『セカンド・ラブ』第6話 所感
才能のある人間の世界はうつろである、と高柳は言った。地に足のついた仕事をしている人間とは分かり合えないと。結果的にその言葉は結唯の決断を促すことになった。一方、慶は仕事に没頭する一方で結唯の存在が無二のものであることに明確に気がついていく。深い愛情がお互いを欲し合う一方で、理解しあえない溝は決定的になっていく。慈しみあっていた二人は互いの存在によって傷ついていく。
第5話で仕事に没頭し結唯をないがしろにしていく慶に苛立ち、孤独に耐えながらも健気に彼を思いやる結唯の苦しみに感情移入していたのだが、今週は完全に気持ちが逆転してしまった。「ここに帰ってきたわけではない慶」と「すぐに行くとは言わない結唯」。お互いがお互いに求めるものがあまりに違いすぎる。そして愛情が深いからこそ傷は深くなっていく。結唯は言う、「人の気持ちなんて理解できない。理解できないからこそ、わかろうと努力するのだ」と。箴言である。生活の中で忘れてしまっている真理はここにある。
こと、恋愛関係にある二人はお互いのことをわかろうとするあまり、自己犠牲や自己欺瞞に陥っていく。相手に合わせようとし、相手が喜ぶことをしようと無理をする。そしてそれが受け入れられないとき「自分がこれだけ頑張っているのに、なぜわかってくれないんだ」と激しく責める。これは相手を責めていながらも、壊れそうになる自分を守るためのものでしかない。本当は気がついているはずなのに、それを認められないのが愛ゆえに、ということだろう。
慶にとって、自分の夢=結唯の夢、であることに疑いがなかった。ミュージシャンや俳優を目指す若者と思考が変わらないのが残念である。いくら結唯が無気力で平凡な毎日を望んでいるからといって、それは日常を捨てたいということではないのだ。日常こそが彼女の夢であることに慶は最後まで気がつくことができなかった。それを理解したとき、もう彼女を止めることはできないことに彼自身が大きく傷つくことになる。
男女が愛を育んでいく過程の中で、「同じところを目指す」ということがどれだけ大切なことであるかをこのドラマは教えてくれる。それはルールのようなものかもしれない。自分のことだけに努力するわけではなく、二人のために努力することができれば、なにか目に見える形で共通の目標を持つことができれば、慶も結唯もここまで苦しい思いをしなくてすんだかもしれないのだ。
三十代になってからの失恋は本当に苦しい。治りきらない風邪のように長い期間、心を苦しめることになる。だから精神的に深く寄り添うことに慎重になる。そんなことは理解していたはずなのに、それでもその人に心を奪われていくことが恋に落ちるということなのかもしれない。
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