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『老アントニオのお話し』続編#6    第5部 先祖たちの語り(前編)   (2006年1月~11月)

目次

はしがき
1 ラモナ司令官の軌跡(2006/1/16)
3  黒いフリホール豆の鉢(2006/1/23)
4  悪い夢と良い夢(2006/1/30)
5 「私」と「われわれ」という言葉の誕生(2006/2/3)
6  もう一度、昼と出会うまで(2006/2/13)
7 大地は恐怖を感じている(2006/2/23)
8 良い夢を保管する箱 (2006/3/22)
9 カラコルの戦士(2006/4/3)
10 石と夢 (2006/4/30)
11 考え(2006/8/26)
12 心のない人々(2006/10/21)
13 私とわれわれ(2006/10/23)
14  戦士の神とヨリ(2006/10/27)
15  セイバ、記憶の木(2006/11/17)
16 任務は覚醒させること(2006/11/17)

はしがき

 2006年初頭から2007年半ばにかけて行われたサパティスタの別のキャンペーン(Otra Campana)の場で語られた「先祖たちの語り」は、20数編ある。今回は前編として2006年度のもの16編を紹介する。
  この時期の語り手の多くは、老アントニオではなく、「もっとも昔の人々( más viejos/antiguos/ancianos/ancestros/antepasados/)」という形、あるいは「知恵者・統率者(sabedores/jef@s)」 となっている。老アントニオが登場するのは3編のみである。
 別のキャンペーンで訪問した場所の人たちの大半は、必ずしも『老アントニオのお話し』の読者ではないため、すでに語られたお話を簡潔に要約したり、あるいは別バージョンにした形で話されているものが多い。


1 ラモナ司令官の軌跡
(2006/1/16、キンタナロー州プラヤ・デル・カルメン)

 この会場にいる人たちの大多数は、われわれが今いるキンタナロー州のこの地プラヤ・デル・カルメンの人々ではないようだ。そこで、この会場で発言されたこと、この会場にわれわれが集まっていることに関連して、皆さんに話したい。 
 私がラカンドン密林に到着してからずいぶん年月が経った。
 22年前のことだが、私は一人の賢者に会った。彼のことをわれわれは老アントニオと呼んでいた。あるとき、彼とお喋りをしていた私は、次のように尋ねた。都会からきた私は多くのことを知らなかったからである。
 「マヤ先住民—われわれはマヤの先住民である—は、数多くの戦争、とてつもない征服や破壊の野望の対象になり、とても長い年月が経過したのに、どうして抵抗を継続できたのですか?」
 彼は私に答えた。
 「その秘密は大地にある。人を次々と破壊できるかもしれない。しかし、大地があるかぎり、木々や水、つまり大地とか自然として認識されているものは、自らの力で栄養を取りこみ、何度でもトウモロコシの男女を育て、産んでいく」
 だから、われわれサパティスタにとって、さらには「別のキャンペーン」に参加する多くの人も同じであると確信するが、大地を防衛することは、利害関係の問題ではない。…なんと表現したらよいかわからないが…スノッブな趣味の問題ではなく、生き残ることと結びついた問題なのである。この文化を堅持し、インディオとして生き延びることは、自然が生き延びることと深く結びついている。その意味で、皆さんがわれわれに言ったことをよく理解できるし、われわれの側には問題をよく理解する最良の生徒たちがいる。
 われわれは、「別のキャンペーン」、第6宣言委員会に皆さんをお招きしたい。そうすれば、「別のキャンペーン」で、皆さんが掲げた諸要求の解決策を発見できると、皆さんにお伝えしたい。
 しかし、嘘をつくことはわれわれにはなじまない。皆さんは解決策を見つけるより、さらに問題を抱えることになる。皆さんがわれわれに説明したような、大地や自然の傷、痛み、苦痛などに遭遇するだろう。おそらく、もっと恐ろしく同じぐらい犯罪的なものだろう。
 だが、皆さんは、学び、知り、何かをしたいと思っている別の人々に出会うことになるだろう。皆さんが諸要求の解決策を探しているのなら、われわれサパティスタのそばにいる必要はない。皆さんがそのことを習得し、理解し、ほかの場所にある傷についてもよく知り、そのことに関心をもっている皆さんのような別の人々と出会い、いっしょに戦おうとする人々を探しているのなら、われわれはここにいる。
 まず、われわれサパティスタたち、そして共和国の別の場所から今ここに来ている同志たち、さらにはメキシコのほかの場所にいる同志たちは、代替的な通信メディアやよく知られた報道機関を通じて、皆さんがこの場で発言したことに対して耳を傾け、理解している。そのことをよく考えてほしい。この空間は構築されるためにあると、われわれは考えている。皆さんは、その空間、つまり自然を防衛、保存、そして管理する-すでに存在するものを保存するとともに、さらに発展させるために管理することを目指す-ための場所を構築できるだろう。これがその空間である。
 こうして構築された場所は、全国レベルではほかにないだろう。政党は、地域の事情や獲得票を考慮しながら、環境というテーマを取り上げるかもしれない。しかし、結局は、解決策を提示することはない。なぜなら、この会場で皆さんが的確に説明したように、自然破壊、自然に対する侮蔑、軽視、乱開発といった政策は、政党の色合いとは無関係であり、どれも同じだからである。
 われわれは次のように考える。皆さんが実践してきたように、つまり諸政党から独立し、われわれの固有の力によって、さらに調査、科学技術などの日常活動で、ほかの人々と何かを創りだせるという道理に基づいて、ものごとを構築すべきである。しかも、皆さんが指摘されたように、われわれ全員がくる前、ホテルや道路ができる前から、すでにこの地にいた人たち、つまりこの場合、チアパスからユカタン半島までわれわれを結びつけるマヤ民族から、学びつづけねばならない。
 
 以上が、この問題について皆さんに伝えるべきことである。これからは、別のことを話したい。この場所に、皆さんが同志ラモナ司令官のために作った供物が持参されているからである。

ラモナ

 1996年10月 首都に向かうラモナ司令官に付き添う副司令マルコス
 
 老アントニオの場合と同じように、かなり昔のことである。私が彼女を知ったのは、おおよそ15・16年前である。われわれの闘争の状況を説明している集落のひとつに、彼女を派遣することになった。われわれがどのように世界、国、われわれの闘争、われわれ人民を考えているかについて、われわれは、機会をとらえ、われわれの側にいる人々に説明していた。その時、その集落までの行進を先導する役割がラモナに当たった。彼女はとても陽気で、冗談が好きだった。彼女しか道を知らないので、われわれを先導する役割が当たった。
 そのとき、彼女は冗談まじりに言った。
 「私たちの戦いはいいものだわ。だって女性が先頭を歩くのはこの戦いが最初だわ」
 さらに、冗談めかして次のよう言った。
 「もし、私たちが勝利したら、私たち女性の後を歩いているあなたたち男性も、私たちに追いつけるわよ。そうすれば、私たちが築きあげたい新しい世界では、私たちはお互いに連れだって歩けるようになるわ」
 彼女は冗談めかしてこう言った。なぜなら、先に歩くのは男性で、女性はその後を歩くというのが、その当時の共同体の慣習だったからである。

ラモナ2

             素顔のラモナ司令官

 ラカンドン密林では、私が歩くたびに転ぶことは伝説になっている。近いうち、国のほかの地域でも伝説となるだろう。私は何度も転び、いつもラモナは私のはるか前方を歩いていた。彼女はとても小柄で背が低く、歩く様子は幼児のようだった。だが、彼女はゼンマイが巻かれ、猟犬に追いかけられているように速かった。だから、私は彼女に追いつけず、当然ながら、道に迷うことになった。
 重い荷物を抱え、下を向いて歩きながら、彼女の足跡を追かける術を私は習得した。私はブーツだったが、彼女は裸足で歩いていた。彼女の足跡だけがくっきりと残っていた。彼女は自分の足跡を残して歩いた…。そう、彼女がかなり前を歩いている時、私は彼女の足跡を追いながら歩いていた。
 …やがて、この場所のように、地面が硬い所に到達することになった。私は何も気にかけず、彼女の足跡を見つづけていた。硬い地面のある所で、私は休息のために立ち止まった。呼吸は上がってしまい、パイプが恋しくなった。つまり、私はまったく耐えられなくなったのである。
 その時である。硬い場所を歩いているのに、どうしてラモナの足跡が残っているのだろうかという疑念が湧いてきた。地質の問題についてはよく知らないが、たぶんその種の問題だろうと思った。振り返ってみると、私はブーツを履き、体格はラモナの倍だったが、私の足跡は残っていなかった。彼女は足跡を残しているのに、私の足跡が残っていない理由が、まったく分からなかった。
 かなり先にいる彼女になんとか追いつくと、次のように尋ねた。
 「あなたの足跡はあるけど、私の足跡がないのに気づいていました?」
 「そんなの、最初から、そうよ」
 こう答えると、彼女は再び歩きつづけた。
 その当時、彼女の言っていることが理解できなかった。その後、たしか、特異な気候であるためよく霧が発生するチアパス高地だったと思うが、 ラモナは雲があちこちと漂っているのとじゃれ合うのがとても気にいっていた。つまり、霧が山の上に完全に横たわるようになり、われわれはまるで雲の上を歩いている気分になったのである。

ラモナ3

       ラモナ司令官とサパティスタの女性たち

 その後、私は密林地域に戻ってから、老アントニオに会った。そして、ラモナのエピソードについて話した。二人は会合ですでに知り合っていた。すると、老アントニオは微笑みながら私に言った。
 「われわれのもっとも古い先祖たちが語っているお話をお前にしよう」
 
 われわれインディオの諸民族のいかなる物知りといえども、最初の日々、偉大なる男女が選ばれ、彼らが偉大になったことについて、説明することはなかった。なぜなら、彼らの任務は偉大だったからである。皆さんなら、巨大というだろうが、彼らは偉大という言葉を使っていた。この男女に課せられた任務は、その後に続く人たちが、ずいぶん遠くの場所からでも、地上を覆い隠している樹々があっても見えるように、大きな身体を駆使し、道筋を刻むことだった。最初はそれが実行されていた。しかし、ほかの人たち、小さな人、つまり小さき人々のあいだに、そのことに対する嫉妬や腹立ちが発生してしまった。やがて、それは深刻な問題となった。
 そこで、世界を誕生させた最初の神々は集い、次のように発言した。
 「 どうも、ここでわれわれは問題を作ったようだ。-現在の統治者たちと違って、最初の神々は、悪いことをしたときは、それを自覚していた-さて、この問題にどう対処したものだろうか?」
 さらに、次のように言った。
 「この男女の偉大さを別の形のなかに隠さなければならないようだ」
 そこで、最初の神々は彼らを小さな存在にすることにした。 ところが、彼らは、もともとは背丈が低いどころか、とても大きな巨人だった。
 だが、論争していたはずの最初の神々は、マリンバに合わせ踊りだした。そのため、陽気で踊り好きな神々だった最初の神々は、彼らの抱える問題の詳細を忘れてしまった。こうして、巨人たちの背の丈を変えた。しかし、重さは変えなかった。それ以降、巨人だったこの男女の背丈は小さくなってしまった。しかし、巨人と同じような重さをしていた。それゆえ、足跡を残していたのである。 
 老アントニオは語った。
 マヤ先住民の様式を学ぶため、つねに学ばねばならなかった。下を見つめることを学ばねばならなかった。さらに、異なる色、異なる名前、異なる民族性のカシュラン、異邦人ツル、征服者、長い年月にわたりわれわれを抑圧してきたメキシコ人たちは、次のように吹聴していたという。屈服や服従の証しとして、われわれ先住民はいつもうつむいている。だが、老アントニオは次のように反論する。
 「そうではない。われわれがうつむくのは、深い足跡を探しているからである。つまり、下を見つめることを学ばなければならない。お前は誰かの後をたどるのだ。その人の残した刻印を追い、後についていくのだ。それを見失わないようにしろ。なぜなら、上の世界ではそれを見出せないからだ」 
 そこで、私は老アントニオに尋ねた。
 「その後、いったいどうなったの?」
 結局、この巨人たちが死んだ後は、神々は皆が考えている問題を調整することはなくなった。巨人たちはみんな死んでしまったが、彼らを収容できる墓などはなかった。なぜなら、身体は小さかったけれど、背丈は大きかったからである。さらに、私に次のように説明した。

パカル

                       パレンケ王パカルの棺に描かれた世界樹セイバ

 「だから、セイバの木があるのだ。この男女は横向きには埋葬できない。立ったままで生き、そして死ぬのだ。われわれが立ったままであることを止めた後、彼らははじめて休息できるのである。この人たち、この男女は、死んだ時、大きな母なるセイバの木の一部になった。セイバの木は、彼らを優しく包んでいる」
 その後、現在まで長年にわたり、私は自分の歩みを見つづけた。だが、足跡はまだない。だが、ラモナやわれわれを導いてくれたほかの同志たちの歩みを私はいつも思い出している。そして、大地が硬く乾燥していても、あるいは都市に出かけたときのように地面が舗装されていても、彼らが深い足跡を残しているのを私は見つづける。その足跡を見失わないように、私はいつも執拗に下を見ている。その足跡、われわれを導いてくれた同志たち、すべてマヤ先住民の足跡とともに、われわれがここマヤの土地に到着し、これから国中を行脚するつもりである。
 さて、皆さんは気にしないほうがよい。私が下を見ているのは、皆さんが履いている靴を批判しているというのは、よくない考えである。しかし、実際には、足跡の奥底にあるものを見ていたのである。われわれが現在まで見てきたことは、深く、確実で、奥深いものである。
 皆さんといっしょにいること、この国に何かよいもの、現在あるものより正当で、自由で、民主的なものをいっしょに構築するため、皆さんの後からついて行くことは、われわれにはきわめて栄誉なことである。そのようになった国では、誰を最初に殺害するかをめぐって、自然と人間が抗争することはない。

ラモナ墓所

                              サンアンドレスの共同墓地にあるラモナの墓

 以上が、皆さんに話したかったことである。皆さんがラモナのために作った追悼記念品の一部は、帰ったときに彼女の家族に手渡すつもりである。残りはセイバの木の根元に安置したい。われわれが宿営している場所で、いつも彼女のことを思い出すだろう。 
 ありがとう、男女の同志の皆さん。では、おやすみなさい。


2 マヤの人は歌うように話す(2006/1/18、ユカタン州メリダ)

 われわれの先祖たちが語るには—私も同じように語る。なぜなら、われわれはマヤの土地にいて、われわれインディオの民はマヤの末裔だからである—。われわれのもっとも古い先祖たち、人々の歴史を語りながら護っている古老たちは語っている。最初の神々は、世界を創造する際に、歌いながら創ったという。だからマヤの人々や末裔たちは、歌いながら言葉に特別の意味を与えるようになった。言葉は、ものごとを創り出し、それに外見を与える力をもっていた。
 それ以来、マヤの子孫であるわれわれサパティスタは、ものごとは、それについて話しだした瞬間から存在しだすという考え方が身についてきた。
 また、次のようにも言われる。こうした考えに基づき、マヤの人々やマヤ系言語は、小さな歌を歌うように話すという。それゆえ、世界が、多くの形と色を備えた完全なものとなったのである。こうして、最初の神々の歌の産物として、世界は生まれたのである。最初の神々がトウモロコシの男女に与えた遺産として、そのような話し方のトーンが生まれたのである。
 その起源が何であるかを理解していない人々は、そのトーンについてバカにしたように嘲り笑っている。この歌うような話し方、世界に向かって歌い、世界を描こうとするやり方は、われわれの最も古い先祖たちに世界がどうなっているかのシグナルを与えていたものである。


3 黒いフリホール豆の鉢(2006/1/23、カンペチェ州シュプヒル)

 われわれの最古参の統率者、チョルの年配の人々—われわれのチョルの統率者—が語る伝承、お話がある。そのお話では、世界が始まったとき、すべての人々は、平等に働き、おたがい一生懸命に働き、誰もが平等だったという。つまり、世界は上下関係がなく、平らだった。
 そしてある日、最初の男女であるチョルの人々は、手に入れたすべての富を集めると、すべてを大きなテーブルに並べた。テーブルの上には、果物、肉、野菜など、とてもいい食料が山盛りとなって豊富にあった。
 しかし、皆がまだ働いている最中に、数人が抜け出し、テーブルがある家に入り、できのいいものをすべて手づかみし、目いっぱい食べだした。そして、胃袋に収まりきらなかった物をほかの場所に隠してしまった。
 こうも言われる。最後にわれわれチョルの親たちが到着した時、テーブルには黒いフリホール豆の鉢しかなかった。なぜ食べ物がなくなったのか、協力して作ったものはどこにいったのか、チョルの親たちは、ほかの人に訴えた。すると、ほかの人たち、つまり泥棒、物を隠していた人たちはフリホール豆の鉢をつかみ、家の中に逃げ込んだ。
 われわれの最古参のチョルの人々は語っている。そのため、われわれは茶色の肌であり、われわれの肌の肌はそのときの状態のままである。しかも、それ以来、われわれには何もなくなってしまったが、われわれに残されたのは、われわれの仕事、大地に種をまき、トウモロコシやフリホール豆など、今も食べているすべてのものを育てるという能力である。
 そして、もともとラカンドン密林第6宣言が説明しているように、神のご加護で資産家になったわけでも、運が悪く無産者になったわけでもない。資産家は盗んだのである。つまり、われわれが分かち合った労働の成果を盗んだのである。その結果、無産者は何もない状態にされてしまった。
 「あなたたちは自由だ」と、権力者たちは言ってきた。しかし、所有するものがないからであり、雇ってくれる人を探しつづけねばならないので自由である。われわれの労働で生計を立てている連中は、ユカタンではアシェンダ経営者、チアパスではフィンカ経営者と呼ばれてきた。

アセンダード

        19世紀後半のユカタンのアセンダード 

フィンケロ

        チアパス高地のフィンカ経営者家族

 このことは、ラカンドン密林第六宣言で説明している。われわれが今抱えている問題は、悪い神がわれわれに呪をかけたとか、運が悪いとか、あるいはそうなったから仕方がないということではない。われわれがこのような貧困と困窮の状況にあるのは、連中がわれわれから盗み、奪い、そして毎日、われわれの労働を収奪しているからである。
 それが真実である。酒が多いからとか、金持ちは頭がよくよく働くから、金があるのだと言って、誤解している人がいる。しかし、同志たちよ、そんなことはない。金持ちは、より多く働くのでより多く持つというのは、間違いである。それどころか、金持ちは少ししか働かず、まったく働かないものもいる。また、知能が高いというのも、本当ではない。また、肌の色も関係ない。褐色の肌をした酷い連中もいれば、善良で白い肌の人もいることをわれわれはよく知っている。
 ここで問題なのは、肌の色や言語ではなく、誰が富を持ち、誰がそれを生産しているかということである。富を生産するのは農民、労働者、漁師、農村部や都市の労働者、そして富を保有するのは金持ちである。
 当然ながら、われわれチョルの先祖たちは、人々はそれほど模範的な存在ではなかったと語っている。「そんなことには同意できない。自分たちのものを守るために組織化しよう。テーブルにあるものはわれわれ全員でつくったもので、たくさんあったはずだ。どこに隠されたのだ?」 一方、独り占めした人は、必要なときに取り出せるよう隠しておいた。
 こうして、われわれがよく知っている問題が起きた。その問題とは、農民や労働者が生産しても、それが自分たちのものでないことである。だから、富を所有するためには買わなければならない。つまり、われわれの国の至る所で、農民が食料を生産するが、それは彼らのものではなく、金持ちのものである。だから、なけなしの給料、少しばかりのお金をまとめ、それで自分たちが生産した食料を買うことになる。都市部の労働者も同じである。服や靴、車両、そして薬などのわれわれの日用品は、労働者が生産するが、労働者もそれを購入しなければならない。
 このように起きたことは完璧なものとは言えず、人々は自分たちで組織化しはじめた。すると、その金持ちや権力者たちは、「彼らの方が人数も多く、力も強いので、われわれは連中に勝てないので、彼らを分裂させよう」と言った。そこで、それぞれに悪い考えを注入することにした。つまり、俗に言う噂をばらまくようになった。つまり、あなたは不細工だ、あなたはとてもデブだ、とか言うようなる。そして、自由と正義のために戦っていたはずの人たちは、怒りを爆発させ、お互いに争うようになった。


4 悪い夢と良い夢(2006/1/30ベラクルス州ハルティパン)

 老アントニオが私に語ったお話を皆さんにすることにしよう。そのお話しを記述することで生じるかもしれない叱責や緩慢な分析を抜きにして、まずお話しを記憶から呼び起こしている。
 たしか、とても寒かった1月の夜明け前である。サンクリストバル市を占拠した年から10年前、ここの皆さんの前に到着した今からだと、12年、いや22年前の1月である。

サンクリ占拠

    1994年1月1日、EZLNのサンクリストバル市占拠

 
 いつかは忘れたが、あるとき老アントニオと出会った。そのとき、私はラジカセで音楽を聴いていた。私は、背後にいる老アントニオに気づいた。そこで、そのままでは不適切と判断し、私は少しばかり音量を下げることにした。老アントニオが話しだすのがわかっていたからである。おもむろに、私はドブラドールの煙草―巻紙がないので、われわれはトウモロコシの葉で巻いたものをこう呼んだ―に火をつけた。老アントニオは私から煙草を奪いとり、自分がつくっていた巻き煙草に火をつけた。そして、これから私が皆さんに話すよい夢と悪い夢のお話しをしてくれた。

 老アントニオは語った。
 「世界には悪い人がいる。とても悪いので、その悪いことは外に拡張し、妖怪のように出歩きだした。よい人が悪い夢、つまり悪夢を見るようになるのは、自分の夢を見ているからではない。自分と関係ない夢を見ているのである。だから、悪夢を見ても、怖がる必要はない」
 このように老アントニオは指摘した。
 「われわれが理解すべきは、そのような悪夢はわれわれの夢でないことである。その意味で、われわれが当時いた世界はまさに悪夢そのものだった」
 さらに、老アントニオは言った。
 「そうした悪い夢、つまりわれわれが抱えている悪夢は、自分たちとは無縁の夢で、自分の夢を外に放り出したままにしている他者の夢である。寝ている時、われわれはそのことに気づかず、その夢を捕まえ、自分の夢のなかに取り込んでしまう」
 一方、「よい夢もある」と、老アントニオは語った。
 「いくつかの夢はよい夢である。だが、われわれはその夢を現実のものに変えるまで、その夢を覚えていない」 
 老アントニオは言った。
 「たとえば、われわれは何度も自由を夢見てきたことがある。われわれが自由を夢見るとき、われわれは他者を夢見て、その人に語りかけた。われわれが語る言葉や耳を傾けること自体を恐れる必要はなかった。われわれの夢のなかでは、われわれは何の問題も抱えることなく、異なった存在のすぐそばにいることができる。われわれはお互いを知り、それを通じて、対立や衝突を生じさせることなく、本来のあるべきものになれる。夢の中では、命令する者も従属する者もいなくなる」
 そして、老アントニオは言った。
 「このよい夢は自由と呼ばれる。そうした夢を獲得したことに気づくことも、気づかないこともある。闘争の中で自由を獲得したときだけ、われわれはよい夢を記憶する」
 さらに老アントニオは語った。
 「正義という別の夢がある。ある人は正義のことを夢見ていた。それは、世界が対等で、平らになることである。食卓に光が注ぎ、言葉の生きる糧がある世界である。人々は笑い、歌い、踊ることになる。世界が、上も下もない、本来の姿になっているからである。この夢は連続しているので、われわれ、つまり慎み深く、気取りのない人は、それを忘れてしまう。だから、正義が実現することを目の当たりにするまで、それを思い出さなかった」
 さらに、老アントニオは言った。
 「われわれはよき存在になりたいと、夢見ることもある。よりよき人間、個々の場合に応じて、よりよき男女でありたいと、われわれは夢見る。その夢の中で、ある人は、自分が完全ではないが、数分前、前日、前年より、よくなっていると感じていた。より完成したものになったと感じていた。なぜなら、他者の声に耳を傾ける力が大きくなったからである。他者に贈る言葉がよきものだったからである。自分が孤立していないことがわかったからである。夢の中では見つづけられたが、自分の外側に実際にあったこの大地という同じ場所で、同じ問題をめぐって、自分のために戦ってきた他者がいたことを知っていたからである」
 さらに、老アントニオは言っている。
 「われわれがよりよき存在となっているこの夢では、存在していた色や音楽はより豊かなものだった。夢はしばしば音楽となった。われわれがよりよい存在になる夢においては、われわれの頭や夢から抜け出し、われわれが目覚めているかを監視してまわっているのは、音楽である」
 老アントニオは立ち去る前、私に次のように言った。
 「よき存在になりたいという夢は、多くの場合、お前が聴いている音楽と同じようなものだ」
 こう言うと、老アントニオは姿を消した。

ソン

    ハルティパンのソン・ハローチョのバンド
 
 私の話が分かったと考えている人たちは、私がその時に聴いていた音楽がソン・ハローチョであると知っているだろう。ソン[ベラクルス州中部の民衆音楽]とウアパンゴ[ベラクルス州北部などワステカ地方の民衆音楽]こそ、私がはじめて音楽や音楽家たちをのぞき見るようにしてくれた二枚の扉だった。その後、本格的に扉を開いてくれたのは、ロックである。
 おやすみなさい、同志の皆さん。ありがとう。


5 「私」と「われわれ」という言葉の誕生
(2006/2/3、ベラクルス州オリサバ)

 われわれの同志である一人の統率者がわれわれに話してくれた。彼はアントニオという名前だった。われわれは彼を老アントニオと呼んでいた。
 われわれの大地にあるあの土地で、われわれの戦いを指導しているのは、年齢を重ねた男女の先住民である。われわれは彼らを年長者、そしてあなた方は老人、または年寄りと言っている。老アントニオと呼ばれた人物-すでに亡くなっている-は年取った統率者の一人だった。22年前、そして今と同じ1月、つまり22年前の1月、彼はわれわれに話してくれた。いくつかの言葉の由来について話してくれた。

オリサバ

          オリサバ市での集会

 この「別のキャンペーン」のこの場所で、ここで、われわれが耳を傾けている人々、つまりこのオリサバの地で発言した人々、さらにはベラクルス州の南部や北部、そして今われわれが滞在しているベラクルス州の中部の都市や共同体で発言した人々とともに、われわれはそうした一連の言葉の意味を理解できるだろう。
 「別のキャンペーン」とされるわれわれの運動は、この集会室でも、何らかの形で表現されている。われわれは、上の世界にいる連中によって蔑まれてきた。彼らはわれわれを迫害し、搾取し、嫌がらせを行ない、投獄し、殺害してきた。
 われわれに言葉の歴史を話してくれた老アントニオは、「私」という言葉がどう誕生したかについて話した。老アントニオは次のように言った。
 「ここにいる多くの人と同じように、大地の最初の男女は先住民だった」
 さらに、次のように言った。
 「最初にこれらの男女が行なった仕事は、すべての人々に分配できる組合せをつくることだった。そこに権勢家や金持ちが登場し、皆の仕事を独占するようになった」
 そこで、われわれの最初の先生、年長の先生たちは、次のように言った。
 「こうして、われわれの大地、つまり現在、われわれがメキシコと呼んでいる大地を駆け巡っている苦悩と闘争に関する歴史は始まった」
 さらに、先生たちは言った。
 「まず一人が話しだした。自分の苦悩、苛立ち、憤慨を命名するに当たって、彼は『私』と言いだした。そして、『私は苦しんでいる』、『私は苦悶している』、『私はこんな問題を抱えている』と、言った。それによって、仲間として自らを認知することを習得するようになった。『私』が登場する前には、何も存在していなかった。生まれた『私』が登場する以前には、搾取も悲惨な生活もなかった。人が『私』という場合には、一個人として発言しているのであり、集団として発言しているのではない」
 そして、老アントニオは次のように言った。
 「われわれが『私』という時、われわれは自分たちの歴史を命名しているのである。それを契機にわれわれはほかの言葉を習得する。われわれは、見ることや聞くことを通じて、自分たちと違う他者を認知できるようになり、そうした存在を『彼』や『彼女』と命名する。だが、ほかの存在から切り離された一個人のなかに、われわれはとどまり続ける。聞く耳を持ち、言葉を開くのではなく、心を開くことで、われわれははじめて、『彼』や『彼女』なかに、こうした同じ苦悩や苦痛が存在することを認知できる」
 さらに、老アントニオは言った。
 「『彼』や『彼女』と出会うとき、『私』は彼らの抱える苦悩が自分のものと同じことに気づくことになる。そして、構築することも成熟させることも難しい言葉、つまり『われわれ』という言葉を構築することになる」
 老アントニオは次のように言った。
 「『私』、『彼』、『彼女』、そして『お前』-十分に信頼できる時の呼び方-や、『あなた』-敬意を払っている兆候-は、『われわれ』に変容するのである。『彼』や『彼女』、『お前』や『あなた』を命名した『私』を命名することになった苦悩や苦痛は、歓喜に包まれ、『私』を変革させる機会を手にすることになる」
 老アントニオは次のように話した。
 「いくつもの苦悩が集まるときがくる。私と彼、彼女、お前とあなたがいっしょになり、この苦悩、この苦痛の責任はいったい誰のものだろうかと尋ねだした。まず責任を負うべきは個人、その後、家族、さらにいっしょに仕事をした集団全体ということになった。やがて、話し、耳を傾けていると、こうした事態の責任を負うべきは、上の世界の連中であることに気づいた。こうして『彼ら』という言葉が誕生した」
 老アントニオは言った。
 「『彼ら』や『彼女たち』と言っているとき、人は上を見つめる。上の連中は、われわれの貧困と引き換えに、自分の富を形成する。われわれの不幸と引き換えに、自分の幸福を作りあげる。われわれの現在や過去と引き換えに、自分の未来を作りあげる」
 さらに、老アントニオは言った。
 「だから、下の人たちについて語るのは、とても心地のよいものとなる」
 さらに、皆にむかって、次のように言った。
 「われわれが教えられたことは、ある段階になったら、われわれは『私』を放棄しなければならないことである。そして、彼や彼女という存在を確認できるようになるべきである。彼らと協力し、われわれの祖国が必要とする『われわれ』を構築すべきである」
 老アントニオは言った。
 「大いなる苦痛をともなう恐ろしいことかもしれないが、われわれはわれわれ自身から自己を切り離さねばならない。われわれは他者を見つめることを習得すべきである。それこそが、インディオとして、われわれが他者とはどのような存在であるかを心で理解できる唯一の方法である」
 そして、われわれに向かって言った。老アントニオは次のように言った。
 「インディオの諸民族がお互いを知り、われわれとして発言することを習得すべき時が到来するだろう。だが、われわれを搾取し、辱め、軽蔑している連中、『彼ら』や『彼女たち』が、さらに増えていくことも間違いない。だから、それだけでは十分とは言えない。インディオの諸民族として、われわれは他者の心に耳を傾け、他者の心に出会う方法を習得すべきである」



6 もう一度、昼と出会うまで
(2006/2/13、プエブラ州サンミゲル・ツィナカンパン)

ツィナカパン

     ツィナカンパンの教会にある覆面姿の聖母グアダルーペ

 長い間、悪しき政府と話し合ってきた結果、われわれは、インディオである自分たちの権利や文化が認められていないことに気づいた。そこで別の道を探すことにしたのである。こうして今、われわれはその道を歩んでいる。
 ここに向かう前、われわれの統率者である100パーセントの先住民、100パーセントのメキシコ人の司令官たちは、彼らが集まっている場所に私を呼び出した。そして、一つの話をするから、これから立ち寄る場所で、その話をしてほしいと言った。そこには、われわれの統率者で1ヶ月前に亡くなったラモナ司令官という先住民ツォツィルの女性もいた。
 男女の同志たちは言った。われわれ全員を集めて、私が皆さん方に今話しているこの話を語り始めた。

 われわれのはるか昔の祖先、最長老たちが言うには、最初に神々が世界を創ったとき、神々はそれを完全なものとはしなかったという。神々は、世界を本来あるべき姿にしなかったという。そして、世界が本来のあるべき姿になるまでに、とても長い時間が必要だった。そして、最初の神々は、自分たちが創造した男女77人を集め、彼らを呼び、これから起きることを伝えた。これらの神々は、自分たちが世界を作ることに十分な注意を払わなかったため、大地の色をしたわれわれを迫害し、辱めてきたのだと。
 そして、聞いていた男女は、神々にこれから何が起こるかを尋ねた。
 神々は言った。
 「とても長くて苦しい夜がやってくる。我々の人々は泣くだろう。彼らは苦しむだろう。そして、彼らの心と頭の中には忘却が訪れるだろう」
 それらの男女はとても悲しくなった。泣きだして神々に質問した。われわれを歩かせる言葉はどうなるのか、われわれを踊らせる音楽や歌はどうなるのか、われわれの踊りはどうなるのか、われわれの色はどうなるのか。
 すると神々は「何も知らない、ここまでが私の仕事の範囲だ」と言った。
 「あなたが夜を追いかけて歩き、再び昼を見つけるまで」。
 そして、最初の神々は、守護者たちを配し、昼を見つけることができるまで、夜の道を探して待つように命じた。そして、彼らの中にコウモリの男女を意味するツォツィルを配し、コウモリが夜を歩くように、夜を歩くことを教えた。彼らに対して、言葉は行き来しなければならないことを教えた。インディオの人々が夜から脱出できるようなドアや窓を見つけるまで、尋ねたり聞いたりしなければならない。
 統率者である男女の同志が、私にこの話をした。そして、歩いて、われわれと同じような女性同志を探せと言った。われわれの色、大地の色で顔を覆い、夜の家に住む仲間を探しなさい。コウモリが飲むもの、歩くのに必要な水を探しなさい。そこに着いたら、それらの男女がもつ言葉に耳を傾けなさい。聞くと同時に、われわれの言葉も伝えなさい。
 彼らと一緒に、彼らの歌、彼らの音楽、彼らの踊り、文化、痛みと反抗の中に、われわれは昼を垣間見るドアと窓を見つけることを始めるだろう。そして、その昼が来たとき、あなたがこれらの男女と出会ったとき、夜の家があるところ、コウモリが水を飲み、渇きを潤すところで、このお話を語り、われわれがそのドアを開けなければならないことを、男女の同志に伝えなさい。われわれは夜に窓を開け、昼を垣間見ることができるようにすべきである。それは、最終的にインディオとして、自分たちの権利や文化を認めてもらうためである。そうすれば、言葉、音楽、歌、踊りが、もう一度、太古の昔と同じように喜びのものとなるだろう。
 そして、われわれが歩かなければならないその時間、その夜の間、言葉、音楽、歌、ダンスは、われわれが自分自身を忘れないための方法だと伝えなさい。そして、昼の扉を開け、夜を残す窓を開けることができたとき、われわれが何者であるかの認識は、すでに地球上に再び人口を増やしている他の人々とともに、再び生まれてくる。
 このように私の男女の同志たちは私に言った。今、私は、夜の家、コウモリが水を飲む場所に到着し、皆さんに話すように言われたお話をしよう。

ツィナカパン2

      サンミゲル・ツィナカンパンでの集会


7 大地は恐怖を感じている
(2006/2/23、トラスカラ州サンペドロ・トラクアパン)

 われわれは、メキシコ南東部の山中、かのチアパスにいる先住民である。ここトラスカラにいる皆さんも同じように先住民である。ここにいるほとんどが先住民なので、すでに高齢に達した人々、われわれが長老とよぶ人たちが、皆さんに話すようにわれわれに託したお話を語ることにする。

 われわれの長老は語っている。ものごとの最初はどのようだったか、世界はどうだったか。最初、土地には所有者はいなかった。分配された区画や私的な所有権も何もなかった。しかし、男女が土地を耕し、そこから生きる糧をえていた。
 やがて一人の若者が来て、長老に尋ねたと、長老たちは語っている。
 「なぜ、われわれは歌うように、小さな歌を歌うように話すのですか?」
 先住民の言葉はそんなふうに話されていた。その老人、長老は若者に語った。当時、神々、世界を創った神々は、先住民の言葉を話す男女はそのようにすべきであると言っていた。男女は歌うように話すと、大地と語ることができるようになったという。
 そして、それらの男女は、大地、水、樹々、丘、動物たちに語りかけるため、独自の文化を作らなければならなかった。というのも神々が言うには、それらは一体で存在していたからである。言い換えれば、われわれが男女としてもつ生命は、大地、大気、水に何もかも依存している。しかも、大地、大気、水も、われわれに依存しながら存在する宿命である。このように愛情をもって大地に語りかける方法である歌として、先住民の言葉は作られたと言われていた。
 「そうか。なぜ歌うように話すのかは分かったが、その後はどうなったの?」と若者は言った。
 神々は言った。
 「その後、金持ちがきて、大地や水や大気を独占する時が到来したのである。そのお金持ちはすべてをお金に変えようとする。土地、食料、大気、湧泉、井戸をお金に変え、さらに人までもお金に変え、売買しようとする」
 「で、どうして、そんなことが起きるの?」と、若者は言った。 
 すると、老人は神々の言葉を若者に伝えた。
  「それは何をしなくも起きる。金持ちは満足することを知らず、やりたいことを続ける。破壊しようが殺そうが、何も気にかけない。金持ちがしたいのは金を稼ぐことだからだ」
 「そうだとしても、われわれはそうはさせない」と若者は言った。
 老人は言った。
 「しかし、われわれはそれを止めることはできない。金持ちの計画では、われわれを分断し、分離し、われわれをほかの人から引き離し、われわれは分離される。こうして分離されると、金持ちはわれわれを打ち負かすことができる」
 「では、われわれはどうすればいいの?」と、若者は尋ねた。
 すると、老人は言った。
 「つまり神々が言うには、われわれが大地に語りかけるように、大地もわれわれに語りかけている。われわれはその声を聞けるようにならなければならない」
  「でも、どうやって聞けばいいの?大地が話していても、私には聞こえない。唸り声をたてて動物が話すのは聞こえるし、樹々を通り抜ける風の音も聞こえる。泉の湧き出る音も聞こえるが、大地の声となると聞こえない」
 すると、老人は言った。
 「先住民が大地の声を聞けるように、神々は別の方法を作った。そして、神々は、肌で音を聞くようにと言った。つまり、両腕、顔、両手や身体にある肌で、聴きとれと言った。そのことを忘れないようにするため、神々は先住民を大地と同じ色にした。いつ先住民に話しかければいいのか、大地がわかるように」
 すると、若者は問いかけた。
 「でも、どうだろう? 自分の肌の言うことも聞こえないのに」
 すると、老人は言う。
 「 神々はこう言った。時に応じて、大地は肌にメッセージを残す。男女の人生の中で経過する時間に応じ、メッセージは合体し、いわゆる皺になる。だから、大地からのメッセージをより多くもつ人は、歳を重ねた人、年長者である。顔、手、身体に皺があると言われる。だから、それは皺でなく、大地が語るメッセージ、この男女に刻み込まれたメッセージなのである」
 「で、何が起きるのか?」と、若者は尋ねた。
 「齢を重ねたこれらの男女は、自分の皺に人々の歴史、大地の歴史、大地が発するメッセージを秘めている。やがて、大地が、恐怖を感じ、重大な危険、とほうもない破壊が起きると感じる日が来る。その時、大地は褐色の肌色をした男女、より年配の人たち、古老たちと話さなければならない。そして、大きな不幸が到来するので、目を覚まし警戒すべきだと、人々に伝えることになる。
 しかし、若者たちは何が起きているのかわからないかもしれないが、より齢を重ねた人たちは当然その事態に気づく。なぜなら、齢を重ねた人々はかつての状況、大地が体験したあらゆる災厄を知っている。同時に、土地を失うことの痛みを良く知っている。そうなると、共同体まで失うことになるからである」
 その老人は、若者に説明するように言った。
 「これから次のようなことが起きるだろう。大地が壊れ、危険な状態になると、男女は自分たちの共同体が破壊されることに気づく。ある者はこちらの方向に向かい、ある者はあちらの方向に向かう。ある者は立去り、土地を捨てる。そうして、土地は、世話をする人を失うことになる。金持ちや権力者が到来し、土地を独占できるようになる」
 そして、その脅威、大地が抱える痛みは、メキシコ南東部の山岳部のわれわれのもとに到着している。また、われわれチアパスのサパティスタ(われわれの大多数は先住民)と同じように先住民で、齢を重ねたわれわれ仲間のもとにも到着した。そして、われわれの統率者である男女が、われわれを呼び集め、次のように言った。
 「われわれは、大地、われわれの母なる大地、山岳部に重大な危機にあると感じている。風、水、動物や樹々は、うめき声をあげている。大地はあらゆる苦悩のうめき声を集めている。われわれのもとにやって来て、何かをすべきだと言っている。そして、これらの先住民族の男女の長老であるわれわれは、この苦悩はここチアパスだけではなく、メキシコ全土でも同じことが起きていると考え、感じている。だから、われわれのようなほかの仲間、つまりほかの言語を話すが、大地に歌いかけるため「歌の口調」で話している先住民の仲間を探しに行かなければならない。彼らの肌は、われわれと同じ色をしている。われわれはいかに戦うべきであるか、という大地からわれわれへのメッセージであるシワが、彼らの肌には刻まれている」
 だから、彼らは私を派遣し、次のように言った。
 「われわれと同じような男女の同志を探し出し、同じメッセージを受け取っているかどうか、彼らに尋ねなさい」


8 良い夢を保管する箱 (2006/3/22、ハリスコ州トゥスパン)

 われわれの最古老、われわれを導く人、われわれの先祖、齢を重ねた人、高齢の人たちは語る。最初の神々、世界を創った神々は、世界をほぼ完璧なものにして創った。すなわち、平等でむらのないようにした。上に立つ者も下に立つ者もいなかった。土地には所有権はなく、土地を支配する連中はおらず、土地を分割する書類もなく、土地を駄目にするお金もなかった。 さらにわれわれの最古老は語る。最初の神々は、最初の男女、つまりトウモロコシの男女を創った。それ以来、トウモロコシはこの土地に最初に住んだ男女にとり神聖なものとなった。しかし、われわれの最古老が語るには、最初の神々は疲れたので、引退することにした。世界を創り、完璧にしようと懸命に働いたので、休息したのである。そして次の順番として別の神々が来て、さらに別の神々が次々と登場した。一方、世界は元々から歩むように、下に向かって歩み続けた。
 また、次のように語る。ある日のこと、この世界を創った最初の神々ではないが、その後に来た最初の神々が、何かに出合ったと、大騒ぎしながらやって来た。そして、トウモロコシの男女に集会を開き、会議をするように呼掛けた。男女が集まると、神々は「一つ問題がある。われわれが直面する問題がある」と言った。つまり、最初の神々、つまりこの世界を創造させたもっとも最初の神々は、トウモロコシの男女にあることを伝え忘れていた。この大地に欺瞞が住みつく時代が到来することを伝え忘れていた。
 これらの神々、もっとも最初ではないが重要な神々は、トウモロコシの男女に説明しだした。お金がきて、それとともに権力が大地の隅々まで欺瞞を植え付ける時が到来すると、説明しはじめた。これらの神々が言った。
 「その時になると、夜が何年、何世紀も続くようになる。欺瞞とお金が大地に住み着き、すべてが見かけとは異なるようになり、欺瞞が横行し、真実に見えてしまう。自分はこの土地の元々の住民であると称して、権力者におもねる者が出てくる。われわれの歌、言葉、衣装を使う者も出るだろう。お金にわれわれが屈服していると見せかけるためである。夜が夜であるとともに、昼までも夜となる。しかし、欺瞞によって、そのように変わったと、われわれを信じ込ませる。
 「そして、お金という権力が植え付ける最大の欺瞞は、昔からこうだったし、これからも変わらないと、われわれを信じ込ませることである。そして、われわれ、この大地の先住民族と称する人々、トウモロコシの男女は、この欺瞞のなかで長く過ごすことになる。—ウイチョル山地で育つトウモロコシが様々な色であるように、民族や人の肌は様々な色をしている—。しかし、この欺瞞はすべての人を支配し、誰もが嘘を真実と信じるようになる。この状態は長く続き、われわれの先住民の苦悩はとてつもなく大きく、われわれ女、男、年配者、こどもはおおいに泣くことになる」

ウィチョル

     集会に参加したウィチョルの権威者

トゥスパン

    トゥスパンの集会に参加していたマリチュイ

 トウモロコシの男女は全員黙り、こう警告した神々がさらに何か言うのを待っていた。しかし、神々は、何もできないと言ったきり、黙ったままだった。トウモロコシの男女の会議では、混乱と騒動が始まった。さて、何をすればいいのか。欺瞞が大地に蔓延し、トウモロコシの男女の苦悩や苦痛が始まる日がいつ到来するのかをどうすれば知れるのか。
 神々は、その日がいつ来るかは知らないし、大地に到来するこの悪からどうすれば解放されるか分からないが、何かすることはできると言った。
 「われわれは—トウモロコシの男女と話した世界に住んでいた神々は、計画を提案した—その欺瞞の日が到来し、夜が長く、日が偽りであるときは、日が疲れ、太陽が眠りこけていることを意味するので、太陽を目覚めさせねばならないだろう」と言った。太陽を起こすためには、良い夢、良い記憶、闘争心が必要である。
  神々は言った。「われわれができるのは、その日が到来したとき、何をすべきかわかるよう、あなた方を助けることである。そして、これらの土地の先住民であるトウモロコシの男女の集会の合意において、その夜が来たときのために、自分たちが守護者、監視者になるという取り決めが結ばれた。
 「問題なのは夜ではない」と神々は言った。
 「問題は騙されないこと、けっして終わることのない永遠のものだと信じないことだ。そのためには、良い夢を保持しなければならない。太陽が再び生まれ、日が再び成長するという夢である。今度は真実を伴って。そうなれば、世界は平等なものになる」と、彼らは言った。
 「で、あなたはどうするの?」と、トウモロコシの男女は尋ねた。
 神々は答えた。
 「お前たちの中から、もっとも強靭で、勇敢で、賢い者を選ぶ。そのような夜が到来したら、その者たちに明日の良い夢を託すことにする」
 すぐに、集会に参加していた男たちは、「俺だ」、「いや、私だ」と言って、誰がもっとも勇敢で、堅固で、賢いかを知るために、戦いだした。集会の場でしばらく戦わせおいた神々は、最後にこう言った。
 「もし、チャンスを与えてくれるなら—なぜなら、その神々はもっとも追い詰められていた—もし機会があるなら、おまえたちのなかで誰がもっとも強く、勇敢で賢いか、教えられる」
 集会で合意できなかったので、「神々に教えてもらおう」となった。
 そこで、これらの最初の神々、いちばん最初ではないが、ある意味で最初の神々は、年老いた男女を選んで、言った。
 「二人は、この共同体でもっとも強く、賢く、勇敢である。だから、二人の皮膚に夢を保管してもらう。覚醒すべき日の到来がいつであれ、トウモロコシの男女は、世界がどうあるべきかを忘れないようにするために」
  老人と老婆は神々のもとに赴き、良い夢をリュックに入れようとしたが入らなかった。ズボンやキャミソールのポケットに入れようとしたが、やはり無理だった。手で運ぼうとしたができなかった。新たな夜明けを迎えることができる良い夢をどう保管したらいいのかわからなかった。
 すると、神々は、夢を保管する場所は皮膚の中だとして、「これからは、老人と老婆が、太陽が昇る時のための良い夢の記憶を持ち歩くことになる」と言った。そして、その場所によい夢があると、誰も気づかれないように、良い夢を収容できる顔や両手、身体全体の皮膚にはめ込みだした。こうして高齢者には、しわが出てくるようになった。実際に、顔や手、身体にあるしわは、その良い夢を忘れないよう保管している。
 最初の神々や集会に集まった人々は、いろいろ議論している際、それだけでは不十分で、いつ覚醒すべきかを知る必要があると言いだした。神々は、誰か良い記憶を保つための要員を出してほしいと言って、集会参加者の中のもっとも勇敢で、賢く、強い者を見つけてほしいと言った。男たちは誰が優れているかを確かめるため戦いだしたが、合意には至らなかった。
 そこで、神々に、誰がもっとも優れ、勇敢で、強く、賢いのか尋ねた。すると、神々は一人の女性を選び、「この者こそ、あなた方の中でもっとも勇敢で、強く、賢い人物だ」と言った。そして、覚醒すべき記憶の夢がやって来るように、女性たちは夢を髪につけた。
 昔の人たちによると、トウモロコシの女と男は、三つ髪を編んでいる先住民女性の中にもっとも賢明な人がいることを知っている。この覚醒すべき夢が保管されているのは三つ編みの中である。
 別れが間近になったとき、最初の神々は、すでに先住民の長老や女性たちに、世界を再生させるための良い夢を保管する箱を委託した。
 神々は、何が起きるのかについて話した。どのように権力者がやって来るのか。その肌の色は何か。何をするのか。どのように偽りの種をまくのか。われわれ先住民の多くが、どのように自分の魂を売るのか。大多数はどのように毅然とした態度をとるのか。それぞれの未来と生命がある大地をどのように世話すべきか。さらなる欺瞞を提供するため、どのように権力者はやって来るのか。われわれは昔からこのような存在だったと言いくるためにやって来るのか。われわれに物を売りつけ、われわれの誰もが物を買うようになったのか。われわれインディオは、少数で、賢くなく、強くなく、有能でなく、下劣で、まるで動物のような存在であると、言ってくるのか。
 その日が到来すると言われたが、それはスペイン人がこの地を征服したときだった。その時から、独立、革命があったが、われわれインディオは、われわれの言語、肌の色、背丈、存在様式を軽蔑され、扱われ続けてきた。また、インディオの一部は、上の連中に自らを売りつけ、自分たちとその魂とともに、われわれの踊り、色、フェスタ、言語までを売っている。
 この時期、われわれは、メキシコという祖国の道を歩んできた。われわれは、先住民族、最初からの住民たちと会い、それぞれの苦悩の話を伝え、聞こうとしてきた。われわれは、どの場所でも、同じこと、同じ憤慨、同じ憤怒と出合ってきた。それは、われわれの権利や文化が尊重されていないためである。しかし、今はほかの新しいことも起きている。われわれは、われわれの大地の土地の破壊、われわれに帰属するもの、守り世話するためにわれわれに与えられたものの略奪に直面している。
 一部の地域、この国の山岳部では、もっと年輩の男女が宣言している。夜は終わらなければならない。三つ編みの髪を解かなければならない。皺をかき集めなければならない。今こそ、良き夢について語るべきである。連中がわれわれに売りつけた欺瞞の夜を終わらすべきである。夜明けが来るべきだという。自分の番が来たら目覚め、そして寝るという正常な日々が来るべきである。
 それが起きないなら、長い夜が決定的となり、所有する土地、世話をする土地、愛する土地もなくなるだろう。われわれが、連中が売りつけた欺瞞の悪夢から覚醒しないなら、もう戦うべき大義はなくなってしまう。


9 カラコルの戦士(2006/4/ 3、ミチョアカン州シラウエン)

 シラウエン共同体の皆さん。こんばんは。われわれを歓迎していただいたことに感謝したい。
 かなり昔のこと、先住民のなかに一人の戦士がいて、その戦士の盾と戦争と強さの印は巻貝だったと、昔の人々は言っていた。その語るところによると、その戦士が強かったのは、巻貝で他の戦士を召喚し、自分たちの脅威となっているものを一緒に打ち負かすことができたからである。
 やがて、巻貝は先住民の共同体で人々を会議に呼び出すために使われだした。いろんな場所にいる人たちが集まり、集団で解決すべきことを集団で議論しだした。
 こうして、巻貝は、われわれのように集団や共同体コミュニティが、問題に向かい合い、解決するために呼び掛ける手段となった。

巻貝 広報

 メッセージを伝える巻貝 ロベルト・バリオスのカラコル 

 さらに語っている。巻貝の戦士、マヤ戦士の伝説は、スペイン人、異邦人たちがこの大地を征服するようになった時代にも伝わっていた。以前は、脅威となっていた他の部族や共同体に立ち向かうため、巻貝で戦士を召喚していたが、やがて異邦人と対決するため、巻貝を使うようになった。
 また、われわれが敗北し、征服されたと言われるが、それは、巻貝の呼びかけに応じない民族や人々がいたからである。

シラウェン

       シラウエンの先住民共同体

 われわれはこの地にやって来たのは、エフレン・カピスの思い出、エミリアーノ・サパタ共同体成員連合の尊厳ある闘い、シラウエン共同体の尊厳ある闘いのためだけではない。われわれがここまで来たのは、メキシコ南東部の山中まで、シラウエンのカラコル[2003年10月、マルコス・パスが、「叛乱の噴火、シラウエンの青い湖」として中学校に創設したチアパス州以外で最初のカラコル]の呼び掛けが届いていたからである。われわれが聞いた呼び掛けは、危険な状況ということだけではなく、それに対決するために断固と抵抗しているものだった。われわれは、メキシコ南東部の山中から、サパティスタの先住民共同体のメッセージを携えてきた。皆さんは孤立していないことを知ってもらうためである。われわれは皆さんとともに戦っている。われわれにとって、このカラコルはわれわれの一部となっている。われわれにとっては、この共同体とカラコルに対するいかなる攻撃も、EZLN支持基盤となっているサパティスタ共同体に対する攻撃にほかならない。 

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    エミリアーノ・サパタ共同体成員連合(UCEZ)の横断幕

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      UCEZの創始者エフレン・カピスの横断幕


10 世界を支える生命の樹   (2006/4/10、モレロス州クエルナバカ)

 われわれの最も昔の人々これらの土地の最古の先祖たちは、ツィツィメ、骨だけの者、偽りの心を持つ者、人を食い尽くす者たちが、ケツァルコアトルとマヤウェルに迫害したものの、二人は世界の屋根を支える樹になったことを語っている。こうして、巻貝のシンボルを持つ者の良い風が吹き、崩れた世界をその頂で保持するため、樹が作られた。

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     マリアベキーノ絵文書のツィツィメ  

エエカトル (2)

ボルボニクス絵文書のマヤウェルとエエカトル(風の神ケツアルコアトル)

  今日、赤い茨の木[ポチョーテ]がそびえ立っているここメキシコ南部、ナワやマヤの人々が「太陽の左側」と呼んだ南部の地で、われわれの将軍エミリアーノ・サパタの生命、闘争、尊厳の樹を思い出している。

ポチョテ

    モレロス州トラヤカパンにあるポチョーテの木

 トラネパントラ、テテーラ・デ・モンテ、オコテペック、テテルシンゴ、クアウトラ、アネネクイルコ、テコマルコ、サカテペック、トラキルテナンゴ、ホフートラ、バランカ・デ・ロス・サウセスだけでなく、国民行動党の間抜けセルヒオ・エストラーダ・カヒガルが悪政を敷くモレロス州全域で、今まさに起きていることをわれわれは見聞してきた。
 なぜなら、大地は息絶え、それとともに世界を支えている樹々も死んでいることを、この天空の下でわれわれは耳にし、感じてきた。PAN州政府によって破壊されようとしているのは、クエルナバカのアカパツィンゴ地区にあるバランカ・デ・ロス・サウセスの樹々だけではない。
 連中は、自然とともに、われわれすべての男女である樹々を殺そうとしている。われわれは、新しい人食いども、つまり銀行、産業、商業、土地、水資源の大所有者、彼らとその召使である上層の政党などが壊した世界を私たちの闘争で構築しようとしている。
 われわれの敵の連中は、われわれ農民から土地を奪ってきた。エヒード土地私有化登記計画[Procede]や共同体土地私有化登記計画[Procecom]といった欺瞞的プログラムで、農民や共同体成員、エヒード農民の土地を奪っている。われわれが畑から産み出している作物を安く買いたたいている。同じ連中が、遺伝子組み換え種子、肥料や殺虫剤で、大地を汚染している。農村部の貧困化をもたらした連中は、尊厳ある仕事や適正価格の不在により、われわれを都市部や米国に移住させてきた。農民、農業労働者、日雇い労働者、エヒード農民、共同体成員、小規模生産者、インディオであるわれわれを搾取している。
 これらの敵に抵抗し、対峙し、打ち負かすため、われわれ全員が団結すべきである。農村部の生産者だけでなく、都市部の労働者、大金持ちに蔑まれ辱められ抑圧されるすべての人々と団結すべきである。
 われわれは団結し、金持ちが資本主義の深淵に投げ込んだ世界を持ち上げるのに役立つ一本の樹として、自分たちを再植しなければならない。
 われわれは、エミリアーノ・サパタの血をわれわれの血管のなかで、今一度、たぎらすべきである。彼を倣って、権力を掌握するのではなく、下から立ち上がるべきである。謙虚で虚飾のない人々とともに、悪い支配者を打倒し、資本主義の泥棒どもからわれわれの祖国を浄化し、別の祖国、別の国、別のメキシコの建設を始める運動を育てなければならない。
 今日、われわれは反抗的で尊厳のあるモレロスの土地にいる。自然への敬意、土地の共同体への返還、われわれ先住民の文化と権利の尊重、公正な価格、土地と自由のために闘うモレロスである。
 今日、別のキャンペーンとしてわれわれは伝えたい。われわれの歩みとともに、エミリアーノ・サパタが歩みださねばならない。金持ちやその奉公人に対して立ち上がらなければならない。われわれのものである土地、工場、店舗、銀行、医療、教育をわれわれの手で取り戻すべきである。
 今日、われわれは戦い続けなければならない。もはや孤立してではなく、下と左にいるわれわれ全員が団結すべきである。われわれは、世界を立ち上がらすための樹である。しかし、今はもう別の世界、われわれ男女、別のキャンペーン、われわれの生命である樹を立ち上げる時である。
 もうひとつのモレロスにあるクエルナバカのバランカ・デ・ロス・サウセスから、悪しきPAN政府が目論む強制退去との闘いに備えながら、われわれの総司令官エミリアーノ・サパタ・サラサールに挨拶を送りたい。

バランカ

  バランカ・デ・ロス・サウセスでの抗議行動


11 石と夢 (2006/4/30、メキシコ市マグダレナ・コントレラス)

 私は、山、山々の上、まさに山の頂で生まれた。われわれは、そこにアグアフリアというキャンプを設営していた。私はそこで生まれ、マルコスという名前が付けられ、そう名乗っている。やがて、「叛乱副司令官マルコス」と命名された。しかし、長すぎるので「副司令」と呼ばれだした。
 さて、私が生まれたのは山の中だということは言ったよね。そこには多くの木や湧泉、大小の動物がいる。例えば、たくさんのクモがいて、多くの種類がある。とても小さいものから私の手のひらほどの大きさのものまでいる。とても毛深いものは、君たちはタランチュラと呼んでいるが、われわれはチボーとか、イエルバ[草]と呼んでいる。このクモは髪の毛で巣を作る。例えばわれわれが寝ているとき、音を立てずに近づき、美容師のように髪の毛、あるいは足毛のある馬の毛を切り、巣を作る。

タランチュラ

            タランチュラ

 副司令の前は、私は馬だった。そう、私は悲しげな目の馬だった。その後、私は副司令になったが、鼻はそのままだったので、私の鼻は大きい。というのも、悲しげな眼をした馬だったからだ。

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     デカ鼻の副司令マルコスの自画像

 さて、私が馬だったころ、小さな女の子に出会った。このくらいの小さい女の子だった。その子は、11月生まれだが、ディシエンブレという名前だった。理解できないかもしれないが、「割れたフルート」という別のお話しで説明した。とても小さな女の子は悲しそうだった。都会の人がチピル[ぐずりっこ]という状態だった。つまり、感情が溢れ、しゃっくりのようなため息を一日中ついていた-(副司令はため息)。なぜそんなに感情に溢れているのか分からなかった。かつて馬だったが、私はもともと女性を理解できない。ディシエンブレのように小さくても、ドニャ・ファニータのように年配でも。
 ドニャ・ファニータは、アントニオというとても物知りの人の連れ合いだった。われわれは彼を「老アントニオ」と呼んでいた。老アントニオは、山々やわれわれの先祖に関するお話をたくさん知っていた。私に先住民の言葉や山で生きる方法を教えてくれた。天空を読み、風の匂いを嗅ぎ、人の心の中を見る方法を教えてくれた。
 老アントニオは多くのことを教えてくれたが、一部は習得できたが、残りは私の脳みそに張り付いたままである。つまり、私ときたら、馬どころかロバ程度で、まったく習得できなかった。だが、老アントニオはがまん強く、教えが私の頭に入るまで、繰り返し何度も説明した。
 さて、私はディシエンブレというとても小さな女の子に出会ったと話したが、彼女は11月生まれだ。ある村の近くにある小川に水を汲みに行ったときに出会った。彼女は岩の上に座り、水に足をつけ、とても悲しそうにため息をついていた。私が水を汲んでいる場所に彼女がいたので、ちょっとずつ近づいたが、彼女は気づかなかった。彼女に振り向いてもらおうと、少し咳をした(副司令は咳払い)が、彼女はため息をつくだけだった(副司令はため息)。 さて、どうしたものかと、私は考えた。
 私は気を取り直し、女の子に「こんにちは」と、言った。もう昼過ぎだったからである。また、4月なので、かなり暑く、喉が渇いた私は水を飲みたかった。その女の子(つまりディシエンブレ)は、私がいつも水を汲んでいた所にいた。返事がなかったので、「こんにちは」と繰り返した。すると、ディシエンブレ、つまり女の子は、私の方を見て、「ハーイ、お馬さん」と言った。
 馬が「こんにちは」と言ったのに、女の子が怖がらなかったのが嬉しかった。しかし、こどもたちは、すでにわれわれ馬でも読み書きし、地理や数学ができることを知っている。さらに、学校で教えられていることや、馬が大地で読んで学習するのを知っている。なぜなら、ほとんどいつも、…だから、いつも馬は頭を下げて歩いている。それは、大地に書かれた教訓を学習しているからだ。
 そんなわけで、水を汲みたいのですがと、女の子-つまりディシエンブレ-に言わなければならなかった。彼女はいつも私が水を汲む場所にいた。彼女は脇によってくれたが、その前にため息をついた(再び副司令のため息)。タンクを満タンにした後、彼女に名前を尋ねると、11月生まれなのに、ディシエンブレなのと答えた。もともと、私は不思議なことをする人間のことを理解できなかった。だから、11月生まれなのに、ディシエンブレ[12月]という名前がついたのか、詮索する気にならなかった。
 私はその女の子に、どうしてこんなにため息をついているのか尋ねた。悲しいのか、お腹が痛いのか、何なのか、病気だったのではないかと尋ねた。彼女は何か言いたかったようだが、ただため息をつき、こどもたちが感情一杯になったときに出るしゃっくりをし始めた。
 フーム、ところで、どうすればいいのか? 
 そこで、私が馬ではなく小さな風だった頃、老アントニオが話してくれた話を思い出した。そして、老アントニオが風に向かって語りかけたように、私は唇に雲を乗せ、小さな女の子に石と夢のお話をした。
 われわれの最年長の祖父母は語っていた。 最初の神々、言葉で世界を生んだ神々は、とても無頓着で、創ったものをあちこちに放置していた。
 世界の最初の昼と夜に、トウモロコシの男女、この大地の先住民、トウモロコシと言葉で作られた人々は、あちこちで神々がゴミ捨て場に放置したものに出くわしていた。

コア

       先スペイン期から伝わる堀り棒のコア

 トウモロコシの人間たちは、サンダル、あるいは鍬、コア(われわれが種まきに使う棒で、それで地面に穴を開け、トウモロコシの種を播く)などとよく出くわしたという。そして、「道の真ん中に転がっているこのサンダルはいったい誰のもの」と尋ねていた(だから、お母さんたちも同じように聞くね。そうじゃない。「このサンダルは誰の?」そうじゃない。「下着を散らかしたのは誰?」など)。 そして、トウモロコシの人間たちは、道の真ん中に放置されたサンダルは誰の?と聞いた。そうなる。じゃない。-怒るとそうなる。だよね。「このサンダルは誰の?」本当だよね?もち。われわれはそれをよく知っている。
 「このサンダルは誰の?」…うーん…もう、私は失くした…うーん…すぐにわかったのは、それが誰のものでも、トウモロコシの男女のものでもないことだった。なぜなら、彼らはほんの少数でしかなかった。つまり、世界にはあまり人がいなかった。なぜなら、男女が、心地よい疲労感で充たされるため、種をまき、生まれくる生命で腹が濡れるには、まだ多くの夜明けが必要だった。
 なくなったサンダルは誰のものでもなかった。だから、サンダルがないので、どこかの神様がびっこのように歩いていたことがわかった。神様は、自分のサンダルを探すかわりに、「捨てたサンダルなど拾わない」と、歌い始めたので、誰が失くしたのか、わかった。そして、サンダルは捨てられたままだった。神々から落っこちたのはサンダルだけでなく、夢も落っこちた。
 そして、最初の神々、世界を誕生させた神々は、ハンモックで寝ていた。世界を創造した最初の神々は、とてもよく歩き、いつも雑嚢-買い物バッグに似ているが、それより小さい-を背負い、ポソールやトルティージャ、ハンモックを運んでいたので、疲れていた。だから、腹が減ったら、どこでも立ち止まり、小川の脇に座り、ポソールに水を混ぜ、トルティージャとともに食していた。
 最初の神々は、眠くなると、2本の木を探し、つるを使ってハンモックを吊るし、難なく眠りにつき、良いことの夢を見ていた。しかし、その後、なかなかしっくりといかず、寝る場所がないかのように、寝返りばかり打っていた。こうして、神々から夢が落ちだした。しかも、ハンモックは編まれているので、夢は地面に落っこちた。神々が目を覚ますと(最初の神々はよく寝ていたので、すぐに起きられなかった)、ハンモックをまとめて雑嚢に入れ、さあ、行くのだ!と歩き続ける。
 その夢は同じではなく、色を違えば、形も違う夢がたくさんあった。また、落下した際に割れ、多くの破片になったものもある。こうして、大地-つまり世界-は、さまざまな色や形でいっぱいになった。最初の男女はこれらの様々な形や色の夢を石と名付けた。そして、石-つまり夢-で、その小屋-小さな家-を飾ると、とてもにぎやかになった。というのは、夜になると、石と名付けられた神々の夢が小さな光のように見えたからである。
 大きな石、石、小石があった。こどもたちは、その小石を拾って、マタテナ[投げ玉]、アビオン、ベベレチェ[ケンケンパ]をして遊んでいた。小石で夜に輝く小さな道を作った。そして、石だった夢も歌いだし、その歌は良いことを歌い、人生、喜び、平和を語った。また、最も小さい小石の中には、大地の茶色い耳に歌うように、愛を語るのでなく、呟くものもあった。

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          マタテナ(投げ玉)

ケンケンパ

             ケンケンパ

 そして、権力者-金持ちとその悪い政府-がやって来て、トウモロコシの男女、この大地の先住民に、多くの害を与えるようになった。この善良な人々は、金持ちが神々の石でできた夢を盗まないように、石をつかみ、遠くに届くよう勢いよく上に投げた。すると、その石は世界の屋根-つまり天空-に張り付き、くぼみ-穴が開いて-ができてしまった。

 だから、夜になり、太陽が眠りにつき、夜の毛布で体を覆うとき、われわれの山中では、それらの星を見ることができる。というのも、夜-太陽が眠るために被った毛布-は、穴だらけだった。
 しかし、最初の神々から落ちた夢、石になった夢のすべてが、天空に隠すように上に飛び上がったわけではない。多くは地上に残り、あちこち散らばった。長い時間の経過とともに、ほこりにまみれ、灰色、黒色、黄色、赤色、青色のままで、輝きを失った。
 トウモロコシの男女、これらの大地の先住民は、この話を自分のこどもたちに語った。そのこどもたちも自分のこどもたちにその話を語り、多くの暦が過ぎていった。だから、われわれの人々、インディオの人々は、地面を見て歩いている。石でできた夢を探して歩いている。そして、隠された輝きが潜んでいるかを占う。それが壊れた夢であることを確かめる。小さな小石を拾い集め、世界にある道に散ばったピースでジグソー・パズルをするように、未完成の夢の断片を探し続ける。
 壊れて不完全だった夢を完成させたとき、歌になった神々の言葉を聞き、心が喜ぶ。だから、われわれ人々は他の人たちの話を聞くために戦うことはない。石の声を聞くことができるように、沈黙に耳を傾けることができる。それは、生まれる前に壊れた言葉である。われわれインディオが持つ集合的な心に、沈黙の声をまとめる方法を知らなければならない。
 ここで私のお話は終わった。ふと見ると、ディシエンブレ、小さな女の子は眠っていた。
 夢が落っこちないように、彼女を適切な場所に横たえると、私は去った。母親がいつも怒っているように呼び方-名前を覚えていない-呼び方をしていると聞き、ディシエンブレの母親は、1月から年の月を言い始めた。12月までまだ数ヶ月あったが、私は、「こどもの日」がある4月の時点で、その場を立ち去った。
 私はゆっくりと山に向かい、インディオの集合的な夢の小さな断片を地面で探した。この夢は完全に揃った時、「尊厳」と言い、歌う。

こどもへの話

          子どもたちへのお話し

 そして、皆さんに話したこの物語や話があったのは、私が副司令でなく、馬だったときで、すべてが簡単だった。今、私が副司令になったせいで、それはそれで混乱している。なぜなら、サパティスタの同志たちは、謙虚で素朴な人々の心の声を聞くため、国中を歩き回らなければならないという考えを持っていた。また、老人、大人、若者、少年・少女であるかは関係ない。私は雑嚢を背負って歩き、あちこちに連れて行かれる。市民からは「あそこでは、ここだけでいい」と言われ、私がどのドアから入ればいいのか、通りや街区がどこなのか、知らないことに気がついていない。
 しかし、私が生まれた祖国では、自分がどこにいるか知っている。この木がどこにあるのか、この木がどこにあるのかを知っている。また、空や地面には、私たちの仲間の方向性が読み取れる。そして、時には小石を見つけ、歩き続ける力を与えてくれる夢を教えてくれる。たとえ、別の方法、別のキャンペーン、別の世界、つまり、より良く、より公平で、より自由な世界に行かなければならないとしても。タンタン。


11 考え(2006/8/26、カンペチェ州カンデラリア)

 このマヤの大地で、われわれが思い出すのは、母なるセイバと、その体に抱かれた考えのお話しである。そこで、われわれの統領でマヤ先住民の尊厳をその血に宿していた人物の言葉で、その考えを伝えることにしたい。それは、「考え」のお話しである。
 われわれの祖先のもっとも昔の人々、われわれ先住民の知恵ある古老たちは語っている。もっとも偉大な神々、世界を誕生させ歩みださせた神々は、後にその道を歩くわれわれのため、すべてを完了させなかったという。神々が完了しなかったのは、怠け者だったからでも、踊ることに夢中だったからでもない。それがもともとの構想だった。なぜなら、完成し出来上がった世界は、金を神とし、今のように嘘で固めた政府を作っている人間の愚かさを祭祀者とする人々が、上から押し付けたものである。
 だから、もっとも昔の神々、道を誕生させた神々が、創った最初の世界には、やりかけのものが多くあった。例えば、考えは、神々の中で生まれなかったと言われる。つまり、考えは、現在、われわれが知っているようなかたちで生まれたのではない。そこに置かれた一粒の種でしかなく、誰かがそれを手にし、芽生えさせ、形や様式、道や行く先を与えるものである。
 そして、それからも、たくさんの考えが生まれてきた。一つや二つではなく、われわれが存在してきた世界を彩っている色の数だけある。例えば、一人の男、あるいは女という個人の考え方が重要であり、集団的な考え方は無意味で、考えるに値せず、集団的な悪など無視して、個人的な善を追求すべきだというという考えがある。
 そして、現在、支配している考えは、まさにこれであり、われわれインディオの大地に押しつけられている政府と真実である。これは、われわれをそっくりそのまま抹殺しようとする考えであり、われわれの歴史、文化、土地、尊厳を商品に変えようとする。
 だが、この考えは、自分の悪癖を欺き隠すため、いろんな服をまとっている。時には、自由の服をまとって嘘をつく。時には正義のドレスをまとって嘘をつく。時には、民主主義のマントをまとって嘘をつく。上に立っている者は平等と言う。それは、われわれの苦痛みで自分たちが豊かになるからである。そして、連中が約束する自由は、われわれの血で商売しようとする連中が追い求めているものである。連中が守ろうとする正義は、自分たちを免責し、降参しない下の世界の者たちを迫害するものである。連中が宣言する民主主義とは、われわれから盗み取り、搾取し、軽蔑し、迫害している権力そのものの多様な姿を前に諦めてしまうことである。
 しかし、昔も今も、別の考えがある。
われわれの血を吸って生きている上の世界の人と、自分の労働で世界を歩ませる下の世界の人とは、平等ではないことを知っている考えがある。それは下の世界で辛酸をなめながら展開してきた闘争の歴史を知っている。別のもの、別の世界を築こうとする考えである。
 目に見えるもの、耳に聞こえるものでよしとするのではなく、見えず、音のしないものを、見聞きしようとする考えである。アテンコで囚われの身となっているわれわれの男女の同志たち[2006年5月]を励ましている考えであり、不正や忘却に抵抗するための考えである。抑圧する悪しき政府から自由になろうと闘っているオアハカの男女の同志たち[オアハカ人民民衆会議(APPO)に結集する教育労働者が中心的に展開した反州政府運動]が高く掲げている考えである。われわれを蔑んでいる上の世界を目指し、憧れ、嘆息することのない新しい政治のあり方を自分のものにした人たちのなかを歩んでいる考えである。インディオとして、EZLNのサパティスタとして、われわれは闘っているという考えである。

アテンコ

          2006年8月23日、釈放を要求するアテンコの人々

アテンコ2

         アテンコでの「別のキャンペーン」集会

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      オアハカ人民民衆会議(APPO)の横断幕

 男女の同志の皆さん
世界の支持者である母なるセイバは、その根を地下世界に深く伸ばし、それを基盤にしてすっくと聳え、天空を支えているというマヤ先住民の伝説は、われわれの過去の歴史を見つめるとともに、われわれや他の人々の歩みがたどる未来で、われわれが何者であり何者になるかを示している。


12 心を持たない人々(2006/10/21、マグダレナ・キノ)

 われわれはサパティスタ、このメキシコという国の南の片隅に住んでいる。われわれは、ツェルタル、ツォツィル、トホラバル、チョル、マムというマヤをルーツとする先住民族である。他の先住民族と話をするとき、物語や伝説を用いた象徴的な言葉を使うのが、われわれの習慣である。われわれの歴史や目標について話すことがある。今回、オーダム、ナバホ、チェロキーに向けたメッセージを持参している。われわれの同志が皆さんに語るように託したメッセージを伝えるにあたり、われわれはその方法を用いたい。

 「われわれのもっとも年寄りの人々、われわれの統率者は語っている。  神々は世界を創り、最初にトウモロコシの男女を創ったという。そして、その男女にトウモロコシの心を入れたという。しかし、トウモロコシがなくなったので、一部の男女には心が届かなかった。さらに、大地の色もなくってしまった。そこで、ほかの色を探しだした。こうして、白、赤や黄色の人にも、トウモロコシの心臓が与えられた。だから、先住民のように褐色ではないけれど、トウモロコシの心を持つ人たちが、ここにはいる。
 われわれの最古参の人たちは言っている。その後、心を手にできなかった人たちは、隙間をお金で充たした。その人たちは、何色であっても気にかけず、ドル札と同じ緑色の心を持つという。
 われわれの昔の人たちは語る。大地は、自分たちのこども、トウモロコシの男女を守ろうとする。そして、夜がきわめて困難になる時が来ると、大地は疲弊してしまう。そこで、トウモロコシの男女は、大地が生きるのを助けなければならない。

キノ

        マグダレナ・キノの集会


13 私とわれわれ(2006/10/23、ソノラ州ソノラ大学)

 私はツォツィル、ツェルタル、チョル、トホラバル、ソケ、マメという民族の先住民共同体を代表して話しに来た。われわれはメキシコ南東部の山中で暮らしている。今のキャラバンにおける私の役目は、サパティスタ共同体の耳と言葉を持参することである。

分布

             チアパス州の先住民族の分布

 われわれの文化的伝統によれば、世界はいろんな神々によって創造された。踊り好きの神々、やたらに飛び跳ねる神々-(とわれわれは言う)-は、世界を完全なものとして創らなかった。やり残したもの、あるいはうまくできなかったものもあった。その一つは、男も女も完全なもの、つまり全員をよき心の持ち主にしなかったことだ。その代わり、このあたりでは、悪い魂やひねくれた心の知事とか、大統領がでるようになった。他人を犠牲にして生きている男女がいるという不公正に神々は気づき、トウモロコシの男女を何とか助けようと思った。
 この国のインディオの人々を助けようとした。彼らを助けるために、神々は彼らから一つの言葉を奪った。インディオの言葉から、「私」を奪った。
 先住民、マヤにルーツを持つ人々、この国の多くの先住民族に、「私」という言葉はない。その代わり、「われわれ」を使っている。われわれのマヤ諸語では、「ティック」を使っている。集団や集合性を指す「ティック」という語尾は、しばしば繰り返して使われる。
 どこにも「私」が登場する場はない。「われわれは闘って死ぬのは怖くない」と、われわれは言う。われわれは単数形で話すことはない。われわれの言語で、繰り返して使われる「ティック」は、国の恥、侮辱、あるいは嘲笑や施しの口実としてではなく、この国を構成する一員になるため、到達したいと望んでいる時計のティック、タックという音のようなものとなる。


14  戦士の神とヨリ(2006/10/27、ソノラ州プンタ・デ・ラグナ)

 われわれを受け入れてくれたマヨ・ヨレメの長老、伝統的権威者、戦士の統率者、この民族の男女の皆さんに、われわれは感謝したい。メキシコ南東部チアパス州の山中のマヤをルーツとする先住民共同体の男女の統率者からの挨拶を持参している。
 われわれは、皆さんに話したいお話も持参している。それは一つの伝説である。伝説は、歴史の部分と創作の部分がある。どこまでが真実で、どこからが創作か、われわれは知らない。
 われわれの昔の人たち、いちばん最初の古老、われわれの大地に一番初めに到来した人たちは、言っていた。世界が生まれたとき、神々はわれわれ先住民を組織する方法を教えたという。なぜなら、この地にヨリが到来する前は、水は飲むものであり、生命を与え、樹々は成長し、土地は実を結び、売買されるものは何もなかった。男女が売買されることはなかった。
 さらに、自分たちで組織を作り、誰かに善き統治を委託するよう指示したと言われる。われわれの昔の人たちによると、善き統治とは、人々に従うものであり、命令するものではない。そして、人々が指揮すべき人は誰かを知るために、その人物を示す指揮棒や指揮棒を与えたとされる。だから、誰が従うべきか、誰が命令すべきか、誰が人々の意思を実行する責任者かを人々は知っていた。
 こうして、インディオのあいだでは権威杖が生まれた。それは、それぞれの民族が、命令すべき人が誰かをわかるようにするためだった。一方、世界を創ったこの神々は、個人的な命令はありえないと言っていた。権威杖、指揮棒を持つ者が従うようにする唯一の方法は、人々が結集し、皆の声を一つにまとめ、集団的なものとして意思を伝えることである。そして、その権威杖を持つ人物は、集団的意思を実現しなければならなかった。
 これは、ヨリ、金持ちが、この大地を征服に来る前の起きたことである。

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     アクテアルのCIG代議員の就任式での権威杖

就任式

  ラ・レアリダーのカラコル新規役職者就任式での権威杖

 われわれの昔の人たちは、こんなお話もしている。これらの神々の中には、自分たちがしたことを忘れ、遠くを見通す能力がないものがいた。唯一の例外である戦士の神だけが、次に何が起きるか見通す能力を持っていた。
 そして、この戦士の神は、この土地に生命をもたらした太陽の世話をしていたという。しかも、そのために鹿に変身したという。そして、太陽が、水のシートに包まれていた時、つまりヨレメの人々の前の海[カリフォルニア湾]の中にある時、鹿はマヨ川で水を飲んだ後に走り出し、メキシコ南東部の山中を流れるハタテ川まで行った。その後、セイバ-母なる木-の下で、鹿は水を見て、飲み、太陽が完全な形で再び昇っていくのを確かめているという。
 そして、毎日、毎晩、戦士の神である鹿は、一方からもう一方へ、つまりヨレメとマヤの村を往来し、太陽がいつ休み、いつ昇るのかを見まもっていた。鹿は、歩くたびに、自分の足跡、歩んでいる道を次々とマークしていたので、鹿はどんどんと深みにはまっていった。ほかの神々は、戦士の神を嘲り笑い、行き来するたびに、ますます深みにはまり、埋まってしまうぞと言った。すると、戦士の神である鹿は、「私は埋まっているのではない。芽を出しているのだ」と言った。そして、起きていることがいったい何なのか、誰も理解できなかった。

鹿踊り1

         ヨレメの鹿踊り

鹿踊り2

       コムカック(セリ)の鹿踊り

鹿踊り3

          ヤキの鹿踊り

 やがて、ヨリ、お金持ちが到来し、われわれの世界をひっくり返した。権威杖を持っていた人物-つまり政府-を悪しき政府に変えてしまった。そして、悪しき政府が支配するようになった。そして、人々、メキシコという国のすべてのインディオに服従することを強要した。しかし、以前はそんなことはなかった。
 その金持ち、悪しき政府は、たくさん持っている人に奉仕する一方で、この国のインディオである先住民族、インディオの人々、インディオの男女を傷つけ、痛めつけだした。
 神々は物事がうまくいかないのを見て、「何が起きているのか?われわれはわからない。なぜこの人たちは、外来者が自分たちに指図することを受け入れるのか?」
 メキシコのインディオはどうしたらいいのか分からず、ずいぶん昔になるが、集合し、合意に到達した。それは、自分たちは完全なものではなく、身体、心臓、血液に何かが欠けていたというものだった。
 そして、太平洋岸にいるインディオの一つに、対処法を探すよう依頼することになった。彼らはどのようにすればいいか考え始め、必要だったものがわかった。それは、尊厳、自分への敬意、人種への敬意、そして異なる人々への敬意である。
 その血を集め、できるだけ多くの人々に配るべきという合意が成立し、ヨレメ(マヨ)、プレペチャ、ウィチョル(ウィシャリカ)、タラウマラ(ララムリ)、オーダム(パパゴ)、コムカック(セリ)、ピマなどが立ち上がり、自分たちの復権を要求することになった。

北西部

    メキシコ北西部の先住民族

 そして、インディオの諸民族の太平洋の領域から一本の矢が放たれ、太陽を傷つけた。その時、一日中歩き疲れ切って、まさに寝ようとしていた太陽の脇腹に矢が刺さり、出血しだした。血は集まり、一つの大きな雲となり、やがてメキシコの国中の領土、山々の上空に、ぎっしりと隙間なく並べられた。そして、血潮-尊厳という名-は、下の世界のすべての人々に飛び散っていった。
 しかし、その血潮はすべての人に届いたわけではない。尊厳の血潮で身体を塗れたのは、一部の男女だった。それゆえ、ヨリの心を持つヨレメがいること、ヨレメの心を持つヨリがいることを、あなた方もわれわれもよく知っている。反抗しようとする人、尊厳を持つ人は、その血に染まった人たちである。
 その時が来た。われわれのもっとも昔の人たち、齢を重ねた人たちは言っている。
 「ヨリが世界をひっくり返し、働く者を下に、怠け者を上にするようなことがあるなら-自分たちが金持ちになり-、われわれは再び世界をひっくり返し、正しい状態にすべきである。そして、人々が上になり、政府が下になるようにする。命令する人々が上になり、従う政府は下になるべきである。そして、世界が再びひっくり返ったことで、戦士の統率者、鹿の長は、大地に沈まず、浮上していくだろう」
 以上がわれわれに語られたこと、われわれが持参したメッセージである。

 今こそ、使者、われわれが認める偉大な使者、すなわち、この国に住んでいる62の先住民族すべての血を備えている先住民全国会議に、われわれは結集する時が来た。マヨ川とハタテ川[ラカンドン密林を北西から南東に向かって貫流する川、下流はウスマシンタ川]、セイバの樹とコムカックの聖地ティブロン島、オーダムの岩だらけで木の生えていない山々とピマの山やヤキの川などを再び一体化する手助けをしてくれる時が来た。そして、われわれがともに立ち上がり、逆立ちしている世界をひっくり返し、その動きで、上にいる人たちを一気に落とすことができる。
 われわれの昔の人々、古老たちによると、世界に変化が起こるたびに、ひとつの種族が消えるが、現在まで、それはいつもインディオだったという。しかし、今回の変化で消えなければならない人種は、われわれが生きていけるようにするためにも、政治家と金持ちの人種である。
 ヨレメとマヤを結び付けたこの最初の使者たちのなかに、それぞれの標識が残されていた。しかし、その標識は消えつつある。マヨ川も、ヤキ川も死にかけているし、ティブロン島は商品化され、オーダムのむき出しの岩は売り払われ、マヤのセイバの樹は殺されそうになっている。その標識が消えれば、われわれが歩むために持っていなければならない標識が消えるとなれば、われわれは、話し、食べ、歩き、寝ていても、まるで死んだように失われた残りの人生を歩むことになる。
 サパティスタ、マヤの闘う先住民としてわれわれがヨレメの戦士にお願いしたいのは、先住民全国会議にわれわれとともに結集することである。ともに組織して、土地を取り戻すようになることである。それは生命を取り戻すことになる。ヨレメの土地は、他の誰でもなくヨレメによって統治されるべきである。ヨレメが所有する果実や富は、他の誰でもなくヨレメのものでなければならない。これがこの大地を救済するために、われわれに残された最後の機会である。われわれがこの大地を守らなければ、今、われわれの目の前にあるもの、われわれの祖先が持っていたもの、こどもたちが持つはずのもの、すべてなくなる。
 以上が、われわれが持参したメッセージである。同志の皆さん、ありがとう。


15  セイバ、記憶の木(2006/11/17、ヌエボ・レオン州モンテレー)

 われわれがしたかったのは、ジグソー・パズルのようなお話しである。おそらく、皆さんはそれを組み立て完成させねばならない。今日かもしれないし、数年後かもしれない。
 われわれはマヤをルーツとするチアパスの先住民族である。また、われわれ先住民族は、その言語によって呼ばれている。ツェルタルは、その言語ツェルタル語に因んでそう呼ばれる。ツォツィル、チョル、トホラバル、ソケ、マメ、そしてメスティソを加えた7つの先住民族は、われわれの民族、サパティスタ民族を構成している。
 われわれの理解によれば、言葉、言語の中で話すのは、頭ではなく心である。このようにわれわれは言っている。また、われわれの言語はとても豊かで、スペイン語や英語、あるいは他のヨーロッパや西洋の諸言語には翻訳できない言葉がたくさんある。 悲しいと言う場合には、心が痛いと、われわれは言う。幸せだと言う場合には、心が歌っていると、われわれは言う。このように、他の多くの言葉で、われわれが何を感じ、どのように世界を見ているかを語る。
 われわれの昔の人々が伝えるお話がある。自然、大地、樹々、涌泉の中に男女の歴史があると、われわれは確信している。それは過去に起きたことだけでなく、これから起きることでもある。
 われわれの最長老は語っている。神々が世界を作ったときは、あなた方のドンチャン騒ぎと同じように、お祭り騒ぎだった。誰もが大騒ぎし、物事は思い通りに完成しなかった。世界は本来あるべきものにならなかった。まあ、おおよそ、こんな具合だった。
  男も女は働いて、平等に暮らしていた。命令する人も従属する人もいなくて、何もかも合意に基づき行われていた。それから何が起きたかというと、外部から余所者がこの大地に到来し、征服、破壊する時が到来すると言った。そこで必要になったのは、他の国々が存在する前に、これらの土地の先住民族が記憶を持つことだった。そこで、神々は彼らに一本の木を与えた。われわれマヤ人の聖なる木はセイバである。その頭の上で世界を支え、大地が崩れ落ちないように根で支えている。あれは記憶の木であると、これらの神々は言った。
 征服者たち、スペイン人征服者たちが到着したとき、彼らは、後にメキシコとなる全領域で自衛していたインディオの人々に勝てないことに気づいた。さらにその木、セイバ、記憶の木から、インディオたちは力を得ていたことを知った。 そこで、征服者たちは、セイバの木を倒し、燃やそうと火をつけた。だが、雨で火が消え、破壊できなかった。セイバの木を破壊するには、切り倒さなければならないと考え、征服者たちは、斧、槍、剣でセイバの木を地面に切り倒し、さらに何も残らないよう木っ端みじんにした。 そこに、とても強い風が吹きつけ、樹々の枝や葉、木っ端を巻き上げ、メキシコの全領域にまき散らした。
 われわれの昔の人たちは言っている。大地に戻ってきた木っ端から、再び発芽したのが、インディオ、約60、あるいは60以上とされるの先住民族である。
  そして、われわれの昔の人たちは言っている。これらのインディオである先住民族のすべき仕事は、この国がそのルーツとなっているものを思い出すために、記憶を保つことである。


16 任務は覚醒させること(2006/11/17)

 下の世界のある夜明け前、EZLN調査委員会エリアス・コントレラスがマグダレナにEZLNの起源について語ったこと

 そう、マグダレナの声が聞こえてきた。われわれサパティスタの先住民共同体のもっとも古い賢者たちは、今も昔も、天地では奇妙なことが起きることを語っている。それはまるで、最初の神々、いちばん最初に世界を創造した神々は、いくつものやり残したこと、忘れ去られた不思議を整理しないまま、風が吹いてむき出しにされるまで、片隅に放置していた。つまり、われわれのいちばん昔の統率者たちが言うように、この最初の神々は非常に散漫で、神々の本来の仕事に集中できず、何も気にせず、思いつきで物事を行っていたという。
 また、われわれの指揮者たちの最長老たちは言っている。
 「もともと世界は、とてつもない不思議、影に隠された光、恐ろしい謎、計り知れない財宝に満ちている」
 そして、彼らがそれに同意すると、遠くから見ているわれわれの導き手たちから多くの不平不満が出てくる。彼らが不平を言うのは、神々は自分の仕事をいい加減にしていないことを知っているからである。つまり、世界は完璧なかたちになるべきである。川や渓谷、海や山は対等であり、男女も対等である。つまり、命令ばかりする者は存在せず、上も下もない世界である。
 そうなれば、土地、住宅、仕事、食料、健康、教育、情報、文化、独立、民主主義、正義、自由、平和のために、われわれは戦うこともないだろうと、長老たちは言う。
 そして、われわれサパティスタは、平和裏に、大地の胎内にトウモロコシを撒き、それぞれ夜…あるいは昼に、それぞれの相手と事情に応じて、子どもたちの種を播くことになる。
 言われるように、世界は未完成だが、それを完成するには必要なものがある。そういうことだ。それをうまく探し、見つけて、上手に当てはめるという問題は、それ自体で喜び、踊り、歌、色、味などを醸しだす。
 その素晴らしいほかのものは、隠されているため、見えず、感じず、聞くこともできない。人は、状況や事柄によって、ただ歩くだけで、何もわからず、世界はこのようなもので、変えられないと思い込んでいる。つまり、世界をほかのもの、つまり完璧にはできないと思い込んでいる。
 しかし、たまに風のようにくる人がいる。しかし、風というより、どこから来るか、われわれにわからない空気のようなものである。大地からスカートが持ち上がったかのように、そこから男女が出てくる。すべての男女のように見えるが、そうではなく、ほんの一部の男女でしかない。
 つまり、外見も内面も、ほかの男女と同じように見える。われわれすべての男女と同じように、彼らにも腹がる。
 だが、その男女の考え方は別のものであることがわかった。もともと持っていたのか、どこかでこのまったく異なる考え方を身につけたのか、われわれにはわからない。
 その後、これらの女や男が、自らに特別な仕事を課していることがわかった。それは副司令が言う「特別任務」である。それゆえ、私が与えられた特別任務を持つことになった。サパティスタの司令部が私に与えた仕事は、悪や悪人を探し、「じっとしろ」、「静かにしろ」と言うことである。
 しかし、それが問題である。私がお話している男女は、司令部から任務を与えられたわけではない。われわれサパティスタのように司令部や統率者がいるか、誰も知らない。
 しかし、これらの女や男たちは、一人ずつ、独自の仕事、特別任務を与えられた。彼らは果たすべき使命に囚われ、昼夜を問わず、特別任務は、あそこに、ここにと、動き回り、疲れ果て、調子を悪くし、倒れることもある。なぜなら、今では、後に言われるように、男女は、特別任務にとても苦労しクタクタになっている。しかも、その男女はとても粘り強いという。このように、特別任務を果たすため、男女は生れ、戦い、そして死んでいく。
 私があまり歳をとっていないとき、一人の老人に聞いたことがある。彼はすでに高齢で、私はさほど歳をとっていなかった。そんなに少なくも多くもない年月しか生きていなかった。そして、その老人にくだんの特別な仕事、つまり特別任務とは何かと聞いた。当時、私は「特別任務」といわれたものの意味を知らなかったので、それとは違う別の特別な仕事と言っている。
 そして、「ところで、ドン・アントニオ」と言った。その老人がアントニオと呼ばれていたからである。そして、彼は亡くなっているので「呼ばれていた」と言う。人が死んでいないときは「呼ばれる」と言う。どこで習ったかは覚えていないが、以前、以後、現在によって動詞の時制は変わることであえる。つまり、動詞、すなわち歩いている言葉の活用は、まあ過去形だと思っているが、混乱しているかもしれない。窮地から逃れるかを確かめるためには、未来の時間を待つしかない。
 さて、私は彼にこう言った。
 「ところで、ドン・アントニオ。そして、この男や女たち、まったく異なる男女が身を捧げていた特別任務とは何ですか」
 すると、当時はまだ死んでいなかった故ドン・アントニオはすぐには答えなかった。遅れていたのは、ドブラドール、つまりトウモロコシの葉で、タバコを巻いていたせいである。ドン・アントニオが、いつになったら答えてくれるのか、私はひたすら待っていた。彼は燃えている木片でタバコに火をつけると、私の方を見つめた。何も言わず、ただ私をじっと見ている。
 私が尋ねたことを忘れたのではないかと思い、もう一度、言った。
 「ところで、ドン・アントニオ、この女や男たちの特別任務は何なの」
 すると、彼は私にこう答えた。
 「覚醒させることだ…」
 私はすぐには分からなかったが、ずいぶん後には、はっきりと分かった。なぜなら、マグダレナ、それがサパティスタの特別任務である「覚醒させる」ことだと、わかったからだ。
 では、ごきげんよう。
 われわれは喜んで任務を遂行する。なぜなら、われわれは孤立していないからである。

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    EZLN機関紙『メキシコの覚醒者』第1号(1993年12月)




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