香雲紗
私のTwitterをフォローし、かつ中国服関係のツイートを読まれている人は、私が「香雲紗」という布について何度かツイートしているのを見たことがあると思う。
香雲紗の染料は、広東省仏山市の珠江デルタあたりの湖沼の泥と薯莨という芋。薯莨の汁に浸けた布地(主に絹)を夏の強い太陽にさらして茶色く発色させ、さらに表に鉄分の強い珠江デルタの湖や川の泥を塗りつけて黒く変色させるという、実に手間がかかる布で、今は中国の無形文化遺産にも登録されている。
泥で染めた表面は皮のような艶がある漆黒だが、泥がかからない裏は芋で染めた茶色のまま。薯莨で染めた漁網が珠江デルタの土で黒く染まったのを見た漁民が、その丈夫さを喜び服に仕立てるようになったのが始まりと言われている。昔、少なくとも1950年代くらいまでは庶民も着るものだったらしく、本場広州の骨董市場で古着の山を漁った時にも、いかにも労働者の服という感じの香雲紗がざくざく出てきた。
しかし今は無形文化遺産にはなるわ手作業の価値が上がるわで、値段が普通の絹の1.5倍はする高級服地になってしまった。よって偽物も少なくない。
本物の香雲紗。表は革のような紙のような独特の風合いで色は黒。裏は茶色。裏の縁にところどころ表の黒が染み出ているのが、いかにも手作業らしい
香雲紗の特徴は見た目だけではない。とにかく軽く、とにかく通気性が良い。つまり熱帯の広東にぴったりの生地なのだ。ちょっと汗で濡れてもたちどころに乾くし、汗ジミができたらそこだけ濡れタオルで拭くか水でつまみ洗いすれば良い。
通気性の良さを活かしたいから、裏をつけるなどもってのほか。おろしたてはパリッとしているが、着るごとに柔らかく肌に馴染んでいくので、昔の人はおろしたてを使用人に着せて、肌なじみが良くなってから着たともいう。
1930年代から40年代にかけて南方を中心に中国で流行したようで、1940年代のものと見られる旗袍や男物の上衣などが骨董市場にちょくちょく出てくるが、そのどれもが茶色が表に透け出て、いかにも着古したように見える。しかし当時はこれが香雲紗の味と受け止められていたようだ。
香雲紗を染める工房は昔と比べると随分減ったという。今は順徳郊外の倫教あたりが多いようで、順徳の中心地から車で20分ほどの香雲紗博物館では工程を見ることができる。展示としてデモンストレーション的に紹介するのではなく、ちゃんとした売り物を職人さんたちがつくる様子が見られるのが嬉しい。
こうして干し上がったものが製品として出荷されるわけだけど、実は昔ながらの黒地は今やほんのわずかで、ほとんどが色柄ものに取って代わられている…。
まあ、人の好みはそれぞれだけどさ…。
そして順徳で数少ない黒生地から見繕って買ってきた香雲紗で作った旗袍がこれ。
シルエットや衿の高さは、旗袍の歴史の中で一番シンプルで機能的だった1940年代のデザインを再現。盛夏に着る服なので、元々低い40年代に流行した衿よりも更に低くした。
衿を低くすることでブローチが生きてくる
裁縫は得意なほうではないので、旗袍などの縫製が複雑な中国服を縫う時はいつも手縫い。香雲紗は縫い間違うと針目がしっかり残ってしまうので、ミシンだと縫い間違えまくる粗忽者の私にとっては、手縫いしか選択の余地がない布だ。
今の時代はロックミシンで縫い代を処理すれば簡単だけど、なんとも味気ないし、表に返した時に何となくのっぺりしてしまうのが嫌で、面倒でも昔のやり方を踏襲し、全縫い代に見返しをつけている。
こうして出来上がったはいいけど、何となく着る機会を逸してはや3年。風合いが出るまで着倒せるほど心置きなく外出できる日はいつ来ることやら…。