目つきこそ鋭いが1学年上には見えない顔立ち、そして癖っ毛なのか髪の毛が外にちょんとはねており、少女というよりは少年、それも「美」のつくような風貌である。
 一方、綾から見た加奈子は見るからに疲れた雰囲気こそあるが、想像していたような「停学を食らうようなタイプ」にはまるで見えない。むしろ動物とか子供とかが好きそうな、体育会系の野球部には場違いなぐらい優しい目つきをしていたのが印象的だった。逆になぜ、彼女のようなタイプの人間が男と喫煙し、停学を食らう羽目になったのだろう。いや、そういうタイプだからこそ、喫煙を薦めてくるような悪い男を引き込んでしまったのか…

「ようこそ。元林先生から話は聞いてる」
 とにかく綾は口だけで笑顔を作り、加奈子を教室の中に入れた。
 加奈子は恐る恐る中へと入っていく。授業で美術室に入ったことはもちろんあるが、自主的にここに来たことは初めてだった。とはいえ、ホワイトボードの上に《モナ・リザ》や《プリマヴェーラ》なんかの名画のパネルが置かれているぐらいで、特段他の教室と比べて変わったものがあるわけではない。唯一普段と違うのは、教壇の上に、綾がクロッキー練習用の石膏像を置いていたことだろうか。最前列の机にはスケッチブックと、数本の鉛筆が丁寧に並べられている。

「別に何しててもいいよ」
 綾は自分の席に戻りつつ、加奈子に声をかけた。
「え?」
「私も準備で忙しいし、迷惑さえかけなきゃ。ひょっとしたらモデルぐらいはお願いするかも知れないけど…」
「モデル…」
「安心して。そこらへんに突っ立っててもらうぐらいだから」
「はぁ……」
 一方的にまくしたてる綾に対し、加奈子は生返事をするぐらいが精一杯だった。

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