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小学3年生で起業した話

要約すると「小学3年生楽しかったな〜」という私の思い出話です。
たぶん黒歴史が含まれます。(私は黒歴史とは思っていませんが)
暇で暇で死にそうな方のみお付き合いください。


「インスタントメモ」開発

小学3年生のときの話です。
私の小学校には「縦割り活動」といって、1年生から6年生までの同一組の児童を適当に再分配して、一緒に給食を食べたり文化祭のような催しをやったりするシステムがありました。

縦割り活動の日は筆記用具を持って指定された教室に移動します。
みんなは筆箱と自由帳を持って移動するのですが、私はなるべく荷物を少なくしたいと考えていました。
特に自由帳はかさばって邪魔なので、私は裏紙のメモ用紙を何枚か持って教室移動していました。

このメモ用紙を、スマートに持ち運ぶことができないか。
少年は考えました。

「インスタントメモ」の爆誕です。


看板商品・インスタントメモ

記事作成にあたって、ほぼ10年ぶりに「インスタントメモ」(レプリカ)を作りました。

忠実に再現しました。

「きる」と書いてある部分を手でちぎると、小さく折り込んだメモ用紙を取り出すことができます。

まさにインスタントなメモだと思います。
そうですよね?

私はこのインスタントメモを量産し、常にポケット・筆箱・ランドセルに忍ばせておきました。
これでいつでもどこでもメモを取ることができます。
インスタントメモの開発に味をしめた私は、さまざまな「インスタント」シリーズを開発(製作)しました。

インスタントメモを極限まで小さくした「インスタントメモpetit(プチ)」、不織布を中に入れて水をかけてから開封するとハンドタオルになる「インスタントおてふき」など。
あと10種類くらいあったかと思うのですが、これぐらいしか思い出せませんでした。


(株)インスタントコーポレーション設立

インスタントシリーズの商品が増えてくると、私は会社を設立しました。

それが「株式会社インスタントコーポレーション」です。

社員は最初私とあともう一人の男の子の2人でしたが、しばらくするとクラスの何人かが社員になり、そこそこの規模の組織になりました。
社員には名刺を作り、商品のアイデア出し(商品開発)を主に担当してもらいました。

インスタントシリーズの製造はすべて私が行っていましたが、社員は独自で商品を企画して、それを作るところまでやっていました。
今考えると形式としてはフランチャイズに近いかもしれません。

会社の規模が大きくなると、商品を購入したいというクラスメイトや、私たちのように商品を作って販売する組織が他にも現れ始めました。

誰が決めたわけでもなく共通通貨は「折り紙」になり、クラス内では折り紙を介して交易が行われるようになりました。


インスタントコーポレーションの成長

折り紙を通貨とした交易が行われるようになると、弊社も商品に折り紙何枚と価格をつけ、商品を販売するようになりました。

最も人気だった商品は、厚紙で作った缶に十数枚のメモ用紙を封入した「メモカンヅメ」です。
当時厚紙は非常に貴重な資源で、大量に使うことができませんでしたから、製造数は限られていました。

私が朝休みに「今日の20分休みに、メモカンヅメを10個限定で販売するよ!」と宣言すると、2時間目の授業が終わるや否や、私の机のもとに折り紙をもったクラスメイトが殺到した記憶があります。

さて、折り紙は通貨として使われるほか、紙なのでそのまま商品の材料にもなります。(他の【組織】も、折り紙を使った商品を販売していました。)

弊社の商品は、折り紙1枚から2~3個ほど製造することができました。家にある不要な白い紙を使って製造したりもしていました。
商品の価格は1個あたり折り紙2~3枚にしていたため、これは大儲けです。

私は最初折り紙を1枚も持っていなかったのですが、いつしか大量の折り紙を所持するようになっていました。

儲けた分は会社の資産として貯金(貯折り紙)したほか、社員にボーナスとして還元しました。

また、株式会社だからということで、株券を発行したりしました。

株券を買う株主は私に前もって折り紙を支払います。会社が儲けたら、株主が儲け分の一部を受け取ることができるというシステムです。
大体弊社はかなり儲けているので、支払った折り紙は間違いなく色がついて返ってきます。

それから株主優待制度と称して商品の値段を割引にしたり、商品を無償プレゼントしたりもしました。
株主には社員のほか、社員以外の子もいました。

その後、会社の改名を経て、会社規模はますます大きくなっていきました。
入社希望と称した紙をもらったり、なぜか他学年で後輩である2年生の社員ができたりしました。
確か縦割り活動やら学童やらで私が【仕事】をしていたら、興味を持った子が声をかけてくれたんだと思います。

他にも子会社を持って鉄道事業*などをやったり、他の会社と業務提携の関係を結んだりしました。

*鉄道事業…チビ鉄道オタクの私たちは、主に厚紙を使って鉄道車両のモデル(かなり精巧)を作り、休み時間に走らせて楽しんでいました。この車両の製造と運行を子会社化して事業にしました。他にもいくつかの鉄道会社があり、相互直通運転を行なったり、広告を車内に掲出したりしました。

自動で動くモノにも興味がありました。
ゲームセンターに行くと、メダル貸し出し機の横あたりに、ボタンを押すと巻かれたおしぼりが自動で1本ずつ出てくるおしぼりベンダーがありますよね。
ボタンを1回押すとメモが出てくる機械。私も欲しかったので開発しました。

多分こんな感じだったと思う

名前はメモベンダー「MEMOTZ」(メモッツ)です。
細長い(巻かれた)メモが出てくるところから、プリッツ(PRITZ)のインスパイアを受けて命名されました。
これはさまざまな技術的制約があって結局あまりうまくはいきませんでしたが、開発はとても楽しかったです。


エコに配慮した企業

「インスタントメモ」は、リサイクルのしやすさに配慮し、従来はセロテープで接着していたところを、液体のりで接着するようにしました。

しかしインスタントメモは使い切りです。中のメモを使ったら、外身はゴミになってしまいます。
繰り返し利用できる外身を作りたい。
中身のメモ(リフィル)を入れ替えて繰り返し使いたい。

そこで、新たに「irodori」というブランドを作りました。名前の由来は485系特急電車「彩」からきています。
最初は、タバコの箱を2周り小さくしたくらいの小箱に、メモリフィルを入れ替えて携帯するような形を考えました。
これを改良して試作品をいくつか作り、最終的にはインスタントメモの特徴的なデザインを維持したまま、繰り返し利用可能な外側を開発しました。


外身を繰り返し使えるなんてエコやん!という満足感から、弊社はエコへの工夫に邁進していきます。
接着にセロテープを使わない。
紙を捨てるときは資源ゴミに捨てる。
先生がいらないプリントを燃えるゴミ箱に突っ込もうとしたときには、もらいに行く。

また、独自に紙のリサイクル方法を研究し、いらない紙をパルプ(紙の繊維)に戻して直接再生紙を作ったりしました。
さすがに実用に耐えうるほどの再生紙にはなりませんでしたが、ひとまず形にはなったので値段をつけて販売していました。製造にめちゃくちゃコストがかかるのでプレミア商品でした。


その後

やがて次の春が訪れ、私たちは4年生に進級することになりました。

進級すれば、クラス替えによって社員は当然バラバラになります。通貨であった折り紙にも、当時の価値は無くなってしまいました。
商品の買い手は少なくなってしまいましたが、私と一部の社員は商品開発を続けました。
しかしまだ正式に廃業はしていないので、弊社は今年で創業12周年になります。

あ、お祝いの言葉をいただき、ありがとうございます!
お祝い金は折り紙でお願いいたします。

社員を持ったり、ライバルと切磋琢磨してものづくりの技術を磨いたり。
あの頃の充実感をぜひもう一度味わってみたいです。
それにひきかえ、今の私はコンテンツを消費し続ける妖怪になってしまいました。まったく無念であります。

…。
今のことを考えるとイヤになりますね。

昔話は以上です。
ここまでお読みいただいた方は未来の私だけかもしれませんが、長々とお付き合いいただきありがとうございました。

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