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『老アントニオのお話し』続編#5  第4部 大地の色の行進     (2001年2月~2004年8月)

目次

はじめに
目次
はしがき
1 尊厳という最初の花
(2001/2/24)
2 最初の言葉のお話(2001/2/25)
3 鳥だった人間(2001/2/27)
4 ものごとはよくも悪くもなる(2001/2/27)
5 今は言葉の時間である(2001/3/3)
6 何も恐れる必要はない(2001/3/5)
7 探ることのお話(2001/3/31)
8 一番目の石碑 (2003/1/3) 
9 二番目の石碑 (2003/2/1)
10 四番目の石碑 (2003/2/1)
11 渦巻、カラコル (2003/7/21)
12 天空の支持者のお話 (2003/7/21)
13 光を運ぶメカパル (2003/11/17)
14 三つの肩(2004/8/22)

はじめに

 第4部には、約70年間、政権を独占してきた制度的革命党が大統領選挙で敗北し、国民行動党のフォックス政権(2000年12月~2006年11月)が発足した時期に発表された14編の「お話し」を訳出している。
 2001年初頭、サパティスタは、チアパスからメキシコ市までの「大地の色の行進」を敢行した。その目的は、国会の場で、「先住民自治と文化に関する諸権利」を憲法に明記することを表明することだった。国会での意見表明は実現したものの、国の立法、行政、司法の三権力によって、反動的な先住民法改悪が強行された。
 これ対して、サパティスタは国家権力との対話・交渉を立ち切り、政府に認可された自治でなく、自前の自治を構築する方針を明らかにした。こうして、2003年、善き統治評議会(JBG)と先住民自治行政区で構成されるカラコル体制が発足することになった。
 14編のうち、老アントニオが話したとされるお話しは、5編である。残りのお話しでは、「われわれのなかの最長老」「先住民」「先住民の最古老」「もっとも古い人」などが、語り手となっている。また、3つの石碑のように、副司令マルコス自身が伝承などをもとにリライトしたお話もある。この傾向は、次回に紹介する第5部でさらに顕著になっていく。


1 尊厳という最初の花(2001/2/24、チアパス州サンクリストバル)

 われわれのなかの最長老たちは次のように語っている。
 この大地のいちばん最初の人々は、ツル、つまり強大な権力者がこの地にやってきて、われわれに恐怖を教え込み、花を萎れさせたことを目撃した。自分の花を目立たせるため、権力者はわれわれの花を傷つけ、飲み込んだ。[チュマイェルのチラム・バラムの書にある言葉]

チラムバラム

              『チュマイェルのチラム・バラムの書』の一頁

 われわれのもっとも昔の人たちは言っている。
 権力者の生命は萎れている。権力者の花の心は死んでいる。権力者はすべてのものを引きつけ壊す。権力者は、他者の花を傷つけ、飲み込んでいる。
 われわれのいちばん最初の人々は語っている。
 この土地、大地に咲く最初の花には、色がついていた。死なないようにするためだった。小さい花だったが、抵抗した。大地である心を通じて、ほかの世界が誕生するための種を自らの心の奥底に保管した。
 ほかの世界とはいちばん最初の世界ではない。権力者が萎びさせた世界でもない。それとは異なる別の世界である。新しい世界である。よい世界である。
 「尊厳」、それが最初の花の名前である。
 その種が、すべての心と出会うには、ずいぶんと歩かねばならない。そうすれば、あらゆる色が存在する偉大な大地に、誰もが「明日」と呼んでいる世界が芽生えるだろう。
 今日、われわれが手にしている旗は尊厳にほかならない。
 今まで、その旗のなかには、大地の色をしたわれわれの場所はなかった。その旗のもとにあるほか人たちが庇護し、その旗でたなびく歴史はわれわれのものでもあると受け入れられることを、今までわれわれは期待してきた。われわれメキシコの先住民は、先住民族でありメキシコ人である。われわれは、先住民、そしてメキシコ人でありたい。
 しかし、多くの言葉を操るが、まったく聞く耳をもたない領主たち、われわれを統治する連中は、われわれに嘘をつき、旗を提供することなどなかった。われわれの対応は、先住民の尊厳を守るための行進である。大地の色をしたわれわれの行進、大地の心のすべての色を備えた全員の行進である。
 7年前、先住民の尊厳は、この旗にあるべき場所を求めた。われわれ大地の色は、砲火をもって語った。それに対して、ツル、権力者は、虚言と砲火で応えた。連中の色は、大地を汚染するお金に由来する。
 だがその時、われわれは別の多くの声を目撃し、別の多くの色を聞いた。これら別の人たちは、昼を襲い、夜を冒し、喉をひねり、言葉を語る口を緩めることなどはしなかった。
 仲間とは、さまざまな色でわれわれと仲間になっている人たちである。今日、彼らとともに、様々の色をした仲間とともに、大地の色は歩んでいる。尊厳をもって歩き、尊厳をもって、旗の中の自分の場所を探している。
 権力者は自分たちの政府をもっているが、その王たちは偽物である。彼らの喉は歪み、統治し、命令している連中の口は緩んでいる。ツル、権力者の言葉に真実はない。

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          『大地の色の行進』のポスター


2 最初の言葉のお話(2001/2/25、オアハカ州フチタン)

 ずいぶん昔のことだった。そのときから、地球は太陽に求愛しながら、執拗にそのまわりを18回転した(当時、EZLNは一握りの男女しかいなかった。その数はわれわれの手の指の数より少なかった)。腹が減ったので、われわれは狩猟に出かけなければならなかった。
 私一人で出かけたわけではない。老アントニオは古ぼけた猟銃を携帯し、地面を見つめ、大地にある痕跡や密林の物音を細かに調べながら、注意深く道を歩いていた。老アントニオの説明によると、発情期のキジの喉を鳴らす音、センソントリの歯を打ち鳴らす音、サラグアト[ホエザル]の嗄れた唸り声、クモザルの騒々しい喚き声を聴きわけることができたという。

とり

        400の声を持つとされるセンソントリ

サル

            ホエザル

クモザル

             クモザル

 正直に言おう(先住民の仲間であるあなた方[オアハカ州フチタンの集会に参加した人々]に話しているのだから、今は正直に言うべきだ)。狩猟に出かけたのは老アントニオだった。私は同行したにすぎない。当時の私は、メキシコ南東部の山中はまったく初めて踏み入れた土地であり、転んでばかりだった。私の限られた経験では、どの音も同じで、何を意味するのか、皆目わからなかった。唯一完全にわかったのは私の腹がグルグルと鳴る音である。意味はよくわかる。腹ぺこだった。
 老アントニオは言った。
 「よい狩猟者とは射撃のうまい人ではない。むしろ、よく聴きわける人である。なぜなら、どんな人でも物音は聞こえる。だが、聴くことは、それぞれの音が何を意味するかを発見することである」
 ひとことだけ言っておくべきだろう。この時、日はとっぷりと暮れ、夕闇が迫り、近くにある丘の残り少なくなった地平線も、容赦なく忍び寄る夜に包囲されつつあった。
 そのとき、われわれは一本のセイバの木の根元に座っていた。それは老アントニオによれば「母なる木」であり、「世界を支える木」である。そこでは、トウモロコシの葉で巻いた煙草と老アントニオの言葉に点火された明かりで、遠く過ぎ去ったいくつもの昨日が照らしだされた。
 老アントニオは私がパイプに火をつけるのを待っていた。二人で作った煙のなかから必要な記憶を取り出しながら、老アントニオは「この大地の最初の言葉のお話」を私にしてくれた。

最初の言葉のお話
 
 われわれ先住民族の最長老たちは話している。最初の神々、いちばん最初でない神々、世界を誕生させたのではない神々、いちばん最初でないが、最初に近い神々は、少しばかり怠け者だった。いちばん最初の神々とともに、とてもできのよい世界は誕生した。さらにトウモロコシの男女、真の人間が創られた。
 しかし、くだんの神々はとても怠け者であった。仕事をせず、とにかく遊び、踊るばかりだった。この神々はふらつき回り、すれ違うたびに、風を起こし、女性のスカートをめくり上げ、人々の足にまとわり転倒させた。
 トウモロコシの男女、真の人間はとても怒っていた。この問題を検討するために会合をもった。トウモロコシの男女は、くだんの神々、いちばん最初ではないが最初に近い神々をその会合に呼び出した。命令を下す者は、人々の意志に基づいて命令すべきであると、トウモロコシの男女は考えた。だから、くだんの神々を呼び出したのである。
 その場にいた神々の側も、集団の合意を尊重しなければならなかった。皆の役にたつように全員でおこなった合意は、集団の合意と呼ばれた。こうして、くだんの神々は会合にやってきた。彼らはいちばん最初の神々ではなかったが、ちょっとだけ最初に近い神々であった。彼らは悪戯ばかりしていたが、会合でそのことを叱責された。それ以来、くだんのふらついていた神々は静かになり真剣になった。
 最初に、トウモロコシの女たちが話しだした。彼女たちはとても憤っていた。くだんの神々が風を起こし、彼女たちのスカートをめくり上げたからである。
 つぎに、トウモロコシの人間たちが話しだした。彼らもずいぶん憤りを感じていた。くだんの神々は、蛇のように地面を動き回り、彼らの足にまとわりついていた。そのため、トウモロコシの男女、真の人間は倒れそうになった。その会合で、くだんの神々の犯罪はつぎつぎと露見した。
 会合の結果、彼らは、集団所有の牧草地にある石を取り除くべきだという合意に達した。これらの神々は、石を取り除くために牧草地へ出かけた。だが、彼らは不平を言った。
 「どうして?いちばん最初ではないが、われわれだって神々のはずだ」
 彼らは本気で腹を立てていた。大きな石を手にし、トウモロコシの男女、真の人間の家に赴き、家を破壊した。トウモロコシの男女は、最初の言葉、聴くことができれば、後も前も見られる言葉をその家に保管していた。
 この大災厄が起きた後、いちばん最初の神々ではないくだんの神々は、ずいぶん遠くまで遁走した。自分たちがとても多くの災厄を起こしていたことをよく知っていた。自分たちに降りかかったこの大災厄にどう対処するかを考えるため、トウモロコシの男女は会合を開いた。皆で協力すれば大災厄を解決できるのを彼らは知っていた。
 最初の言葉がなければ、トウモロコシの男女は、自分たちの歴史に耳を傾けず、自分たちの明日を見つめることはなかった。なぜなら、いちばん最初の言葉は、過去に結びつく根であり、歩むべき道に通じる窓だからである。
 いずれにせよ、会合に集まったトウモロコシの男女、真の人間たちは、何も恐れず、自分たちの考えを探し、それを言葉にした。言葉とともに、新たな考えや言葉が誕生した。
 だから、「言葉は言葉を生み出す」と言われる(サポテカ語では「デイヂャ・リベエ・デイヂャ」)
[フチタン出身学生が1930年代に出した雑誌Nezaに所収されていた昔のサポテコの諺の一つ]

トレド

                   『言葉は言葉を生み出す』
(サポテカの詩人ナタリア・トレドの文学創作ワークショップポスター)

 こうしてトウモロコシの男女は、自分たちの記憶を大事に保管しようという合意に達した。そして、自分たちの言葉を言語にすることにした。しかし、その言語が忘れられ、誰かがその記憶を奪うことを考えて、トウモロコシの男女は記憶を石に刻んで、自分たちの考えを教えてくれる場所にその石を大事に保管することにした。ある者は記憶を刻んだ石を山に保管し、ほかの者は海に守るように委託した。
 こうしてトウモロコシの男女たちは満足した。
 しかし、くだんのいちばん最初でない神々は、かなたの地で道に迷っていた。そこで、自分たちの歩むべき道を見つけるかわりに、自分たちがした悪戯のことを固まった糞でできた偽りの神々に話した。それ以降、その固まった糞は、お金と呼ばれている。

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ロペス・アウスティン『糞のお話し』所収フランシスコ・トレドのイラスト 
(金はマヤ語:Ta’kin太陽の糞、ナワ語:cóztic teocuítlatl聖なる黄色の糞)

 やがて、その偽りの神々がやってきた。トウモロコシの男女、真の人間たちの大地に悪をもたらすためだった。そして、トウモロコシの男女がいちばん最初の言葉を忘れるようにするため、いろんな策略が実行された。トウモロコシの男女は自分の歴史に耳を傾けないようになった。その状態はそれから忘却と呼ばれるようになった。また、トウモロコシの男女は自分の明日を見ないようになった。その状態はそれから道に迷って歩くと呼ばれるようになった。
 偽りの神々は、トウモロコシの男女が自分の歴史を忘れて道に迷えば、彼らの言葉、言葉とともに彼らの尊厳も徐々に死ぬことを知っていた。固まった糞、お金という偽りの神々は、いろんな暴力や策略を使ってきたし、今も使っている。われわれのいちばん最初の人々の言葉を破壊するため、連中はあらゆることをした。
 だが、偽りの神々の企みはつねに失敗した。そのたびに、トウモロコシの男女、最初の人間たちは、歴史が刻まれている石が言ったことを読み取るために、山や海に出かけたからである。こうして、最初の人間たちは、お金という偽りの神々の攻撃に抵抗したのである。それゆえ、われわれ先住民は自分のすぐ近くに山や海をもっている。
 それは、われわれが記憶を失わず、道に迷わず、明日をもつためである。
 
 老アントニオはお話を終えると、トウモロコシの葉で巻いた七本目の煙草を地面に投げ捨てた。そこで私は質問した。
 「その後、その二番手の神々はどうしたのですか?」
 老アントニオは叱りつけるように言った。
 「くだんの神々は二番手の神々ではない。二番手の神々は、今、君臨している神々、お金と権力である。くだんの神々はいちばん最初ではないが、最初に近い神々である」

 さて、くだんの神々についてはほとんどわかっていない。くだんの神々がまた悪戯を始めるのではないかと、先住民はいつも考えている。それ以来、風でスカートがヒラヒラしないように、女性はスカートの丈を長くし、スカートの下の部分をしっかりと閉じている。それ以来、男や女たちは、自分が踏みしめる道によく注意を払いながら、ゆっくりと歩くようになった。
 だから、われわれ先住民は下を見ながら歩いている。われわれが敗北したからであるとか、われわれがわれわれでなくなったため、われわれは下を向いて歩いている。こんなふうに、ものごとをよく知らない者たちは言っている。それはまちがっている。われわれは敗北していない。われわれがこうしてここにいることが、その証拠である。われわれはわれわれであることを止めていない。
 たしかにわれわれは下を見ながら歩いている。転ばないように、忘れないように、道に迷わないように。すなわち、われわれは自らの歩む道をよく見つめながら、歩いているのである。


3 鳥だった人間(2001/2/27、プエブラ州テワカン)
 
 われわれの大地の先住民たちは語っている。はるか大昔、人間は人間ではなかった。いろんな色をもち、多くの唄を歌い、空を高く飛ぶ鳥だった。この鳥は多くのことをした。
 たとえば、この世界にある様々なものを手にし、自分の体にある色で塗った鳥がいた。最初の世界は灰色だった。色をこの世界に贈ったのはその鳥だった。
 また、あらゆる場所で歌った鳥がいたという。歌がうまかったので、鳥はほかの鳥に変身しながら、あちこち飛びまわり、唄を生み出す唄を歌った。最初の世界は口がきけず、喋れなかった。音楽を贈ったのはこの鳥だった。
 また、道を作るためあちこち歩きまわり、けっして方向や目的地を見失わないように道に変身した鳥もいた。最初の世界は目的地も方向もなかった。
 別の鳥は沈黙を生みだし、沈黙を破った。彼らが音と言葉を与えた。最初の世界には、音も沈黙もなく、騒音しかなかったのである。
 世界を色で塗り、道を作り、沈黙と音を定めながら、この鳥たちは人間になった。その鳥たちが世界を塗った何千もの色を見るため、方向と目的地をもった道を歩むため、沈黙を語り、聞くため、考え、感じるために音と言葉を生きるためである。われわれの最古老たちによれば、言葉は生きる音であり、あふれる騒音ではない。

 仲間の皆さん(プエブラ州テワカンの集会参加者)。

 われわれは先住民である。先住民はいったい誰なのかと多くの人にたずねられることがある。われわれ先住民は歴史を守る番人である。
 われわれはすべての色、道、言葉と沈黙を自らの記憶のなかに保存している。われわれは、記憶が生命を輝かすために生きている。生きることにより記憶は保たれる。
 われわれ先住民はわれわれ自身である大地の色を基盤にしている。世界い存在している多くのものに最初の色を塗ったのは、われわれ先住民である。われわれ先住民が、たどってきた時間、誰もが道に迷わないように、今も生きているわれわれの過去を指し示している。すべての色で構成されるわれわれ先住民は、きたるべき明日を指し示している。われわれは、あらゆる人々の共通の目的地を指し示している。われわれ先住民は沈黙を作るとともに、歴史そのものである過去と未来を見つめる言葉で沈黙を打ち壊している。
 かつて、われわれは多くの色をした鳥、空高く飛ぶ鳥であった。そして今は、われわれ先住民はその記憶を保持し、人類がすべての色を有する偉大な色、あらゆる音で歌う人、そして数多くの空高く飛べる人となるように努めている。
 われわれ先住民とは誰かとたずねられたなら、われわれ全員で答えよう。
 われわれ先住民は道を歩むものであり、道でもある。メキシコが失われることのないように、そしていつの日か、すべての人々とともに、あらゆる色をもち、多くの歌を歌い、高く飛翔する国となるため、われわれは歩んでいる。それがわれわれ先住民である。


4 ものごとはよくも悪くもなる (2001/2/27、プエブラ州プエブラ)
 
 先住民の最古老たちは、世界の昔の出来事についていくつもお話をしてくれる。そのひとつによると、最初、つまり時間がまだ時間として勘定されなかった時代には、闇、暗がり、沈黙、悲哀が世界中を支配していたという。その時代の人々は、そんな世界での生活に慣れていた。
 その後、時間が歩きだし、太陽と音楽が誕生する時代が到来した。
 それ以来、太陽は寒くないように毛布を被るようになった。太陽の毛布には多くの穴が開いていたので、光の破片が点のように描きだされていた。われわれのもっとも古い先祖たちは、太陽が何もまとわず歩んでいる状態を昼と命名した。
 一方、寒さから身を守るためにまとった穴だらけの毛布を夜と命名した。夜を点描している数多くの穴を星と命名した。昼と夜ができるとともに、音楽が登場した。同時に喜びもやってきた。
 われわれのもっとも古い先祖たちは、こんなことが起きたと話した。
 こんなことが起きたとき、とても恐くなり、深い穴を掘って、その周りを大きな石で囲んだ人たちがいた。闇や暗がりに慣れた目が、光で傷つくのを恐れたからである。悲哀がもたらす騒音に慣れた耳が、音楽の作り出す喜びで痛くなるのを恐れたからである。
 われわれのもっとも古い先祖たちは、この人たちのことを次のように語っている。穴に閉じこもり隠れたため、悲しみのあまり死んだ者がいた。身体を護るはずの大きな石が自分の身体に落ちたため、死んだ者もいた。
 一方、新しくはなく、もとから存在していたが、よいものを見たり、聞いたりできる人もいた。ものごとには、よいも悪いもなく、それへの対応の仕方で、よくも悪くもなる。そのことを世界は教えている。新しい人間は、実際には、古い人間と同じである。しかし、尊敬の気もちで対応すれば、その人でも、ものごとをよくすることができる。


5 今は言葉の時である
 (2001/3/3、ミチョアカン州ヌリオ、第3回先住民全国議会)

 私の口を通じて、EZLNの言葉を話したい。
 
 昨年の7月半ば過ぎ、メキシコ南東部の山中では、雨がしだいに優勢になりだしていた。われわれは、最長老の人たちと話しに出かけ、次のように話した。

 彼の地では、永遠に不動といわれていたもの[PRI一党支配体制]が崩れ去った。打倒したのは仲間たちである。名前も顔もあるが、小さいゆえに名前も顔もないように見える仲間である。われわれと同じように、大地の色と同じくあらゆる色が歩んでいる人たち、下の世界にいてわれわれと同じく明日を否定されている人たちである。
 倒れたものがいた所には、別のものがいる。しかし、別人どころか同じ人にしか見えない。その人物[新大統領ビセンテ・フォックス]は、よくしゃべり、すべてが変わったと、言っている。しかし、われわれの負債は清算されていない。これらの大地のもっとも最初の人々とその歴史は、新旧の政府の未解決の問題として積み残されたままである。
 ほかの土地の多様な言語をもつ仲間は、注意深く聞き、寛大で親しみやすい言葉をもつことを理解しよう。あまり聞くことをせず、多く喋る人が小さいと見せかけるその人たちの心は、今日はとても大きなものである。
 そこで、われわれは仲間である指導者たちに質問した。あなたたちに命令を出している人たちに、われわれは何をしたらいいのですか。
 「それはいい」と、われわれの長老たちは言った。「われわれは、われわれの最古老たちに聞くことにする。いつもどおり、マチェーテと言葉、つまり希望を研ぎながら、ここで待ちなさい」。
 われわれはさほど待つことはなかった。長老たちはすぐに戻ってきた。マチェーテと言葉の刃がよく研がれているのを確認し、こう言った。
 「われわれはわれわれの最古老たちと話し合った。最古老たちは、何を、どのように、どこで、なぜ、という言葉を教えてくれた。だから、われわれの戦士たち、サパティスタの男女、われわれ人民の守護者であり心であるわれわれのボタン・サパタよ、その心を開いてほしい」
 そして、われわれの最古参の長老たちは、われわれに言った。
 「今は言葉の時間である。マチェーテをしまうのだ。だが、希望を研ぎつづけるのだ。山を7回巡り、山を流れ下る川を7回巡るのだ。われわれの7回の死を通じて、語るのだ。7回も船で海に出るのだ。7回もおまえのテントを閉じるのだ。7回も大地の色を見るのだ。7回も言葉を見守るのだ。もう7が来ている。7はそれを強く感じる人にとってはカラコルである。なぜなら、もう渦巻が来ている。それは内向きや外向きの道になり、道や希望となる。
 それらが終わったら、われわれが与えたあなたの足を準備し、われわれであるあなたの目や耳を注意深く開くのだ。言葉を再びわれわれのものにするのだ。もう、あなたはあなたではなく、今では、あなたはわれわれである。
 たくさん話す人が言うことで、悩むことなどない。それはただの雑音、調律されていない音楽でしかない。何もわれわれにもたらさない。われわれのために戦ういうものでもない。われわれにとっては何の贈り物でもない。われわれが着手しなければ、われわれの家のものにならない。われわれが戦って獲得したものでなければ、何もわれわれのなかで生きられない。だから歩くのだ。他者の大地、われわれと同じように大地の色をした他者の大地、われわれを含め大地のすべての色をしているものの大地を歩くのだ。
 歩いて歩いて、語るのだ。われわれの顔を自らの顔とするのだ。大地からは、色と言葉を身につけるのだ。われわれの声を自らのものとするのだ。われわれの視線を歩ませるのだ。他者の言葉を聞くため、われわれの耳を自らのものにするのだ。もう、あなたはあなたではなく、今はわれわれである。
 山から降り、この世界を歩く大地の色を探しなさい。7日間も歩けば、大地の色が昇ってくる。大地の色と対話する他の色を探しなさい。他者のなかを歩んでいる心と話すことを学びなさい。弱い人の前では小さくなり、その人とともに大きくなりなさい。権力者の前では大きくなり、あなたの足元に広がるわれわれへの屈辱を黙って認めてはならない。
 慎ましい人に対しては謙虚な態度で臨みなさい。高慢な人に対しては、嘲笑であれ、嘘であれ、けっして同意してはいけない。自分の使命を忘れてはならない。そして、あなたを払いのけるものからつねに距離を保ちなさい。集合色であり、メキシコ全土を歩んでいるわれわれに向かって、そのことを話しなさい。大地の色とともに歩むすべての色のための場所を作りなさい。
 言葉が他者の仲間であるなら、境界を忘れるのだ。よくしゃべる人を信用するな。黙している賢者にはよく耳を傾けなさい。われわれとともに、偉大な国家が求めている集団となるよう呼びかけなさい。夢と苦悩を寄せ集め、明日を引き寄せながら歩みなさい。インディオの大地で沈黙するものの強大な共鳴盤となりなさい。
 どんな痛みであれ、他人事として黙るのではなく、自分のものとして話しなさい。相手には自分の兄弟姉妹であると伝えなさい。大地と希望の色が成熟している場所を探しなさい。偉大なる仲間であり、素晴らしい同志的な偉大さを持つプレペチャの家に行きなさい。そこでは、敬意を払いながら、言葉を使いなさい。
 そうした大地で人々の意思に従って統治している人たちに挨拶しなさい。大地の色に誇りを持っているすべての人々に抱擁を捧げ、敬意を持って、彼らに発言の許可を求めなさい。許可がない場合は、頭を下げて黙っていなさい。許可があれば、頭を下げて話しなさい。
 彼らの本心に向けてそのことを語りなさい。そこで庇護と宿泊を求めなさい。そこには、支援を受けられ、色や明日においてわれわれともいえる人たちと出会うことができる。
 7日目となり、大地の色から立ち上がった共通の尊厳を探しなさい。7回を7回重ね、苦悩と希望が加わる。7回にわたり、大地と希望の色をした者たちの言葉が語ることに耳を傾けなさい。
 必要であれば、7回を7回分、叫び、7回を7回分、黙りなさい。そして心を開きなさい。その開かれた心で、他の言葉に耳を傾けなさい。その時、われわれ大地の色をしたわれわれの言葉を語りなさい。われわれがあなたに言うことについて、ある人話し、ほかの人黙る。これは、都市と呼ばれる上に伸びる大地で言われていることである。
 そして、おまえの口を通して語るわれわれがいったい誰なのかをその人たちに伝えなさい。それが終われば、次に来る言葉が続くだろう。明日という言葉。大地と希望の色をもつ者にふさわしい場所を探す言葉。
 それは、誰のものでもなく、誰も傷つけないもののために戦うことを皆に呼びかけるものである。大地と希望の色をしたわれわれのための尊厳ある場所である。

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   ヌリオの耕地の一画に設営された第3回先住民全国議会の会場

 仲間の皆さん
 われわれは先住民であり、7年前、最高政府に対して武装蜂起したEZLNを代表している。EZLNはすべてのメキシコ人のための民主主義、自由、正義をその旗印として掲げている。われわれは闘う先住民族の一つである。われわれの中を流れている血は、古代マヤ人からのものである。われわれを生かし造っているものは、その血である。われわれは戦士である。われわれは、集団的な委託によってわれわれ人民の守護者にして心となってきた男女の世代の最後の存在である。戦士としてのわれわれは、剣と言葉という存在である。剣と言葉によって、われわれは、われわれ人民であるという記憶を護らなければならない。それによって、われわれ人民が抵抗し、より良き明日を切望することができる。われわれは、戦士として、科学と芸術、栄誉と戦争、苦悩と希望、沈黙と言葉を準備してきた。われわれは守護者である。われわれは人から何かを奪うことはしないが、誰かがわれわれから何かを奪うことはけっして認めない。われわれに向かって叫ぶなら、われわれは叫ぶことになる。静かにわれわれに話しかける人には、われわれも静かに対応する。攻撃されたら、われわれは防衛する。侮辱し、脅迫する人はわれわれの軽蔑をうけ、われわれは剣として言葉を研いでいる。われわれが誇りをもって仕えているわれわれに命令をしている人たちによると、われわれは戦士として、その人たちのためにわれわれは生死を捧げている。その人たちはわれわれに顔を与えてくれた。われわれの名前を命名してくれた。われわれにこの地までやって来るように言ってきた。日陰で今でも語っているが、われわれの力の源である。
 われわれは大地の色のなかを歩んでいるすべての色が命令を下している存在である。われわれはもっとも小さき存在である。われわれはサパティスタと呼ばれる。われわれ戦士のために、あなた方のなかでの場所を認めてほしい。耳と言葉のための場を認めてほしい。

ヌリオ

     ヌリオでの第3回先住民議会(2001年3月3日)


6 何も恐れる必要はない(2001/3/5)

 メキシコ州テモアヤのオトミ祭祀センターにて。
 メキシコ州の先住民の仲間、テモアヤの人々へ

オトミ

       テモアヤにあるオトミ祭祀センター
 
 この場所にわれわれを迎え入れていただいたオトミ、マサワ、マトツィンカ、トラウィカ、ナワトル、メシカナの仲間の皆さんに感謝したい。
 ずいぶん昔のことだが、われわれの最古老たちは、「上へと成長する大地の渓谷に入るべき日が、いつかくる」と、われわれに言っていた。
 「もし、われわれの存在と同じように、われわれの大地が水平だったら、われわれは何をすればいいのだろう」と、われわれは最古老たちに尋ねた。
 われわれの最古老たちは答えた。
 「死が勝っていると思われる所で、生命を背中に担ぎ、死を打ち破ろうとする仲間がいる。その仲間たちは、オトミと呼ばれ、そう名乗っている。マサワと呼ばれ、そう名乗っている。マトラツィンカと呼ばれ、そう名乗っている。トラウィカと呼ばれ、そう名乗っている。ナワトルと呼ばれ、そう名乗っている。彼らに助けを求めなさい。渓谷を守っている七つの鍵の一つを与えてくれるだろう。男女の仲間たちが、おまえとともに渓谷に入ってくれば、すべての人々の声はより強力なものとなる」
 われわれの最古老たちはこうに言った。だから、われわれはテモアヤまできた。みなさんの支援、鍵と力をお願いする。オトミの男女の仲間たちよ。

男女の仲間たちへ

 今日からメキシコ市に向けてメッセージを送ることにする。7つのメッセージがある。つまり、1つのメッセージごとに意味がある。つまり、1+2で、また別の意味となる。1+2+3でまた別の意味となる。こうして7つ目まで続くことになる。7番目のメッセージが届くとき、われわれはメキシコ市に入ることになる。
 メキシコ市に向けての7つのメッセージの1番目は、「何も恐れる必要はない」である。
 われわれと聞いたり話したりするのに、耳や口を塞ぐ人たちは、いったい何を恐れているのか。 そんなことでは、居場所を失ってしまうことになる。 声なき者が声を取り戻し、顔なき者がついに顔を手にする様子を、なすすべもなく見守ることになる。 そうなると、征服者、副王、帝国を創ろうとした保守派[1864~67年のマクシミリアーノ皇帝の在位期]、ポルフィリオ・ディアス統治期[1884~1911年の大統領]の大農園主、カルロス・サリナス・デ・ゴルタリ[1988~94年の大統領]、エルネスト・ゼディージョ[1994~2000年の大統領]を模倣しているポーズは何の価値もなくなってしまう。今挙げた連中はもう誰もいない。だが、私たち、私たちがここにいる。
 歴史には、それぞれ固有の場所がある。その場所を引き受けることもあれば、放棄することもある。その差し引き合算は、「はい」と「いいえ」の合計ではない。そこには、沈黙も含まれている。

民主主義を!自由を!正義を!   メキシコ州テモアヤから


7 探ることのお話(2001/3/31)

 夕刻が迫り、夜は甘美ないやらしさを覗かせている。母なる木、世界を支える木である巨大なセイバの木から、長い影がぶら下がっていた。自分の秘密を横たえるため、いくつもの影はあらゆる場所へ伸びている。夕刻が迫るとともに、3月も終わろうとしている。今日、多くの人々と歩み、われわれを驚かせたものはもういない。
 別の昼下がり、別の時代、別の大地、われわれの大地のことを話そう。
 老アントニオはトウモロコシ畑の雑草を刈り取り、小屋の入口に座っていた。小屋では、ドニャ・フアニータは、トルティージャと言葉の準備をしていた。そのトルティージャと言葉は、老アントニオに手渡された。彼はトルティージャを口の中に入れ、言葉を口から引き出していた。老アントニオはトルティージャをもぐもぐ噛みながら、トウモロコシの葉で巻いた煙草をすっていた。

探ることのお話
 
 われわれのもっとも古い物知りたちは語っている。いちばん最初の神々、世界を誕生させた神々は、万物を創造したといってもいいが、全部を創造したというわけではない。なぜなら、いくつかのものを創造する仕事は、男女の役目であることを知っていたからである。というわけで、世界がまだ完全に完成していない段階で、世界を誕生させた神々、いちばん最初の神々は立ち去ってしまった。世界の創造を完了しないままに、神々がいなくなったのは、ものぐさだったからではない。神々は、いくつかの仕事は自分たちが始めるが、それを完成させるのは全員の役目であると知っていたからである。
 われわれの最古老のなかの最長老たちは、次のように語っている。
 いちばん最初の神々、世界を誕生させた神々は、自分たちの仕事の途中で放棄されたやり残しのものが詰められている小さな袋をもっていたという。その仕事を神々が後で続けるためではなく、男女が不完全な状態で誕生した世界を完成させるという時に、いったい何を登場させるべきかを記憶として保持するためであった。こうして、世界を誕生させた神々、いちばん最初の神々は立ち去った。夕刻が立ち去るように、自分で姿を消し、影で身体を覆い隠し、ここに実際にいたはずなのに、もとからいなかったかのように、これらの神々はいなくなった。

 ある時、少し暗かったので、兎は気づかずに神々の小さな袋を齧った。というのも神々が(サル、ジャガー、ワニとの)約束を実行したが、自分を大きくしてくれなかったことに兎は腹を立てていたからである。兎は小さな袋すべてをかじろうとした。しかし大きな音がしたので、神々はそれに気づいた。神々は犯した犯罪を罰するため兎を追いかけはじめた。兎は脱兎のごとく逃げ出した。
  それゆえ、兎は罪を犯しているかのようにモゾモゾとまわりを気にしながら食べ、誰かの姿を見かけると、すぐさま急いで逃げ出すといわれている。

Web キャプチャ_2-12-2021_15340_www.youtube.com

     多くを望んだ兎に対する神々の処罰
(動画:兎の耳のミステリーより https://youtu.be/r5SHUdwreE4

 さて、ことのしだいは次のとおりである。
 兎はいちばん最初の神々の小さな袋を完全に壊せなかったが、穴をあけるのに成功した。そのため、世界を誕生させた神々が立ち去った時、懸案となっていたものすべてが、小さな袋の穴からこぼれ落ちてしまった。しかし、いちばん最初の神々はそれに気づかなかった。そこに風と呼ばれるものがきて、息を何度も吹きつけた。すると、やり残しのものは、あちこち散らばってしまった。                           
 夜だったために、世界を完成させるために誕生すべきものだったやり残しのものが、どこに行ったのか、誰にもわからなかった。
 この混乱に気づいた神々は、ひどいパニック状態に陥り、とても悲しくなり、泣きだすものまでいたという。だから、雨が降りはじめる時、まず天空が大きな音を発し、その後に雨がやってくるという。トウモロコシの男女、真の男女は悲鳴のような甲高い声を耳にした。神々がはるか遠くで泣いていてが、その泣き声は自然と聞こえたのである。
 そこで、トウモロコシの男女は、何が起きたのかを確かめようと、出かけた。すると、いちばん最初の神々、世界を誕生させた神々が泣いていた。やがて、神々はむせび泣きながらも、何が起きたかを話しだした。
 トウモロコシの男女は慰めた。
 「もう泣かないでください。なくなったやり残しのものを探しに、私たちが行きます。やり残しのものがあり、すべてが完成し落ち着くまで、世界は完全でないことを私たちは知っています」
 さらに、トウモロコシの男女は続けた。
 「そこで、最初の神々、世界を誕生させた神々の皆さんにたずねます。皆さんがなくしたやり残しのものについて、皆さん方は、何か少しでも覚えていますか?というのも、私たちがこれから発見するものが、やり残しのものなのか、それともすでに誕生している何か新しいものであるのか、知っておきたいからです」
 いちばん最初の神々は、何も答えなかった。というのも、キーキーという甲高い悲鳴をあげつづけていたため、神々は話すことができなかったからである。やがて涙を拭うため目をこすった後、神々は言った。「やり残しのものは、それぞれが出会うものである」
 
 だから、われわれの最長老たちは次のように言っている。われわれはすべてを失ったかたちで誕生する。われわれは成長するにつれ、自分を探し求めるようになる。つまり、生きることは探すこと、われわれ自身を探すことである。

 少し落ち着くと、世界を誕生させた神々、最初の神々は言葉を続けた。
 「世界で誕生することになるあらゆるやり残しのものは、先ほどおまえたちに言ったこと、つまり、それは各個人が出会うものであることと関係している。おまえたちは了解するだろう。おまえたちが出会うものが自分を見出すために役立つなら、それは世界に誕生するはずのやり残しのものである」
 「はい、わかりました」と、真の男女は言った。そして、世界で誕生すべきものであり、自分自身に出会うのに役立つというやり残しのものを探すため、あらゆる場所に出かけることにした。

 老アントニオは、トルティージャ、巻き煙草、そして言葉を終えた。しばらく、夜の片隅をじっと見つめていた。数分してから、口を開いた。
 「それから、自分を探しながら、それを探しつづけてきた。働き、休み、食べ、眠り、愛し合い、夢見る時も、われわれは探している。生きているとき、われわれは自分を探しながら探している。死のうとしているときでも、われわれは自分を探しながら探している。われわれ自身を見いだすため、われわれは探している。われわれ自身を見いだすため、われわれは生き、死ぬのである」
 「どうやって、自分自身を見いだすのですか?」と、質問した。
 老アントニオは私をじっと見つめ、トウモロコシの葉で新たに煙草を巻きながら、言った。
 「一人のサポテコの古老の賢者が、どのようにするかを私に言ったことがある。おまえにそれを教えよう。ただし、スペイン語でだ。というのは、自らを見いだした人たちは、自分の言葉の花であるサポテカ語しかうまく話せなかったからである。わしの言葉は種でしかない。ほかに存在する言葉は、幹や葉、果実となる。こうしてこそ、完全なものに出会うことになる。
 かのサポテコの父親は、次のように言った。
「おまえは、自分自身を見いだす前に、まず大地のすべての民族の道のすべてを歩くことになる」
(ニル ササルー グイラシシ ネサ グイジィラー ティ ガンダ グイヂェルー リイィ)[フチタン出身学生が1930年代に出した雑誌Nezaに所収されていた昔のサポテコの諺の一つ]

 3月と昼が終わったあの夕刻、老アントニオの言葉を私はメモしていた。
 それ以来、私は多くの道を歩んできた。すべての道ではない。私は、言葉の種、幹、葉、花、果実である顔を探してきた。すべてのものによって、すべてのもののなかで、私は完全な存在になろうと自らを探してきた。
 頭上に広がる夜空では、下方に広がる影のなかに自分を見出だしたかのように、光が笑っている。3月はもう終わる。しかし、希望はやってきた。


8 一番目の石碑 (2003/1/3)

オアハカ、一番目の石碑(新旧PRIにもかかわらず、歴史は死に抵抗する)。
石碑:浅浮彫りの石で、人物、日付、名前、事件…そして予言が刻まれる。

ステラ

                          モンテアルバンの石碑

 時は 1月。1月は過去、現在、未来が結びつく。場所はオアハカ。昨日と今日が明日の根源となる土地である。1月のオアハカ。
 太陽は先スペイン期の建築物が櫛状に並ぶ切りたった丘へと差しかる。この丘には、時代ごとに別の名前が付けられてきた。セロ・デル・ティグレ(虎の丘)、セロ・デ・ピエドラ・プレシオサス(宝石の丘)、セロ・デル・パハロ・プロ(鳥の丘)と言われてきたが、現在はモンテ・アルバンと呼ばれる。
 モンテ・アルバン。その山麓には、州都のオアハカ市の見事なまでの混乱ぶりがきわだって輝いている。メキシコのほかの都市と同様、ハリケーン、地震、偽りの支配者によって苦境に陥ったとき、あるいは耐えがたい貧困によって武装反乱という道が続くときだけ、オアハカ市はニュースになる。下の世界の人々の敗北、絶望、不幸について語るときだけ、歴史は重要なものとなり、基本的なものである「抵抗」を忘れている。

モンテアルバン

        モンテ・アルバンの矢型の建築J

 そのイメージがふさわしくないかのように、警戒し庇護するようなコンゴウインコの飛翔が下に見える。モンテ・アルバンの南側基壇にある七番目の石碑の前で、すべての洞窟の源である一つの洞窟からきたお話しと……再会することになる。
 先住民の血は、大地にはすべての時代を生み出す豊饒な子宮が隠れていることをよく知っている。サポテカ先住民の知恵者は、時間と生命が困難に満ちた旅を始めたのはある山の中だったと語る。
 それが始まる前、考えが及ぶことのない存在、コキ・シェーは洞窟で眠っていた。その洞窟は時間のない時間の洞窟だった。そこには始まりも終わりもなかった。やがて、世界を動かそうとする意志が、コキ・シェーの心に湧いてきた。そこで、月を見えないように隠し、自分の内面を見つめた。こうしてコサナとショナシを生んだ。古代サポテカ人はそれぞれを光と闇と呼んでいた。

コキシェ

             コキ・シェー

 やがて、光と闇の足で、世界は最初の一歩を踏み出した。始まりのない存在、理性で触れることのできない存在であるコキ・シェーは、新しい月となって誕生し、夜の世界における長い歩みの第一歩を踏み出した。しかし、昼間にはミヘの大地にあるセンポアルテペトルで休息していた。
 夜の主であり、太陽を生む火の主でもあるコサナは、大地を歩むために亀となり、ショナシの手によって人間が作られることになった。ショナシは、コンゴウインコになって天空を飛翔し、男女を世話し、人間がうまく生まれるのを見まもった。

コサナ

              コサナ

 夜空を飛びながら、ショナシは、自分の道を見失わないように、光で描いていた。その砂のような光の軌跡は、今は「天の川」と呼ばれている。
 

ショナシ

             ショナシ

 光と闇の抱擁、天空と大地の抱擁から、稲妻であるコシホが出現した。コシホは、よき父、よき大地の形成者であり、大地を耕し食物を作り出す人々の導き手である。健康をもたらし病気を治療するとともに、戦争と死の主でもあるコシホは、「13の花」を旗として掲げ、四つに分かれて生まれ、世界を測る四基点に鎮座している。死と苦痛を名付けるため、身体を黒く塗り北側にいる。幸せを呼ぶために、オレンジ色の衣装をまとい、東側にいる。西側では、運命を記すため白いマントを着ていた。戦争を布告するため、青色の衣をまとって、南を歩む。

コシホ

              コシホ

 われわれの父である稲妻のコシホは、花と蛇で飾られたウィピルを着た女性、「13の蛇」と呼ばれるノウィチャナと結婚した。われわれの母である彼女は、女性の胎内、川床や湖、雨のなかで生命を生み出している。誕生から死まで、男女の手を携えて歩む彼女は、昔も今もこの土地の色に彩りを与えるものにとって良き女王である。

ノウイチャナ

               ノウィチャナ

 それを知りながら、黙している人たちは、次のように語っている。雷と雨がやってくるたびに、愛と人生も戻ってくる。どんな女や男たちにも、不条理が障害として立ちはだかるものである。しかし、それは彼らの視線のなかを歩んでいる輝きを増すものでしかない。
 もともとそうであるように、最初のうち、先住民の大地に数多く存在している洞窟のなかで、生命は液体の状態で歩んでいたというのは、おそらく確実である。また、洞窟は、最初の神々が自らの力で誕生し、形成した腹である。そして、洞窟は開花した生命が大地に傷跡のように残した穴でもある。すなわち、過去だけでなく、明日につながる道を読み取れるのは、大地のなかである。
 この1月、一組の創造主コサナとショナシは大地の腹を抱きしめる。大地を柔らかくし、実り豊かな苗床に変えるためである。それは、集団的な反乱の闘いが、腹部で蘇るためだけではない。たしかに集団的でなければ反乱者にはなりえない。同時に、大地の色をしたわれわれの色をした夢が腹で生まれるためでもある。
 今、歴史は押し黙っている。いつだって話すよりも沈黙することが多い。沈黙…。

 上空では、コンゴウインコの毅然たる飛翔に対して、一陣の暴風が、雷鳴をとどろかせながら、挨拶している…。その下方では、宗教施設全体の単調さを打ち壊している矢の形をした建物群が並んでいるモンテ・アルバンが広がっている。われわれが目の当たりにしたものを理解するには、まだピースが足りないと警告している。欠けているもの、見えていないもののほうが、より偉大で素晴らしい。そのことをわれわれに思い起こさせる。


9 二番目の石碑 (2003/2/1)

 2月、プエブラである。テワカンの上空で、小さな雲は、太陽がいつも固執する西向きでなく、北向きに飛ぶよう仕向けている。ミステカ高地の真ん中で、谷に囲まれた丘が見える。丘には、抵抗を継続するために用意された場所かと思わせる城壁が聳える。テペヒ・エル・ビエホのようだ。そこをナワは「二股の岩」、ポポロカは「小さな山」と呼んでいた。

テペヒ

          『メンドサ絵文書』のテペヒ
            (二つに分かれた山)  

戦闘シーン

      『トラスカラ絵文書』のテペヒの戦闘シーン

 そして、太陽が雲にお話する間、両者は思い切りはしゃいでいる。雲が照れくさくなるお話とは…

 古代ミステコ人は、2本の大木の結合から世界が生まれたと語っている。その木はアチウトル川の洞窟のもとにある寂しいアポアラにあった。同じ根から生えている2本の最初の木は、最初のミステカ夫婦を生み、そのこどものこどもから、ヤコニョーイ、太陽の射る人が生まれた。

アポアラ

     アポアラの絵文字(『ビドボネンシス絵文書』)

 古代ミステコ人は語っている。ヤコニョーイは小柄な戦士だが、勇敢で大胆だったという。彼はどんなに偉大で強力に見える相手でもまったく恐れなかった。この知恵ある先住民たちが言っている。人の大きさは心に反映される。外見が小さくても、大きな人は存在する。大きさは、心の大きさに存在する。だから、頑丈で力強く見えている人が、実際には小心者で、か弱いことはよくある。
 また、も言われている。「世界は大きく、途方もない驚異に満ちている。なぜなら、身体の小さな人が、自分のなかに大地を偉大なものにする力を見つけられたからだ」
 また、語られている。その当時、時間は人類の暦の最初の月々を歩いていた。ヤコニョーイは、労働と言葉で大地を大きくできる新しい大地を探しに出かけた。彼は新しい大地を見つけたが、そこでは、太陽は自分の光が照らしているものすべてを独占する強大な存在だった。当時、太陽は、自分と異なるものの生命を奪い、自分を模範として押し付け、途方もない偉大さに敬意を表し、貢物するものだけを受け入れた。
 さらに言われている。これを見たヤコニョーイは、太陽に挑んで言った。
 「あなたはその力でこの大地を支配しているが、どちらがより偉大で、大地に偉大さをもたらすことができるか、私はあなたに挑戦する」
 自分の力と強さに自信がある太陽は、ほくそ笑みながら、地上から挑んできた小さな存在を無視した。再度、ヤコニョーイは太陽に挑んで言った。「私はあなたの光の強さなど怖くない。私の心のなかで成熟する時間を武器としてもっている」
 そして弓を引き、傲慢な太陽の中心に矢を向けた。太陽は再びほくそ笑むと、熱を発する真昼の炎の帯をぎゅっと締めて反乱者に向け、小さな存在をさらに小さくした。
 しかし、ヤコニョーイは盾で身を守り、昼から午後になるまで耐えた。時間が経つにつれ太陽の力が弱まり、太陽は無力になることがわかった。小さな反乱者は、そのまま盾で身を護り、抵抗しつづけ、弓矢を使う時を待っていた。
 夕暮れとなり、太陽が弱くなってきたのがわかり、ヤコニョーイは避難場所から出て、弓で矢を放ち、大きな太陽を七回にわたって傷つけた。黄昏時になり、空全体が赤く染まり、致命傷を負った太陽はついに夜の大地に落下した。
 ヤコニョーイはしばらく待った。夜になり、太陽が戦えないことを知り、「私が勝った。私の盾であなたの攻撃に抵抗した。私は、時間とあなたの傲慢さを味方につけた。必要な時に備え、私の力を蓄えていた。私が勝った。これから、大地は偉大なものを手にするだろう。それは私の人々の心が、大地の懐に植え付けるものである。
 そして、語られる。翌日、力を取り戻した太陽は、土地を再征服しようと戻ってきた。しかし、すでに遅すぎた。夜の間に、ヤコニョーイの人々は植え付けていたものを収穫していた。
 こうして、天空での闘いに勝利を収めたことで、ヤコニョーイは「太陽の射手」と呼ばれ、ミステカの人々は「雲の住人」と呼ばれるようになった。

ヤコニョーイ

         ヤコニョーイの伝承を描いた写本

 それ以来、ミステカの人々は、ヤコニョーイの勝利をヒカラやテコマテに描いてきた。勝利を誇るためではない。偉大さは心に宿り、抵抗は闘いの一形態であることを記憶するためである。
 雲は、テペヒの空からプエブラ・デ・サラゴサ市へと向かう。歴史を知ったせいで流れる涙を雨でごまかしながら、都市の顔を洗い流し、都市全体を覆い隠している。

銅像

          ヤコニョーイが創建したとされる
          ティラントンゴにある銅像

https://youtu.be/wG0zdzbsn2U


10 四番目の石碑 (2003/2/1)

 4月:鷲は再び青みがかった雲となり、トラスカラ州の大地の上空を移動する。雲は、マトラレウエィトル火山(別名マリンチェ山)から入り、アピサコ・シャロストロック・ウアマントラという産業回廊に沿って移動し、工業都市シコテンカトルまで北上する。アトロンガ湖で南に方向を変え、マリンツィ産業回廊まで南下し、パンサコラ産業回廊を経由し、カカシュトラに到着する。
 カカシュトラにて、雲は丘の上で一休みし、目を細め、物語に心を開いていく。そのお話では、叛乱と尊厳が、過去と現在の暦に入り混じっている。
 4月。トラスカラ。1975年の暦では、サンミゲル・デル・ミラグロの町の住民は、カカシュトラの遺跡で発掘し、黒色の顔をした人物の壁画を発見した。それはマヤの影響を強く受け、目出し帽をかぶったマヤ先住民の恰好をしていた。まるで、未来と過去が混在しているようだった。

カカシュトラ

                カカシュトラの壁画

 スペイン人による征服の暦において、先住民シコテンカトル・アシャヤカツィンは、スペイン人到来はケツァルコアトルの帰還でなく、「浮いている城は人間の活動の所産である。今まで見たことがないから賞賛されているだけだ」と言った。トラスカラの主要な四領主に、「外国人を祖国や神々に対する暴君と見なすべきである」と提案した。
 最終的には、トラスカラ統治者たちの決定は、シコテンカトルの考え方を退けるものだった。その後、シコテンカトルは、モクテスマの死後に即位したクィトラワックと同盟を結ぶように、ほかの人々を説得した。エルナン・コルテスはシコテンカトルを味方にしようとしたが、叛乱者の先住民はそれを拒否し、捕らえられ、絞首刑にされた。

シコテンカトル

      シコテンカトル・アシャヤカツィンの銅像

 昔の暦では、「花の戦争」の最中に、強靭な力を持つテコアク出身のオトミで、トラスカラの戦士トラウィコーレは、自分の民を抑圧した者たちの許しを得るよりも、戦って死ぬことを選んだ。

戦士

             戦士トラウィコーレ


 その後の時代の暦である1847年、チャプルテペック城に配属された軍部隊の一つは「サンブラスの現役大隊」と呼ばれ、トラスカラ人のフェリペ・サンティアゴ・シコテンカトルの指揮下にあった。1847年9月13日、米国の侵略部隊との戦闘で、シコテンカトルと大隊のほぼ全員が戦死した。
 トラスカラは、「トウモロコシのパンの土地」という意味とされる。しかし、雲が旅の途中で目撃したように、新自由主義にとっては「マキラドーラの土地」を意味する。トラスカラ州住民の62%が、マキラドーラが居座っている地域で働き、生活している。
 
                

11 渦巻、カラコル  (2003/7/21)
 
 さて、われわれは何か手がかりが見つけられるかもしれない…だが、私にはどこを探せばいいのかわからない…私は、その方法は、耳で見て、目で聞くことだと思う。はい、かなり煩雑なことは承知しているが、今はそれ以外に考えられない。さあ、われわれは歩きつづけよう。
 ほら、あそこで、小川の流れが渦となり、その中心では、月が歪んだような踊りを繰り返しながら瞬いている。渦巻か…それともカラコルか。
 ここでは言われている。もっとも古い人たちが言うには、ほかのもっとも前の人たちは、この大地のいちばん最初の人たちは、カラコルの形をすごく尊重していたと、言っていた。
 いちばん最初の人たちは、カラコルは心に入ることを表していると言っていた。最初に知識を得た人たちは、カラコルをそう言っていた。さらに、カラコルは、世界を歩くため心から外に出ることを表すと言っていた。それを最初の人たちは生命と呼んでいた。
 それだけではなく、カラコルを使って集団に呼びかけ、言葉がお互いに交わされ、合意が成立するようにしたとされる。また、カラコルのおかげで、はるか彼方の言葉まで耳で聞き取れるようになったと言われる。
 そんなふうに言われていたと、言われていたという。だが、私にはわからない。私はあなたと手を携えて歩きながら、私の耳が見たもの、私の目が聞いたものをあなたに教えよう。私はカラコルを見たり聞いたりする。それはここらあたりの言葉(ツォツィル語)でプーイ(pu’y)と呼ばれる。

祀り

  2018年開催の映画フェスティバル「われわれの生活のカラコル」


12 天空の支持者たちのお話 (2003/7/21)
 
 こうして、私一人だけとなり、寒さにブルブルと震えていた。だが、頭上の雨は止んでいた。今度はパイプの受皿を上側にして、火をつけ直そうとした。しかし、私のマッチは湿っており、火がつかなかった。「クソッ!パイプに火がつかない。きっと、私のセックス・アピールは地に落ちてしまう」と、私はつぶやいた。(相当数ある)ズボンのポケットをあちこちとまさぐり、カーマストラの小冊子ではなく、乾いたマッチを探した。
 そのときである。私のすぐ近くで炎がついた。
 その火のむこう側に老アントニオの顔があるのに気づいた。私はパイプの受皿を火のついたマッチに近づけ、一服だけ大きく吸い込んだ。そして、老アントニオに「寒いですね」と言った。彼は「そうだな」と答えながら、別のマッチでトウモロコシの葉で巻いた煙草に火をつけた。マッチの明かりのもと、老アントニオは私をじっと見ていた。
 そして、天空を見つめた後、また私を見つめた。だが、彼は何も言わなかった。私も黙ったままだった。老アントニオも、私と同様に、メキシコ南東部の山中にある不可解なことには慣れ切っていたからに違いない。
 一陣の風が吹きけ、マッチの炎は消えた。われわれのまわりには、長く使ったため刃が摩滅した斧のような月の光だけが残っていた。そして、暗闇のなか、煙草から昇る一筋の煙がかすかに見えた。われわれは倒木の幹に腰をおろした。われわれはしばらく黙ったままだったと思う。しかし、私ははっきりとは覚えていない。だが、そのとき、私の気づかないうちに、老アントニオは私にお話をしていた。

天空の支持者たちのお話

 われわれのいちばん昔の人たちによると、天空は墜落しないように支えなければならない。
 つまり、天空は堅固なものではなく、とてもか弱く、すぐ気を失い、木から葉が落ちるように倒れることがあるからである。だから、天災はいつでもやってくる。邪悪なものがトウモロコシ畑を襲い、雨がトウモロコシ畑を台なしにし、太陽は大地を罰するかのように照りつける。命令するのは戦争、勝利するのは嘘、闊歩するのは死であり、考えることはすべて苦悩となる。
 われわれのいちばん最初の人たちは言っている。
 そうなったのは、世界を創造した神々、いちばん最初の神々が、世界を創ることに熱中しすぎたせいである。世界を創り終えた後、最初の神々は、天空、つまりわれわれの棲み家の天井を創る余力をもちあわせていなかった。だから、神々は思いついたものだけを天空に据えることにした。こうして、ビニール製の天井のように、天空は大地の上に被せられた。だから、天空はけっして堅固ではなく、あちこちと漂うこともある。
 だから、おまえは、いつこうした事態が起き、風や大水が破壊を行ない、火が不安を呼び起こし、大地がたち上がり、落ち着く場所を見いだせないまま歩きだすか、知らなければならない。
 それゆえ、われわれより前に、四つの神々が到達したと、言われている。お互いに異なった色の四体の神々は、世界に戻ると、巨大な身体になり、世界の四隅に立った。それは、天空が墜落しないように、じっと静かに平坦でいるように、天空を繋ぎ止めるためだった。太陽や月、星や夢が苦労せずに天空を歩けるようにするためだった。
 しかし、この大地で最初の歩みを印した者たちは次のように語っている。ときおり、バカブ、すなわち、天空の支持者の誰か一人が夢の世界に入り、眠りこけ、別の雲に気を取られると、世界の天井、つまり彼が支えている天空の部分がうまく張られなくなる。すると、天空、つまり世界の天井は漂いだし、大地に墜落しそうになる。そうなると、太陽と月は自分が歩むための平坦な道をもてなくなる。星々も同じである。
 最初から、こんな事態が起きていたのである。だから、最初の神々、世界を誕生させた神々は、天空の支持者の一人一人に委託したのである。天空を読み、いつ天空が漂いだすかを予測するため、彼らはつねに待機しておかねばならない。ひとりの天空の支持者は、別の天空の支持者に話しかけ、別の天空の支持者が目を覚まし、自分が担当している天井の部分をきちんと張りなおし、あらゆるものごとがうまく行くようにすべきである。この天空の支持者たちはけっして眠らない。いつも警戒体制をとり、邪悪なものが大地に舞い下りた場合、ほかの天空の支持者を起こすために待機しなければならない。
 さらに、いちばん昔に歩みだし、言葉を発した人たちは言っている。この天空の支持者たちは、胸にカラコルをぶら下げている。すべてが正常に回っているか確認するために、そのカラコルで世界の騒音と沈黙を聞き取っている。そのカラコルで、眠らないように、あるいは目を覚ますように、ほかの天空の支持者に呼びかける。

バカブ

          天空の支持者バカブ

 いちばん最初の人たちは言っている。眠らないようにするため、この天空の支持者は、胸にある道を通じて、自分の心の内側と外側を行き来している。昔の教える人たちは言っている。この天空の支持者は男と女に言葉と書記法を教えたという。というのは、言葉が世界を歩むなら、邪悪なものが静まり、この世界が正常になるからである。こんな風に言われる。
 それゆえ、眠らない者、邪悪なものが起こす悪事に備えて待機している者の言葉は、一方から他方へ直線的に歩むものではない。心の中にある針路にそって、自分の内側にむかって歩み、理性の針路に従って外にむかって歩むという。
 昔の知恵者たちは言っている。男と女の心はカラコルの形をしている。よい心と考えをもつ者は、こちらから向こうへと歩む。世界が正常であるようにつねに待機するため、神々や人間たちを起こして回っている。だから、ほかの人たちがいつ眠っているかを見守っている人たちはカラコルを使っている。カラコルを使う目的はたくさんあるが、何よりも忘れないようにするためである。

 最後の言葉とともに、老アントニオは一本の枝で地面に何かを描いた。老アントニオはいなくなり、私もその場から去った。東の地平線から太陽がちょっと姿を現した。あたかも、ちらっと覗き、見張りをしている者が眠っていないか、世界が正常に回るために待機している者はいないか、チェックしているようだった。
 ポソールを飲む時間となったので、私はその場所に引き返した。太陽によって、もう大地も私の帽子も乾いていた。倒木の幹の傍らの地面に、老アントニオが描いた図面があるのが見えた。それは、きっちりした線で描かれた螺旋、つまり、カラコルだった。
 私が委員会の会合に赴いたとき、太陽はすでに道の半ばまで歩んでいた。その前日の夜明け前、すでにアグアスカリエンテスの死が決定されていた。今回の委員会では、断末魔のアグアスカリエンテスがもっていた機能だけでなく、別の機能を有するカラコルを誕生させることが決定された[5つのアグアスカリエンテスをカラコルに模様替え]。
 そう、カラコルは、共同体に入るため、共同体から出ていくための門のようなものである。内側に向かう自身を見つめるため、そして外を見るための窓のようなものである。ほら貝のように、われわれの言葉を遠くまで投げ出し、遠くにいる者の言葉を聞くためのものである。だが、なんといっても、われわれが見守り、世界に数多くある世界が正常であるように、待機すべきことを忘れないようにするためのものである。

5カラコル

           創設時の5つのカラコル
   La Realidad、Oventik、La Garrucha、Moleria、Roberto Barrios

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13 光を運ぶメカパル(2003/11/17、EZLN創設20周年)

 仲間の皆さん
 われわれのEZLNの創設20周年にあたる本日、2003年11月17日、今、われわれはお祭りをしている。20年前、1983年の今日と同じような日、ひと握りのメキシコ人の男女のグループ、3人のメスティソと3人の先住民がわれわれの組織作りに着手した。私の言葉を聴いている多くの同志は、その時まだ生まれていなかった。この祭りに参加している同志の大多数も、その日にサパティスタという名前を聴いたことはない。今や、EZLNという言葉は、すべての渓谷部、チアパス州のすべての行政区、メキシコのすべての州、メキシコというわれわれの国にあるすべての農村や都市、さらには全世界で耳にすることができる。
 しかし、20年前、われわれの闘いの言葉を誰も聴いていなかったと思われる。20年前、われわれの言葉は孤立し、上手く成果を得ることなく死んでしまうと思われた。だが、この言葉を聴き取り、歩き始めた者たちがいた。それは、われわれの死者たちである。われわれの最古参の先祖たちである。メキシコ南東部のこの山岳部で、その心と記憶は生き続けている。それは、われわれのはるか昔からの父母たちである。彼らは、5百年前から、メキシコ人のための民主主義、自由、正義を求めて闘う新しい言葉を耳にすることを待ちわびていた。われわれのもっとも昔の先祖たちである。彼らは、大地の色をした男女、トウモロコシの男女、先住民の男女に対する尊敬と尊厳を求めて闘う言葉が到来するという希望を抱いていた。
 5百年にわたり、われわれ先住民は、蔑まれ、辱められ、酷使され、搾取されてきた。大農園主や統治者どもは、われわれを犬のように扱い、その食卓で余ったものをわれわれに施し、われわれを足蹴にしてきた。われわれの生命は、一羽の雌鶏の価値以下だった。
   われわれ先住民は、生活に希望を見出せないので、金持ち連中から、全国連帯計画[PRONASOL], 教育保健食糧計画[PROGRESA], エヒード土地私有化登記計画[PROCEDE]など、とるに足らない施しものが配られるのを待っているだけだった。われわれの生活はこのようなものだった。じっと、死を待つだけのものだった。こんな生活が身に染みていた。われわれはそのことをよく分かっていた。

サリナス (2)

      一連の支援計画を推進したサリナス大統領

  
 わずかばかりのクレジットや支援金を獲得するため、われわれは組織することはできたかもしれない。政府のクレジットや支援金を申請する組織の指導者たちもいた。彼らは全員、手数料と称して協力金を要請し、集めた人々のお金で、酔っ払い、オコシンゴに豪華な家を建てるなど、腐敗しきった輩であることをわれわれは知っている。
 先住民は生活がよくなることもなく、空腹、無知、病気、抑圧などに苦しみながら、一日が過ぎるに任せるだけだった。ここ渓谷部ではこのような状態が続いていた。そのことを皆さんはよく知っている。サパティスタの言葉は、メキシコ南東部の山岳部で孤立していたのである。
 しかし、このサパティスタの言葉を聴いた人たちがいた。それは、われわれの祖先たち、すでに亡くなっているが、記憶を保ちながら、山岳部で生きているわれわれの先祖たちである。われわれの死者は、サパティスタの言葉はよい言葉であり、それが示す道は素晴らしいと考えた。そこで、われわれの死者たちは、サパティスタの言葉が彼らの心をつかみ、それをより大きなものにした歴史を、サパティスタの言葉で語ることになった。そうして、われわれのいちばん昔の父と母たちは語ることになった。
 昔のことだが、とても長い期間、男女は不安を抱きながら生きていたという。その男女の心はとても悲しいので、大いに泣いていた。その当時はお祭りや楽しみなどなかった。心や男女の歩みを楽しいものにする音楽も踊りもなかった。その当時は、昼間というものがなく、完全な闇夜がずっと続き、すべたがとても暗いままだった。そのため、男女の心には、不安と悲しみが満ちていた。
 しかし、ごく少数の男女は、はるか地平線の彼方に、とても大きく陽気な光があることを耳にしていた。そこで、その男女は、自分たちがそこに出かけ、その光を持ってくると言って、はるか遠方まで赴くことにした。彼らには、長い距離を歩まなければならないとしても、雨とか汗でびしょ濡れになるとしても、空腹や病気に見舞われようとも、途中で死ぬことになるとしても、それは大した問題ではなかった。苦痛など大した問題ではなく、彼らは歩き始めた。
 やがて、光のある場所に到着した。そこにある光は、確かにとても大きく陽気で、音楽にあふれていることがわかった。彼らの心はとても満足し、気のむくままに踊りだした。しかし、自分たちの村にとても悲しく絶望している男女がいることをすぐ思い出した。そこで、村人全員が楽しく満足し、音楽を聴き、歌い、よい考えのもとで踊ったり働いたりすることができるように、この光を自分たちの村まで運ばなければならないと言い出した。その男女はそんなことを言っていた。
 しかし、運ぼうとする光は、とても大きく、とても重いということに、彼らは気づいた。みんなで押そうとしたが、とても重いのでびくともしなかった。そこで全員で担ごうとしたが、やはり重すぎて、無理だった。そして、とても大きなこの光を運ぶには、メカパルが必要だということになった。

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         額にかけて運ぶメカパル

 しかし、光はとても大きく重たいので、どんな大きなメカパルも役に立たたず、光を入れるとどんなメカパルでも壊れてしまうことに気づいた。そこで、特別のメカパルを作らなければならないと言ったものの、どのようにして作ればいいのか分からなかった。そこで思いついたのは、自分たちの村のすべての男女に協力してもらおうということだった。
 そこで、自分の村まで戻り、すべての男女を集めて会議を開き、みんながどのように思っているか、どんな合意を得ることができるかを知るために、考えていた計画について話した。村人との会議の場で、男たちのなかから、その計画とても労力が必要なのでなんの役にも立たず、今の心配と悲しみを抱えた生活を続けるほうがいいという意見が出た。彼らは、たくさんの輝きを持ち、陽気で、音楽に満ちたこの光を運んでくる計画には、当然ながら参加しないと、彼らは言い放った。
 一方、その会議の場にいたほかの男女は、計画は素晴らしく、苦労など問題ないと言った。なぜなら、誰もがずっと無駄に苦しんできたのだから、どうしようもない悲しみで苦しむより希望を抱いて苦しむ方がまだいいと考えたのである。そこで、計画に賛成した男女全員が集まり、大きな光のある場所に赴いた。
 一方、光を運ぶのを手伝いたくなくて留まった者たちは、出かけた人たちを馬鹿にしだした。光を運ぶために出かけた人のやる気をそぐように、光を運ぶことなどできないし、あくせく働いても徒労に終わるだけで、言っていることは無益でとても馬鹿げていると、言い放った。しかし、光を運びに出かけた人たちは、挫けることなく道を歩み続けた。その道は、10年以上も、空腹や苦痛を重ねながら、光明の見えない闇夜のなかを歩き続ける続くものだった。
 ついにとても大きく重たい光のある場所に到着し、途方もなく重い光を運ぶには、どうすればいいかを全員で考えはじめた。途方もなく重いこの光を運べるように、とても大きなメカパルを作ることを考えた。こうして、自分たちがこのメカパルになろうと考え、男女は互いに手を取りあって巨大なメカパルを編み出し、光を捕まえると、少しずつではあるが、自分たちの村へ運んだ。

笑う太陽

      「笑う太陽」オベンティクの壁画

 こうなったのは、この男女が良き言葉をもち、その言葉を実行したからである。光を携え、村まで帰りたかったが、光を村に運ぶ道中で亡くなったものもいた。しかし、光とともに、音楽や踊りもやって来た。光、そして音楽や踊りがあったので、計画に反対し、悪口を言っていた村の人たちも、とても満足していた。
 誰もが踊り、歌いだした。光を運んできた男女はとてもうれしかった。光を運んできたことをとても満足していた。ほかの人が言っていたことが本当だったので、悪口を言っていた人たちは自らを嘆き、恥ずかしくなった。
 山々のなかに自らの考えを生かし続けているわれわれのはるか昔からの父母たちは言っていた。このことが起きてからずいぶん時間が経った。このとほうもなく大きく重い光は、太陽と呼ばれている。山々のなかに自らの心を持っているわれわれの死者たちは言っていた。夜に東の空に、青い光が見える。その光は太陽を引っ張っている星で、その星は、次の日には太陽が東から昇ることをわれわれに知らせている。
 われわれのはるか昔の先祖たち、父母たちは言っている。その星は、はるか昔に、みんなに太陽を運んでくるために、はるか彼方まで赴いたあの男女たちのシンボルである。さらにこう言った。サパティスタの言葉は、光を担いで、人々のもとに運ぶメカパルのようになるべきである。
 メキシコ南東部の山中に、その心と考えを播きつづけてきたわれわれのはるか昔からの父母たちは、このようなことを言っていた。
 こうして、われわれサパティスタは、20年間、活動してきた。いちばん最初、われわれは先住民の男女のための闘いの言葉として誕生した。私の言葉に耳を傾けている同志の皆さんは全員、それこそがわれわれの歴史であることを知っている。闘うべきだと言った時、そんなことは何の役にもならず、労力を要するだけで、何も得るものはないと言い張る人たちがいたことは、誰もが知っている。しかし、われわれはよく知っている。ほかの人たちは、闘うべきであり、闘いは多くの労力を要し、やさしいことでないが、金持ち連中や政府のわずかな施しで、中味のない人生が過ぎてゆくのを何もせず座視しているよりも、闘う方がよいと、言っていた。
 われわれ全員が、われわれサパティスタ賛歌の「すでに地平線は見えている」という歌詞をよく知っている。すなわち、世界のすべての男女に喜び、音楽と踊りがもたらされるように、すべての人のために光をもたらすため、今も、われわれは光を担いでいるのである。

水平線

 「すでに地平線は見えている」 (ラ・レアリダーの壁画)


14 三つの肩(2004/8/22)

 夜の肩に月が出たが、それも一瞬だった。幕を引くように、雲によって月は分断され、夜の体が光の印を見せた。そう、欲望に駆られて、落ちたか上がったかわからなくなったときに、肩に残る歯の跡のように。
 20年前、メキシコ南東部の山々に分け入るための最初の丘を苦労しながら登った後、私は道の曲がり角に腰を下ろした。その時間は?正確には覚えていない。しかし、夜が「もう束縛など嫌だ。寝るとしようか」という時間帯だった。太陽を昇らせる人がいなくなる時間帯だった。つまり、早朝だった。呼吸と鼓動を落ち着かせるため、私はもっと気楽な職業を選んだ方がよかったかなと考えていた。つまり、私が来るまで、この山は、私抜きで楽しく過ごしていたのだから、私がいなくても寂しくはないだろう。
 断っておかねばならないが、私はパイプには火をつけなかった。それどころか、動くこともままならなかった。軍の規律に従ったわけではない。当時の美しい身体じゅうが痛かったのである。私は、今も鉄の規律で続けている習慣に従い、自分がトラブルに巻き込まれる能力を呪いはじめた。
 このような状況、つまり不満を言いまくるというスポーツをしていた時、丘の上をトウモロコシの袋を背負った男が通り過ぎるのが見えた。その袋はとても重そうで、男は猫背で歩いていた。
 行進に遅れないように、坂の途中で、同志たちは私から荷物を取り上げてくれた。私の命が重かったのであって、リュックが重かったわけではない。
 とにかく、どれくらい坂の途中に座っていたかはわからないが、しばらくして、男が荷物なしで丘のふもとにいるのを目撃した。だが、その男は相変わらず猫背で歩いていた。「クソ」、「こうして時の経過とともに、私の男らしさは失われ、セックス・シンボルとしての私の将来は、選挙と同じように不正にまみれたものになる」と、自分で妄想していた(それが全身の苦痛を感じないでいる唯一の方法だった)。
 実際、数ヶ月後には、私の歩き方は、疑問符のように猫背になっていた。しかし、リュックが重かったからではなく、枝や蔓でデカ鼻に引っかき傷がつかないようにするためだった。
 それからほぼ1年後、私は老アントニオに出会った。ある夜明け前、トスターダとピノーレを受け取るため、私は彼の小屋に行った。当時、われわれは人々の前に公然とは姿を見せず、一部の先住民だけがわれわれを知っていた。老アントニオが設営地まで行くと言ったので、荷物を二つに分け、ひとつは彼のメカパルに乗せた。メカパルをもっていない私は、袋をリュックに入れた。ランプを灯し、森林が始まる牧草地の端までわれわれは少しばかり歩いた。小川の前で立ち止まり、夜明けを待った。

トスターダ (2)

             トスターダ  

ピノーレ

         ピノーレ (粉を水に溶かして飲む)


 私が何を話したのかは、よく覚えていない。しかし、老アントニオは、先住民が、荷物を担いでないのにいつも腰を曲げて歩いている理由を説明してくれた。先住民は、ほかの人の財産もその双肩に担いでいるからである。
 私はなぜそうなのかたずねた。最初の神々、世界を誕生させた神々は、トウモロコシの男女を集団で歩くようにしたと、老アントニオは私に語った。集団で歩くことは、他者、仲間のことを考えるという意味であると言った。
『だから、先住民は腰を曲げて歩く。その双肩には自分の心だけでなく、全員の心が載っている』
 そんなに重いのなら、二つの肩では足らないだろうと、私は考えていた。時間が経過し、いろんなことが起きた。戦う準備を怠っていたわれわれは、まず初めにこの先住民たちに敗北した。彼らもわれわれも腰を曲げて歩いてきた。われわれが担いでいたのは傲慢という重さだった(われわれはそれに気づかなかった)。しかし、彼らはそのようなわれわれも担いでいたのである。こうして、われわれは彼らに、彼らはわれわれになった。この重みは二つの肩では支えきれないのがわかっていたので、われわれは腰を曲げいっしょに歩きはじめた。
 こうして1994年1月1日、われわれは武装蜂起した。われわれが歩くこと、つまり存在することを助けてくれる三番目の肩を探すためだった。

三番目の肩
 
 メキシコ国家の起源に関して、サパティスタの先住民共同体の現代史は、その創設に関する伝承をもつことになるだろう。それは、この地に暮らすものは、今や三つの肩をもつというものである。サパティスタは、すべての人類に共通する二つの肩に加え、国内外の市民社会という三番目の肩をもっている。




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