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「伝える」をなぜお手伝いするか

こんにちは。はじめまして。
ミヤジと申します。フリーで編集や校正、ライター(など)のお仕事をしています。今ではすっかり文章やさんです。
最近、お前の書いた文章を見せろと言われる機会が多くなってきたので、名刺がわりにnoteを作ることにしました。
今回は簡単な自己紹介から始めて、適当なことをつらつらと書いていきます。
これからもそのつもりです。

自己紹介(2024年1月現在)

名前: ミヤジといいます。
ミヤジのジは本名ではヂですが、めちゃくちゃ間違われるので活動名はシに点々にすることにしました。
間違いが減ってよかったです。どっちでもいいと思っています。
下の名前で呼ばれることはほとんどありません。

年齢: 21歳 大学3年生です。
理工学部で物理と算数を勉強しています。
大学ぼっちですが、大学は好きです。授業は基本的に最前列で聴講していますが、たまに爆睡してしまいます。
高校生のときから校正でフリーっぽいことをやっていました。今は完全にフリーランスです。経験年数は3年ちょっとくらいになります。

趣味: 🎹🚃👐←🌈
🎹 ピアノ。独学ではじめました。楽譜は読めないけど弾けます。
🚃 乗り鉄。ほとんどのJR線に乗ったことがあります。
👐←🌈 WUG。B級アニソンが好きです。
基本的にインドアです。用事がなければ家から出ることはありません。仕事も趣味のひとつと言って差し支えないほどには好きです。

お仕事について

文章の編集・校正を主に行っています。その他にもWebメディアの編集やライティングなどをやったり、代筆をしたり、書くことのご相談に乗ったりなど、文章に関することをいろいろとやっています。

添削・校正実績 
レポート、論文(卒論・修論等)、各種資料、契約書、各種媒体記事、ホームページ文章、取説、ES、シナリオなど、他多数
校正・編集実績 
出版物、電子書籍、Webメディア
ライティング(代筆・執筆)実績
各種媒体記事、商品紹介文(クラウドファンディング)、コラム、スピーチ原稿、契約書、キャッチコピー、ブランドコンセプト、手紙、督促状、メール文面など、他多数

編集・添削・校正といくつかに分けていますが、「日本語として間違いがない文章にする」基本は変わりません。
文部科学省認定 校正実務講座を受講・修了済みです。2023年7月に校正士の認定を受けました。
文章についてのお困りごとがありましたら、お気軽にご相談ください。

ココナラでは最近刺さるコメントをいただくことが多くてありがたいです。
別に競っているわけではないけれど、一番って言われるとなんかうれしいですね。

日々いろんな文章と向き合っています。
ココナラはこちらからご覧いただけます。

「編集・校正・校閲」の意味の違い
「編集」は幅広い意味を持つ言葉です。 文章が読みやすいか、レギュレーション(ローカルなルール)に沿っているか、なども含めて、文章全体を直していくのが編集です。
 「添削」も、広義的には編集のうちに入ると考えています(が、どうでしょうか)。
「校正」は、誤字や脱字などの文章の誤りを正すことで、文章の構造そのものには介入しません。ここはこうしたほうが読みやすいとか、そういうお節介は原則行いません。 これは薄情なわけではなく、あくまで執筆者第一という校正の基本姿勢があるからです。 
「校閲」はこれに加えて、文献を調査したりなどして、書いてあることの事実が正しいかどうかの確認まで行います。 
私がやっているのは主に「編集」のいろいろです。ときたま「校正」。
 なのに校正者を名乗っているのは、その方が説明に都合がいいからです。
 というのも、一般の方の中には編集や添削にあたる部分まで「校正」と思われている方が多いのです。なので「校正やりますよ〜」といって、実際にやっているのは「編集」だったりすることはしばしばあります。 
この機会に正しく認識を持っていただけたらうれしいです。
もっと知りたい方は、私が別で書いたこちらをお読みください。

「伝える」をお手伝いします

これは、ココナラの自分のページに書いてあるキャッチコピーです。
1分くらいで適当に考えたものなのですが、これが決め手になって私に相談を持ちかけていただいたケースもあるようで、うれしいな(小並感)と思っています。

適当に作ったキャッチコピーですが、書いてあることは嘘ではありません。
私が提供している仕事の内容を端的に表した一言だと思っています。

すべての創造物は、作り手の思いを相手に伝える道具です。
思いは、そのままでは他者に伝えることができません。
思いを相手に伝えるには、「モノ」や「コト」を媒介する必要があります。
文章ももちろん、思いを媒介する道具、モノの一つです。

書かれた文章には、書き手の思いが詰まっています。
星の数ほどある言葉の中から、書き手が一番、自分の気持ちを届けられると思った言葉の選択の連続が、文章という有形物です。
私はその選択を尊重しながら、その文章がより望んだ意図で相手に伝わるように提案する、お手伝いをしています。

やっていることの内容はさまざまです。
論文から、菓子折りに入っているひとことのメッセージまで、あらゆる「伝える」のお手伝いをしています。
あなたが日常でふと見かけた文章は、もしかしたら私がお節介した文章かもしれません。

「伝える」のお手伝い、って何やねん。
と思われた方、いらっしゃることでしょう。
私もそう思っています。
やっていることは、具体的には「添削」です。
ココナラのサービスページにも、そう書いてあります。

しかし私は、「添削」という言葉があまり好きではありません。
説明に都合がいいから使っているだけで、本当は使いたくないと思っています。

「添削」ってなんか上から目線な感じがしませんか。
『俺はお前より文章が書けるから、俺の修正に従え!』みたいな。
そんな圧を感じる言葉です。個人的に。
誰しも、添削なんてされないほうが嬉しいに決まっています。

私は私の添削を添削とは思っていないし、依頼者さんにも思ってもらいたくありません。
あくまで私の添削は「提案」です。
日本語として間違いがないかどうか。文章として間違いがないかどうか。
これは文章が文章として読まれるための最低条件だと思っています。
それらのミスを減らすことは重要です。

そのうえでの「提案」が「お手伝い」です。
伝わりづらいと思われる部分を、原文になるべく寄り添いながら直していきます。

文章の一番の主役である書き手のスタイルを、第三者がかき乱すことがあってはなりません。
ときに依頼者さんと話し合いながら、一緒にしっくりくる表現を考えています。
これがお手伝いの具体的な過程です。

なんか壮大なストーリーになってしまいましたが、実際にやっていることはここまで大したことはありません。
「提案」といったって、実際に何かを提案することなくご依頼が終了することも多くあります。(むしろそのほうが多いです)
伝えたかったのは、謙虚な気持ちで「添削(便宜上)」しているということです。

これからも「お手伝い」を続けていきます。
あくまでお手伝いなので、それ以上のことをやるつもりはそんなにありません。
お手伝い以上のことはしませんが、全力で(お節介を含む)お手伝いを行なっていきます。

次の章では、私がなぜお手伝いをするのかについて書いていきたいと思います。

見ている世界を綺麗にしたい

私は新しいものを生み出す仕事より、元からあるものをより良いものにする仕事に適性があるようです。
0から1を作るのではなく、1を2とか3にする仕事。
なんでかなと考えたとき、自分を支配する考えに辿り着きました。

現代、モノは日夜生まれ続けています。ちょっと多すぎです。
もちろん、モノの中にはヒトも内包されています。

モノが増えれば、「良い」それらが増える一方で、「良くない」それらも増えるのではないでしょうか。
「良い」「良くない」はかなり抽象的な表現ですが、あえてこのまま筆を進めます。
質の良くないモノが跋扈している状態は、個人的に、見ていてあまり気持ちのいいものではありません。

私はわがままです。
私が見える範囲の世界はいつも綺麗であってほしいと思っています。
綺麗であるということは、言い換えれば自分好みであるということです。
つまり私の望むことの本質は、自分好みのモノを自分の周りに増やすことに他なりません。

自分好みのモノが増えれば、自分の見ている世界が綺麗になって気持ちがいい。
誰かのためにというより、自分が見ている世界を掃除しているかのような。
そんな自分本位な考え方です。

編集や校正のお仕事に適性があると感じるのも、このような自分の思考に、編集とか校正の仕事が合っているからなのではないかと考えています。
これらの仕事は、もとからあったモノを、より良くして世に出す仕事です。

結局、やっていることは人のためではなく、自分のためです。
言ってしまえば。
でも、私自身はそれでいいと思っています。

自分が気持ちよくなれて、ついでに相手も喜んでくれるのだから、おいしい仕事です。
おいしい。だから、続けられる。
これはチチヤスヨーグルトのフタのところに書いてあった言葉です。

「お客さまの笑顔は、私にとっての喜びです!」
こんなことを言う人がたま〜にいます。
私の場合、これが偶然、編集と校正の仕事だったと気づきました。
正確には「私の喜びが、お客さまにとっての笑顔です!」ですが。

なので私は自分のために、ついでに依頼者さんのために、全力で依頼と向き合っています。
この言葉に裏はありません。
綺麗事を並べるより、信頼感があってよいのではないでしょうか。

これからも「お手伝い」を続けていきます。
あくまでお手伝いなので、それ以上のことをやるつもりはそんなにありません。
お手伝い以上のことはしませんが、全力で(お節介を含む)お手伝いを行なっていきます。

2024年1月追記
最近、「お手伝い」という言い方も、なんか驕りのある上から目線な感じがして嫌いになってきました。でも他にいい表現が見当たらないので、見つかるまでは一旦そのままです。

おわりに

拙い文章ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
自分の仕事の軸を言語化すると仕事に対しての向き合い方が変わるので、全ての仕事をする人におすすめします。

文章について困っている方。
もしお力になれることがあれば、ぜひお手伝いさせてください。
ご依頼はこちらからお願いします。

おわり

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