過去の自分とおさらば

私は小中とバスケをし、高校では頂点を目指したかったので強豪校に入学しました。

しかし待っていたのは想像を絶する困難の日々でした。

まず入学すると部員は1年生だけで30人近く計60人近く。

その中からベンチに入れるのは15名。


当時の私は、「小学校の時、県3位のスタメンだったから流石にベンチには入れるだろ」と思っていたしかし、ABCDとチーム分けされ、私はDチームでした小中とスタメンだったわたしは悔しいよりも、「わざわざ遠いところまできて試合に出れない自分が」恥ずかしい気持ちでいっぱいだった。

悔しさもあったので、諦めるのでなく周りとの差を埋めることを意識した。 実際に取り組んだことは、朝5時10分に起きて、坂ダッシュ、ハンドリング、ラダー、ジャンプトレーニングを六時半までこなしご飯は朝、昼、夜、キロ弁。
始めた当初は一週間で7キロ近く増えた。

しかし結果というものは、すぐには出ないもので結果が出なければ出ないほど不安になり「続けて意味あるのかな?」「部活行きたくない」と少しづつ思うようになった

っがそんなある日、たまたま紅白の試合で活躍した私は試合にでるチャンスがやってきた。

その勢いで練習試合でも活躍し、スタメンではないものの、Dチームだった私が一つ上の代とプレーでき所まで成長した。

しかし、スポーツというのは波があるものです。
プレッシャーに弱かった私は一大会終えるとAからBに落ちました。

あんなに時間かけて上がってきたのに、下がるのは一瞬で。これが余りにもショックすぎて段々と部活をサボるようになりました。
当然Dに後戻りです

そして自分なんか代がきて心を入れ替えて再びトライしました。

器具を使った筋トレも始めました。

その結果、セカンドとして試合にも起用されるようになった矢先に疲労骨折がおそってきた。

当初の私は、練習が8時に終わり、それからジムで1時間半筋トレして家に帰り、眠るのが12時、起きるのが5時、疲れも十分に取れない生活を送っていた

治療には2か月、必要と言われ。

復帰するとDチームだったころの自分に戻っていた

今回ばかりはとてもキツく、コーチや家族と相談するほど辛かった。

しかし最後まで部活を続けました



高校時代の経験で私が感じたことは

人生に置いて選択を迫られることはよくあります。
しかし挑戦というのは自分自身から歩み寄るものです。

挑戦というのは先が真っ暗で思い通りにいかない方が多いです。
それに失敗すると「だから無理っていったじぁん」と挑戦者の気持ちを踏みにじる人も多いのも事実です。

私を含め多くの人が周りの目を気にして行動しているでしょう

特にハードルの高いことに挑戦している人に対して、「どうせ無理、またなにかやってるの?!、叶いもしないのにカッコ悪い」と言われることもある

っが「絶対成功してやる」という強い気持ちがあればあるほど絶対に成功に近づくし、

失敗を失敗で終わらせるから失敗になるだけであって、成功するまで挑戦し続ければ、失敗ということは絶対にそんざいしない。
これは誰しもが当てはまる言葉です。

仮に、私のように三年間と猶予の中で試合に出れなく失敗に終わったとしても、
この時の失敗した経験が、
今では社会での成功へのプロセスにつながっています。

正直、成功した数が多い人よりも、失敗した数が多い人の方が人生での深みを感じるのではないのでしょうか。

現に、失敗あっての成功なので、むしろ成功よりも失敗の方が価値があるように感じます。

なので皆さんも私と一緒に挑戦してみませんか?

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