にしさんとの思い出

先日、にしさんがお亡くなりになられました。
にしさんのお世話になったので自分自身のために思い出を書き留めておこうと思います。

とはいっても、にしさんはX(旧:Twitter)でぼくのフォローはしていないし、ぼくのことを覚えているかもわからない。
なんて書くとにしさんに嫌われそう。なんかそういう人を嫌いそうなので。
実際はどうだかわからないけど。

ぼくにとってのにしさんは自分の進むべき道を示してくれる人でした。そしてそれはにしさんがぼくに向けて示してくれたわけではなく、にしさんの発言を自分なりに解釈してこっちに進むといいのかなと思っていたということでした。

にしさんに会ったのは社内の研究会と呼ばれている会で発表したときでした。それまでは聴講者としては聞いていましたが、自身で発表したときにはじめてにしさんにも認識してもらったと思います。
当時は、久米先生、中條先生、飯塚先生、にしさんの4名がおられていて、そのときは贅沢であることすらもわかっていなかったように思います。

そこからは発表者とアドバイザー的なその場限りではありますが、そんな関係だったと思います。
久米先生からは名称の付け方や本質の捉え方を、
中條先生からは統計的な考え方を、
飯塚先生からはあるべき姿を求めつつもそれを現場でうまく適用できる思考と方法論を
にしさんからは一歩先の指針を
アドバイスしていただけたと思っています。

にしさんにはじめて密接に関わったのは、にしさんがVSTePの実験に協力してくれる人を募集しているツイート(面倒なので旧Twitterの表現にします。当時はTwitterだったし)からでした(そのツイートを添付しようと思ったらにしさんからフォローされていないのでDMを見れなくなっていました悲)。
その時、ちょうどVSTePの内容が自分で描いていたテストのやり方に合致していたので勉強しはじめていたころだったので思い切って手を上げました。するとにしさんも快諾していただいて実際に社内で勉強会+実験の協力を行うこととなりました。
ただ、ちょうどそのころ、ぼくは社内外から責められたことによりメンタルを壊してしまい、休職することになってしまいました。
勉強会に参加できたのは1,2回だったと思います。
実は、メンタルがやられていることはにしさんにも告げていたので、勉強会の当日には「勉強会楽しみ!」というようなツイートをしてくださってすごく優しい方だなと思った記憶があります(あかん、涙が出てくる)。
それまでにしさんのツイートをみていて、何か言ったら怒られそうという勝手なイメージを持っていたのでその気遣いにすごくうれしくなったのを覚えています。
そして最終回間際にようやく復職でき、参加もできました。

自分が社内でも社外でも発表するたびににしさんが何か言っていないかをチェックしていました。
おそらくにしさんは人によってその発言をコントロールされているのだと思います。ぼくに対して辛辣なツイートをされたことはなかったと思います。メンタル最弱なので。
きっと辛辣なツイートをされるほうがにしさんに認められているんだろうなとは思いつつもぼくにはちょうどよいコメントでした。

そんなツイートの中で、例えばJaSST'17 Kansaiで「テスト設計時にテストエンジニアが考えていること」という題目で発表しました。その中で、「『引きずられる』というキーワードを基に、不具合の発生した機能以外でも引きずられる可能性があるものを連想することができる」という内容を説明したのですが、その時ににしさんが「xx社さんはおそらく日本で最初に深く不具合分析をやった会社。ただそれを宣伝するのがクソほど下手だけどな」的なことをツイートされていました。このツイートで「自分のやっていた不具合分析って発表したら需要あるのかな」と思い、次の年のJaSST'18 Tokyoでの事例「NGTの記法を応用した不具合分析からのテストの補強」を発表するに至りました。

またJaSST'20 Kansaiでのテクノロジーセッションにおいて、宣伝を一切せずに技術に特化した内容で発表したことに対して「技術に特化した内容にすることで一番宣伝になっている」的なお褒め?の言葉ももらってうれしくなったのを覚えています。

にしさんに褒められると安心する
にしさんが示してくれる道に安心する
これから自分の心の寄りどころがなくなってすごく不安になりますが、
そこそこ経験もスキルも積み上げているのでそろそろ自立しないとですね。
いつかにしさんがぼくのことをフォローしてくれるまで。

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