私と母 2

蒸発した父を探しあてて、女と住んでる家を見つけた。知らない女の人が、私に色々と言い寄ってくる。

子供を育てるのがどんなに大変か💦と母は、その女に弟を育ててみろ‼️と弟を置いて、私と家に帰った。

母は、泣いていた。この時の様子もうっすらと覚えている。もしも、私が母の立場だったらどうするか?
とても自分の子供を知らない女に渡すことは出来ない。

母は、全てに於いて必死だったと思う。

暮れに蒸発してお金も米も無かった。母の兄が米と餅を持ってきてくれた。ここでは、叔父に命を繋いでもらった。今後もたくさん助けてくれたのは叔父夫婦である。

どのタイミングか覚えていないが弟は、無事にこちらに帰って来た。どんな話をしたのかわからないけど、父が出戻ってきた。女と暮らしていた時に使っていた荷物を持って戻ってきた。未だにその神経が理解できない。

母は、弟を保育所に預け必死で働いた。私は、知らぬ間に家事をするようになった。弟を保育所へ迎えも行った。そして、鍵っ子になっていた。

なぜ、弟が生まれたか?私が、妹が欲しいって言い続けたからだ。決して仲良くない両親だが、私の願いを叶えてくれた。弟だけど😅

つわりが酷く、私を産んだあとに流産もしたらしい…

私は、帝王切開で生まれてきた。仮死状態だった。

流産も経験し、もうないと思っていたらしい…弟の誕生によって色々なことが変わっていった。弟が悪いわけではないのだが、その後のたくさんの出来事で、私が兄弟を欲しがらなければ…と思うことが度々訪れる。

離婚するまでの間に度々ケンカ、父が下心ある時は、必ず母に酒を飲ませる。母は、呑むのは好きだ。だから、簡単なのだ。それが、子供ながらにわかってしまうのが辛かった。

一番、許せなかったのが、取っ組み合いのケンカになったとき、父が母の腹を蹴った。私達が産まれて来た傷痕を蹴った。母はうずくまって泣いた。

これは、思い出す度に 腹立たしいというか許せないという思いが込み上げてくる。その時、「お父さんのバカ」と言って父を叩いた。やっとの親に対する反抗。私に謝る父。何も言えなかった。今だったら、「謝る人が違う」って言えるのに…

だから、私は、父を絶対に許さない。会いたくない。どうでもいい。そんな、気持ちしか持てない。

最近、聞いた話だと離婚するのに準備期間が5年かかったそうだ。30歳で離婚を考え35歳で離婚。

私は、50歳になってる。ここから5年もかけたら55歳だ。これは、急がなければならない。

母と違うのは、離婚を決意した年齢。20年の開きは大きい。

そもそも離婚は私が決意したことではない。旦那から言われたこと。調停にかけて話し合っていたら、話の流れで離婚前提の別居になった。

私は、結婚前に母に酷いことを言った。

私は、あなたのような失敗はしない。と…

同じことが起きてる。覚えているかわからないけど、触れないでおこうと思う😅

ずるいかな?

私も3人産んで3回の帝王切開。離婚をしようとしている。頑張りすぎる。

母と同じようだけど違う人生。

偶然なのか必然なのか…?





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