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●完全版:8/24(月)◆「対馬丸」が撃沈され、妻子全員を失った男の日記……「生涯取リ返シノツカナイ誤断ヲシタ」の悲しさ!


【注】文中、リンクが開かない部分があるようですので、
その場合はコピーして検索窓に貼り付けて下さい。

また、長文のため、下記の文章は、前半のみです。

もし100%掲載の「完全版」をご希望のかたは、ほん
のわずかですが有料とさせていただいています。

前半だけでもお役に立つとは思いますが、後半部分には、
いつも、山田の熱い思いが綴られています。 

難しいことを易しく、悲観を楽観に、そして明日への
希望へとつなぎたい……。

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     ニッポン人の心と体を、「笑顔で」救う!

      ★完全版メルマガ「暮しの赤信号」★

       2020年08月24日(月)号

            No.3810

毎朝、早朝5時、全世界に向けて2配信スタンドから合計
約5200部を発行(日曜は休刊です)。創刊日は2004/10/5。

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『脱コンビニ食!』(平凡社新書)や『危険な食品』(宝島社
新書)などの著者で、食生態学者、そして日本危機管理学会
員でもある山田博士(ひろし)が配信。食べものだけでなく、
人としての生きかたを考えます。なんともユーモラスな文体
が人気のようで……。




やあ、こんにちは。
山田博士(ひろし)です。
お元気でしたか!

今日もまたお逢いしましたね。
嬉しいです。

地球という星を平和にしたい。
そして子どもたちの頬(ほほ)に流れる涙をストップさせ
たい。

空でのんびりと旅をする雲を眺めながら、ぼくはいつも
その方法を考えています。

そのために、「食べもの」が人を180度変え、家族を変え、
文明を変え、歴史を変えてきた重い事実を、知ってほしい。




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  んか。あなたの小さな行動が、人類を大きく救います。
  いま足元にある大地は、世界中につながっております。
     → http://www.facebook.com/yamada.inochi
(最近の原稿に関連した写真を載せていますので、どうぞ)




       ▼目次▼

【1】山田の電子本「社会の裏側!」の本邦初原稿です:

  「対馬丸」が撃沈され、妻子全員を失った男の日記
  ……「生涯取リ返シノツカナイ誤断ヲシタ」の悲しさ!


【2】あなたやあなたの家族を命懸けで救う、山田博士作
   品集!ぜひどうぞ:
  (先日の木曜日にご案内しましたが、まだご覧になって
   いないかたのために、再度お載せします)

   ★ガソリンのような高価な水を買っているかたへ。
    「安全な水をタダで作る簡単な方法!」とは…
          (即実践・第2話)





___________________________

【1】
    ▼山田の電子本「社会の裏側!」本邦初原稿▼

 (毎週「月曜日の早朝5時」を楽しみにしていて下さい)

後日、概略などを付けて、電子本として公開する予定ですが、
読者のかただけには、いち早く、こうしてご案内しています。
___________________________

        【今回のタイトル】
           ↓ ↓ ↓
===========================


「対馬丸」が撃沈され、妻子全員を失った男の日記……「生涯取リ返シノツカナイ誤断ヲシタ」……の悲しさ!

 ~米軍の戦争犯罪と、日本軍部の無責任と、今後、ぼくたち
  がなすべきことを、ぜひいっしょに考えましょうよ~

===========================
 ★毎回、ただタイトルの内容だけじゃなく、山田の思いを
 述べています。その部分も含めてお役立に立つことを……。


           【目次】


★(第1章)

「対馬丸」が沈没後、船内に溜(た)まっていた空気がとて
も大きな気泡として海面に上がってくるたび、たくさんの子
どもが浮いてきたんです。海面に突っ伏して浮かぶのが、と
ても可哀想だった……。そのように、生き残ったかたが、後
日、話しておられました……

★(第2章)

ぼくは、この「対馬丸事件」を思うとき、下記の3つのこと
を念頭に置いています。どうぞ、ご覧下さい。ところで、「対
馬丸」を撃沈させた米軍の潜水艦「ボーフィン」は、現在、
ハワイに「真珠湾の復讐(ふくしゅう)者」と題して展示さ
れているのをご存じですか。驚きですよね……

★(第3章)

そして、日本の軍部は、当時、世界のどこの国とも手を結ば
ず、石油もなく食糧もないのに、戦争を広げようとしたわけ
ですね。これでは、国民はたまったものじゃありません。そ
の結果、軍人、軍属、民間すべて含めて310万人もの日本
人が亡くなったのですが、その6割が餓死でした……

★(第4章)

社会とは、いったん傾くと、ズズズズ……と倒れてしまうも
の。日本でも、先の大戦で軍部が台頭する前は、かなり自由
な雰囲気がありました。それが、ズズズズ……と、傾いた。
ぜひ、皆さんも、せめて大正、昭和の時代あたりを、学んで
みて下さい。何をすればいいか、すぐに分かります……


              ★
              ★
              ★



★(第1章)


「対馬丸」が沈没後、船内に溜(た)まっていた空気がとて
も大きな気泡として海面に上がってくるたび、たくさんの子
どもが浮いてきたんです。海面に突っ伏して浮かぶのが、と
ても可哀想だった……。そのように、生き残ったかたが、後
日、話しておられました……



いま、あるカフェで、この原稿を書いています。

パソコンから目を離してふと見上げますと、斜め前の大き
な窓ガラス近くの席に、4歳ぐらいの可愛い女の子が座って
いるんですね。

お下げの髪をして、体を左右に動かし、いかにも幸せそう。

いいなあ。

自分の横と前の席には、母と祖母のように見える二人の女性
がいて、何の心配もないのでしょうね。

オモチャか何かを、小さな指で触っているその顔を眺めてい
るだけで、ぼくなども、つい笑顔になり幸せになります。

いいですよね、こんなに荒(すさ)んだ社会でも、笑顔と明
日への夢を与えてくれる小さな子どもの存在。

でも、こうした小さな子どもが、ある日、突然、「泣き叫び
ながら海の底に沈んでしまう」……。

もう想像しただけで、胸が張り裂(さ)けそうになってしま
います。

ところで皆さん、「対馬(つしま)丸事件」……って、ご存じ
でした?

昔、学校の体育館で、「対馬丸」のアニメ映画を観(み)た
……というかたもいらっしゃるかも。

先の大戦の末期、沖縄から本土へ疎開する子どもや女性、老
人たちばかりが大勢乗った「対馬丸」が、米軍の潜水艦によ
って、突然、魚雷(ぎょらい)を受けて沈められるという衝
撃的なシーン。

そのシーンを観た人は、その後もずっと頭に焼き付いている
というかたもいるかもしれませんよね。

いまの学校教育現場では、このような話や映画などを子ども
たちに見せているのでしょうか。

現在のような「きな臭い世界」でこそ、もっともっと多くの
かたが知るべき事実だと思っています。

つい70数年前の現実なんですね。

戦争というのは、みんなが●●ころに、再び起こります(過
去を振り返りますと、70年前後がその忘れる時期にあたり
ます)(●●は、下記の設問をご覧下さい)。

これは、人類史を振り返ると、誰にでも分かること。

ところで、この「対馬丸事件」……。

自分の妻子を、この「対馬丸」に乗せたことに後悔し、日々
を記した日記が、最近発見されました。

この機会に、ぜひ、皆さんとごいっしょに、思い起こしたい
なと、思います。

なにしろ、「対馬丸事件」という存在さえ、知らない人が増
えたようですしね。

もちろん、あなた、ご存じですよね(指をさす。あっち向い
てホイ……のような動作をする人もいそうで……)。

この「対馬丸」とは、日本郵船のT型貨物船の一隻(いっせ
き)なんですね。

  「対馬丸」→ https://bit.ly/34pWsA7


このT型貨物船とは、日本における事実上最初の本格的な大
型貨物船のことなんです。

総トン数6,754トンの、大型貨物船でした。

ところが、1944年(昭和19年)7月、サイパンの日本軍が
全滅します。
そのため、米軍の沖縄上陸が必至となったわけですね。

政府は大慌てとなり、国と県は、沖縄の老人や女性、子ども
などの県外疎開を決めました。

当時は、知らない土地に移ることに多くの人たちが乗り気で
はなかったのですが、軍がいわば、「半強制的に疎開を進め
た」と言います。

そのため、当時、県の職員だったある男性は、妻子5人を、
この疎開船である「対馬丸」に強制的に乗船させました。

そして同年の8月21日、妻子の乗る「対馬丸」が本土に向
かって那覇(なは)を出港したわけですね。

この翌22日の彼の日記には、「家ハ火ノ消ヘタル如ク静淋」
とあり、家族を見送った後の寂しい心情が伝わります。

ところが、まさに、この日の夜。

……「対馬丸」は撃沈されたのです。

この男性の思いは、いかばかりか。
想像できますか。

疎開をしろと、妻や子どもたちに強く言って聞かせたこの男
性の心中を思うと、ぼくなら、どのような思いになっていた
か、分かりません。

きっと、気が狂ってしまっていたでしょうね(本当に)。

この男性とは、「対馬丸記念館」に掲示されている渡名喜元
秀さんのことです。

この「記念館」には、彼の妻のフサさんと、子の元三さん、
ヒデ子さん、和子さん、興淳さんの遺影があります(もう遺
影を眺めるだけで、ぼくなど心が穏やかにはなれません)。
  家族の写真→ https://bit.ly/34p7WDP


こうした子どもや一般の疎開者らを乗せた「対馬丸」が、米
軍の潜水艦に撃沈(げきちん)された日から、はや76年
(2020年8月現在時点)。

生存者や遺族が少なくなる中、当時の遺族の心境を知ること
ができる日記が、2020年の3月に、沖縄県南城市教育委
員会が刊した「南城市の沖縄戦 資料編」で初公開されたの
です。

この日記を書いたのは、先述したように、戦後、沖縄県の佐
敷(さしき)村長を務(つと)めた渡名喜(となき?)元秀
さんです(1972年に他界)。

この「対馬丸」撃沈で、妻子5人を一瞬にして失いました。

彼の日記には……「生涯取リ返シノツカナイ誤断ヲシタ」と
あります。

この文章を読むだけで、彼の「後悔」が身に染みます。

でも、本当は、彼は何の後悔をすることもありません。

ただ当時は、彼も、大きな見えない社会に翻弄(ほんろう)
されていただけなんですね。

当時の軍部、当時の日本政府、当時のアメリカ政府。

でも、彼の後悔の念は、ぼくも痛いほど、分かります。
社会の問題だと分かっていても、もしぼくも同じ立場だった
ら、そういう思いだったでしょう。

いくら社会がどうの、軍部がどうの……と言っても、自分の
行動に、真っ先に後悔するでしょうから。

彼は、遺骨が無いため、妻子の魂(たましい)を港まで迎え
に行った……というんですね。  

この「対馬丸」で生き残ったかたが、次のように述べられて
いました。

「対馬丸」が沈没後、船内に溜(た)まっていた空気がとて
も大きな気泡として海面に上がってくるたび、たくさんの子
どもが浮いてきたんです……。

海面に突っ伏して浮かぶのが、とても可哀想だった……。

これは、あるかたの祖父が涙ながらに証言されていたことな
んですね。
生き残ったことも、辛(つら)い。

先の男性のように、家族が一番大切だから、自分より先に疎
開させようと「対馬丸」に家族を乗せたわけですね。

生き残ったかたも、どれだけ辛(つら)く、そして悲しみの
連続の日々だったことか。

ぼくは、その場の光景が、いままるで目の前で起こっている
かのように、見ることができます。

こんなことが許せるのかどうか。

いったい、誰の責任なのか。
そして、二度と同じことを起こさないためには、どうすれば
いいのか。

ぼくは、この「対馬丸事件」を思うとき、下記の3つのこと
を念頭に置いています。

何かと言いますと……。


★(第2章)

ぼくは、この「対馬丸事件」を思うとき、下記の3つのこと
を念頭に置いています。どうぞ、ご覧下さい。ところで、「対
馬丸」を撃沈させた米軍の潜水艦「ボーフィン」は、現在、
ハワイに「真珠湾の復讐(ふくしゅう)者」と題して展示さ
れているのをご存じですか。驚きですよね……



その3つとは……。

一つは、軍艦でもない民間船を、平気で撃沈(げきちん)し
てしまったアメリカの「戦争犯罪」についての責任。

二つは、聴く耳を持たず、世界の状況判断を誤った、当時の
日本軍部の責任。

三つは、今後、同様のことを起こさないために、ぼくたちの
すべきこととは何なのか。

まず、このアメリカの「戦争犯罪」について。

皆さん、知っています?

この民間船の「対馬丸」を撃沈させた米軍の潜水艦「ボーフ
ィン (USS Bowfin, SS-287)」は、現在、ハワイに「真珠湾の
復讐(ふくしゅう)者」と題して展示されているのです(!)

  潜水艦「ボーフィン」→ https://bit.ly/34pyuEV

そして、パネルには、下記の文言(もんごん)が……。

潜水艦は日本軍全艦艇の30%の撃沈に貢献した。
潜水艦は日本民間船の55%の撃沈に貢献した。

日本民間船の55%の撃沈に「貢献」……!

まさに「狂気」ですね。
そう思いませんか。

兵士でもない民間人が乗っている船を撃沈したのに、こうい
う文言を平気で書くことができるアメリカという国の怖(こ
わ)さ、そして不気味さを改めて、思います。

ぼくは、ジャズなどアメリカの文化や、陽気なアメリカ人た
ちが大好きです。

でも、上述のような博物館がいまも存在していること自体、
信じられないんですね。

もし日本が逆の立場なら、「平気で」こんな行動をするだろ
うか。
そう思ってしまいます。

日本には、「武士道」があります。

そして、たとえ敵だったとしても、女性や子ども、老人たち
のような民間人を殺戮(さつりく)するという卑怯(ひきょ
う)な発想は、どこにもありません。

過去、もちろん軍部や軍人の独りよがりの行動ではあったか
もしれません。

でも、少なくても、そうした行動に全体としての「全体の同
意」はなかったように思います。

ましてや民間人を殺戮したことに貢献した……なんて文言は
間違っても、過去に永久に遺(のこ)すことはしないでしょ
う。

それらは、「人間の行為として悪の結果」だと思っています
からね。

でも、アメリカでは、政府の博物館に、堂々と、こうした文
言を記載する。

何度も言いますが、ぼくには、とても信じられません。

アメリカ自体が、平気でこのような行動をし続けていれば、
どれだけ世界に向かって核拡散防止などを叫んでも、誰も信
じないのじゃないですか。

じつは、「民間船」が撃沈されたのは、この「対馬丸」だけ
じゃないんです。

多くのかたはご存じないでしょうが、台湾から日本本土に向
かっていた「民間船」もかなり撃沈させられています。

それに、あの「阿波(あわ)丸」も、そうでしたよね。

この「阿波丸事件」は、太平洋戦争中の1945年(昭和20年)
4月1日に、シンガポールから日本へ向けて航行中であった
貨客船「阿波丸」が、アメリカ海軍の潜水艦「クイーンフィ
ッシュ (USS Queenfish, SS-393)」の魚雷によって撃沈され
た事件。

これによって、なんと2000人以上の乗船者のほとんどが死
亡したと言います。

この「阿波丸」は、日米間の協定で安全航行を保障されてい
たはずなんですね。

つまり、「阿波丸」の舷側(げんそく。船の側面のこと)・
煙突・甲板(かんぱん)2か所、に「緑十字」の識別マーク
が描かれていたんです。

そして夜間には、煙突に照明も灯(とも)されたと言います。

アメリカ軍も、「阿波丸」の航路情報を各部隊へ通知し、攻
撃しないよう命令もしていたんですね。

でも、撃沈した……。

この船には、多くの著名人たちも乗っていたんですね。

日本政府は、撃沈直後から戦時国際法違反として抗議してい
ます。

アメリカ政府もこれを受け入れて責任を認めてはいます。

ただ、当時は戦時中でもあるため、終戦後に改めて交渉する
ことになりました。

戦後は、紆余曲折(うよきょくせつ)の末、当時アメリカが
日本に対して行っていた有償食料援助の借款(しゃっかん)
額を、18億ドルから4億9千万ドルへ棒引きすることにな
って、決着しました。

そして、その代わりに、アメリカは日本へ「阿波丸」の賠償
請求権を放棄するよう求めているんですね。

まあ、日本政府も、なんとも腰が引けていますが……(笑)。

このアメリカは、日本と戦闘するにあたり、とても信じられ
ないようなことを、決めていました。

つまり、アメリカは「太平洋戦争の開戦」と同時に、「軍艦、
民間船問わず日本船は撃沈せよ」……という指令を、太平洋
に展開していた全潜水艦群へ出していたと言います。

これは、まさに「戦争犯罪」そのものじゃありませんか。
民間船も、病院船も、みな軍艦と同じように撃沈してしまえ
……。

こんな卑怯なこと、日本人なら誰も考えつきません。

先の大戦で、日本軍の潜水艦が、アメリカの民間船を撃沈さ
せたことなど、一度でもありましたか。

え?
アメリカさん?

そして、そのために、アメリカ人たちから賠償を求められる
ような事件なんて、ありましたか。

え?
アメリカさん?

あの真珠湾攻撃でさえ、日本軍の対象は、「米軍」でした。

つまり、武器を持った兵隊だったわけですね。
丸腰の、ハワイにいるアメリカの民間人など、最初から、ま
ったく攻撃対象じゃなかったんです。

それなのに、アメリカのしている行動は、何ですか。

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